第10話 『切ない初デート』
長めです。
「おい、起きろよ。いつまでちんたらしてるんだ。日が暮れちまうだろ。」
耳元で、声がする。低くて、どこか聞いたことのある声。
私は、夢を見ているのだろうか。家にいるのは私だけのはずなのに。
カーテンの隙間から見える朝日が眩しい。私は思わず、目を細く開く。
昨日の大雨が嘘かのように、空は青空で、雀の鳴き声がした。
視界に映ったのは、窓から見える景色だけではない。何か人の影のような、私より、明らかに背の高いがっしりとした男の人が立っていた。
「んー。 ぎゃあ!」
そうだった。私、リュシアンと同棲してるんだっけ。
そのあり得ない現実を思い出し、私は反射的にベットから飛び起きる。何よりも、彼に寝顔を見られたことが恥でしかない。
携帯の時計を見ると、午前十一時を指してた。
慌てて目をこすり、彼が今ここに存在していることが本当なのか確かめようとする。
彼は、あきれたようにため息をついていた。
「はあ、アンタ、オレ様を起こすのが当然だろ。いつもは、メイドに起こしてもらってんだぞ。なんで、アンタを起こさないといけないんだ。」
「ご、ゴメン。お、おはよ。」
「ああ。おはよう。アンタ、早く準備しろよな。」
「準備?」
「服、買いに行こうって、アンタが行ってただろ。もう、忘れたのか。それに、朝の食事がないとはな。まったく、気が利かない奴だな、アンタは。」
彼が、昨日私と話した会話を覚えていてくれる。それだけで何だか、うれしかった。
彼は父親のTシャツと、黒いズボンを着ている。どうやら、あとは行くだけのようだった。
寝癖もなにも無く、昨日と変わらず、見た目三百点満点の彼。
同棲生活の特権である、だらしない姿も本当は見てみたかったまでもある。
「忘れてない! 行く! 朝ご飯も、一緒にたべよ!」
私は勢いよくベッドから起き上がり、急いでキッチンへとむかった。
トースターに食パンを滑り込ませながら、冷蔵庫からジャムを取り出す。
リュシアンは、カウンター越しに私を見下ろして、にやりと笑った。
「あー。腹が減ったな。」
「もう! すぐできるから静かにして!」
私は、『ふんっ』と言いながら、ジャムを素早く塗った。
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「ここから近いショッピングモールは、電車で二十分のところにあるよ。とりあえず駅まで歩こう。」
ようやく、家から出た私達は、歩いて二十五分ほどにある『天音寺駅』へ向かった。この駅は、『無人駅』であり、都会のような改札は存在しない。それくらい田舎なのだ。
歩いていても、三百六十度見渡しても、田んぼしかない。風に揺られたかかしが、少しだけ不気味さを感じさせる。この町は、いつも物静かで、まるで私達しかこの世界にいないみたいだった。
ただ、聞こえるのは、遠くからヒバリの声が、『ピーチュルチュル』と聞こえるぐらいだった。足元では、草むらに隠れた小さな虫たちが『チッ』『ピッ』と鳴き、ほんの少しだけ生き物の気配を感じさせる。
私達の足音しか聞こえないため、無意識に胸が高鳴る。
近所の人とも、すれ違うことはほとんどない。人よりもよく目にするのは、手書きの値札が付いた無人野菜直売所。
小さな木の棚の上に並べられたトマトやナス、きゅうりにズッキーニ。素朴だけどどこかあたたかくて、私はつい立ち止まりそうになる。ここで買うと、近所のスーパーよりずっと安いのだ。
「なんだ、その『でんしゃ』っていうのは。」
「見れば分かるよ。ちなみに私達が住んでるところ、ド田舎だから、覚悟しておいて。」
「どういうことだ。」
私は、悪いことをした子どものように、クスッと笑った。
天音寺駅に着いた。相変わらず、人は誰もおらず、私達は駅のホームへ向かう。『天音寺駅』と書かれた看板は、すこしさびていて、駅の古さを感じさせる。
時刻表を見ると、私はぱっと明るくなった。その表情のまま、彼を見つめる。
「お、あと三十分後だ。よかったー。リュシアン、今日は運が良いよ。三十分待つだけで、電車に乗れちゃうんだから。」
「…それは、本当に運が良いのか?」
彼は首をかしげる。
「もちろんだよ。いつもは、二時間待つときもある!」
