第12話 『秘密トライアングル』
今日は、生物の実験だった。
担当の木村先生は、すごく気分屋で、今日は実験の班を変えたい気分だそうなので、急遽席替えをすることになった。
教卓の前に置いてある割り箸を、一本取る。
男子と女子の2つに分けられてあったので、私は女子の方に手を伸ばす。
そこには、赤く『7』とだけ書いてあった。
「莉々〜、何番だった?」
「十五。離れたね。」
彼女はホワイトボードを見つめてそういった。
引いた数字によって、席が割り当てられる仕組みになっており、彼女は一番前の席だった。
ちなみに、私はなぜか一番後ろ。
今日は三人で実験をするようだった。ホワイトボードには、縦の三人をまとめて、8班と、書いてあった。
該当する場所を見るも、まだ誰も来てないようだった。
仕方がないので、私は莉々から離れてとぼとぼと指定された席に座る。
莉々ってば、私と離れても、『悲しい』の一言も言わないんだから。可愛くないのー。
私の学校では、二年生から文理選択が始まる。
特にやりたいことがない私は、理系に進んだ。別に、数学とか理科が得意な訳では無い。
ただ、莉々が理系にいく、それだった。
風の噂で、二年生のクラス替えは、文理選択を同じにすれば、ほぼ確実に同じクラスになれるということを聞いたから、私は彼女と離れたくなくて、やりたくもない理系に進んだのである。
もちろん、数学も物理も、化学も、全部さっぱりである。
私がだらんと、机に顔を伏せていると、隣に人の気配を感じた。
見覚えのある顔をしていた。
「の、野々木くん!?」
「よっす。もしかして、今日、宮と班一緒?よっしゃ。よろしくな。」
彼は隣のクラスの四組である。理科の科目は物理、化学、生物、地学の中から選択で選ぶことができるのだが、生物はあまり取る人が少なく、二クラス合同でやるのだ。
野々木くんは、どうやら生物選択のようだ。
昨日の今日で、なんだか、彼と急接近しているような気がする。
いやいや、気のせいだってば。私のばか。
「よっ、よろしく…。」
なんだか、妙に意識をして待って、気の弱い声を出す。
「なんだー? 元気ないな?」
「そんなことないし。」
彼は、不思議そうに私の顔を覗き込んだが、私は、まるで何も気にしてないかのように、今日使う実験器具をガチャガチャと弄っていた。
すると、なにやらまた、人の気配を感じた。
きっと、私の班のもう一人の人だ。
そっと、視線を相手の方に向けた。
「…げ。」
もう一人の正体は、なんとリュシアンだった。
それにしても、『げ。』ってなによ。こっちが『げ。』なんですけど。
そういえば、結局、昨日、リュシアンに花火大会を誘えなかった。
野々木くんのことも、もちろんあったし、なによりも家事が忙しくて、平日はゆっくりできる暇がなかったのだ。
というのは建前で、本当は勇気が出なかった。ただそれだけである。
私は無意識にチラッと、リュシアンの方向を見つめる。
「ん? オレの顔になにかついてるかな?」
でた。この胡散臭い笑顔と話し方。
そうか。今は周りにクラスの人にいたから、いい子ちゃんモードなんだ。
それじゃあ、私もリュシアンのノリに乗ってやろうじゃないの。
「いや? 別に? ちょっとだけ、見惚れてただけ♡」
彼は、本気でドン引きしていた顔をしていた。
他の女の子には、笑顔でニコニコ対応するのに、どうして私には、こんなに明らかに嫌っている態度をするんだろう。
乙女ゲーム内での、ヒロインに対する対応もこんなに酷くはなかった。
もしかして、私、振り向かせる前に、本気で嫌われてる…?
木村先生の説明が終わって、いよいよ実験作業開始。
相変わらずのゆっくりめな口調と、荒い咳で、可愛いおじいちゃん先生というより、心配が勝ってしまう。
今日は、染色体の観察をする。タマネギの先端部分をカッターで切って、専用の液体を垂らして、細胞を見やすくするのである。
これは、単独でもできる実験ではないか、とは思ったが、うちの学校が、田舎高校なため、顕微鏡の数が人数分ないらしいのである。
そのため、三人で一つの顕微鏡を使用するのである。
なんだか、この三人で実験をやるのが、ものすごく気まずい。
別に悪いことをしているわけではないのだが、なんだか、嫌な予感がする。そんな気がするのだ。
野々木くんは、リュシアンに相当興味津々らしく、もうすぐ、授業が始まるのにもかかわらず、彼に積極的に話しかけていた、
「もしかして、君があの噂のイケメンの転校生だよね?」
「まあ、そういうことになるかな。オレのこと、知っているんだね。」
「もちろんもちろん! 俺のクラスの女子は、みんなそのはなしばかりだからさ。」
「へえ。うれしいな。」
「宮と同じクラスなんだよね? 三組ってことは。」
ぎく。どうして、そこで私の名前。
真ん中の席に挟まれた私は、余計に肩身が狭くなる。
しかし、彼は焦ることも無く、いつもの王子様モードで対応していた。
この、男子にも女子にも絶対に隙を見せない、きっと、厳しい家庭で、教育させられたのだろう。
変に彼らの会話に入るのも良くないと思ったので、私は黙って、玉ねぎの先端部分を切る。
「うん。そうだね。たまに鍵を閉めっぱなしにするから、参っちゃうよ。」
「かぎ?」
「ぎゃああー!」
私は、彼らの声をかき消すように、悲鳴をあげる。
「ねえ、教室の鍵のことでしょう? ほら、最近盗難多いから、移動教室の度に、教室の鍵を閉めるじゃん? 」
「確かに、そういえば、財布が盗まれるとかどうとか。俺も気をつけないといけないなー。あれ? それって、学級委員の仕事だよな? 宮って、学級委員だっけ?」
「たまに、頼まれるんだよね! ねえ、リュシアン。」
「ああ。そうだね。」
やっぱり、リュシアンに任せっきりじゃダメだ。放っておくと、同棲してることがバレちゃう。
いや、私が焦っているだけ。彼は、至って冷静である。
野々木くん、噂好きだし、広まったら危ない。
私は、リュシアンをじっと睨んだ。
その瞬間、気を取られていたせいで、カッターで指を切ってしまった。
「…っ!」
小さな切り傷であるが、これがかなり痛いのである。私は、血を回りに隠すために、反対の手で、押さえる。
「よし、それじゃあ、顕微鏡で細胞見るかー! 宮、先に見ていいぞ。」
「あっ、えーと…。」
野々木くんが、張り切っているのを見て、私は反射的に笑顔を作る。
こっそり、手をどけると、更に血が溢れていた。
ハンカチで押さえようとも思ったのだが、あいにくハンカチは教室に置いてきてしまった。
しまった。どうしよう。
すぐ近くに水道はあるが、彼の言葉に応じないといけない。
「見せろ。」
そのとき、リュシアンが、私の手に触れた。
耳元で、彼の声が響く。
彼の低い声、温かい吐息が耳にかかって、私の胸は高まる。
私より、遙かに大きな手。ゴツゴツとした指。
「バカ。これくらい、アイツに一言言えば良いだけだろ。」
私は、何も言えなくなっていた。身体が硬直して、動けなくて。
こんなの、リュシアンは、誰にでもやっている。私だけのはず、ないもの。
彼は、私の手を取りながら、水道まで連れて行き、傷口に優しく水を当てた。
まるで、王子様とお姫様のように。
彼は、私の手を離さない。
このまま、血が止まらなければいいのに。
いけないことだと、分かっていながらも、私はそう願い続けた。
ずるいよ。
そうやって、私をまた期待させるんだもん。
ぶっきらぼうで、イジワルで、腹黒だけど、たまに見せる優しさが、わたしを混乱させるんだ。
頭の中、彼でいっぱいで、苦しい。
そして、野々木くんが、私達のことを黙ってみているのも分かった。