私は、そう言いながら、目の前にある景色を眺める。目に映る景色は緑で溢れていた。この駅に行くたび、私は安らぎを覚える。草木が時折、風でなびいているのがみえ、私もそれと同時に瞳を閉じた。
遠くから、農家の人らしき人がトラクターを動かす音が聞こえてきた。ホームの片隅には、ささやかな白い花が咲いていて、線路の脇ではヒバリがひときわ高く鳴いていた。
「アンタ、自分の住んでる場所、好きなんだな。隣いると、すげえ伝わってくる。」
リュシアンの声が聞こえる。目を開けると、彼の白く輝いた髪が風でなびいていた。その言葉と同時に、初夏の風が彼の声を溶かしていくようだった。
私はそれに答える代わりに、微笑みながら、小さくうなずいた。言葉にすると、こぼれてしまいそうだったから。
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「ここが、ショッピングモールってやつか。想像以上にでかいな。」
彼が、初めての大型ショッピングモールをみて、驚きを隠せていない様子。初めて見る場所に驚いている彼が、まるで子どものように目を輝かせているのがなんだか可愛い。私も久しぶりに来たこの場所に、少しわくわくして、キョロキョロと周りを見渡した。
さすが、休日だけあって、老若男女ものすごいひとだ。小さな子どもが騒ぐ声が聞こえてくる。
私の地域で、大きなショッピングモールは、ここら辺しかないため、必然的に人が集まるのだ。
「そうでしょ、そうでしょ! メンズ服、探しにいこ! 私がコーディネートしてあげる!」
私は勢いよく手を振って、彼に向かって走り出した。カートを押しているおばあさんをすり抜け、雑貨屋の間を抜けながら、メンズフロアを目指す。
彼は少し慌てた様子で、後ろから慌ててついてきている。けれど、その顔はどこか楽しげで、私の後ろ姿に目を輝かせているのが分かった。
彼の動きがちょっとぎこちないのが、なんだか可愛らしくて、私は思わず笑みがこぼれた。
店内をぐるりと見渡しながら、私たちはメンズコーナーにたどり着いた。
リュシアンは無造作に何枚かの服を手に取り、気になったものを試着室へと持っていく。
カーテンの向こうで着替える気配を聞きながら、私は近くの椅子に腰掛けて待っていた。
きっと、彼なら何でも器用にこなすだろう。私は、試着室が開くのをワクワクしながら待っていた。
そして、カーテンがさっと開いた。
私は、彼がどのような姿になったのか、目をキラキラと輝かせた。
「お! 着れた? え! 結構似合ってんじゃん! 買いなよ。」
「…いや、オレらしくないな、可もなく不可もなくってかんじ。ちょっと、シンプルすぎるな。」
「うーん、じゃあ、ブラウスをこっちにしてみるとか。」
私は近くにあった、商品を彼に渡す。淡い水色のいかにも夏らしいブラウス。素材の質感も悪くないし、値段もそんなに高くなかった。
彼は、ブラウスを手に取り、眉間に皺を寄せる。
「どう考えても、褐色系とモノトーンは合わないだろ。」
「じゃあこれ!」
「上下柄がバラバラだ。これじゃあ、ガチャガチャするだろう。」
私が次に選んだ服に対しても、彼はすぐに首を横に振った。
何を見せても否定されるので、私は思わずため息をついた。
「…リュシアンって、意外とこだわり強い?」
「別に強くない。アンタの服のセンスがないだけだ。」
男の人と服を選びに来たのは初めてだったけれど、予想以上にパンチが強かった。
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「随分いっぱい買ったね。合計何円位した?」
私たちは今、ショッピングモールの広い通路を並んで歩いている。左右にはガラス張りの店がずらりと並び、ディスプレイには春物の服やアクセサリーが色鮮やかに並んでいた。フロアには、買い物袋を持った親子連れやカップルが行き交い、ところどころから聞こえる音楽やアナウンスが雑踏の中に溶け込んでいる。すれ違う人の香水の匂いがふと鼻をかすめて、私は無意識に呼吸を深くした。
私は、彼が大量に持っているレジ袋をみつめる。一つ一つがパンパンで、今でもはち切れそうだった。紙袋のひとつからは、たたまれたシャツの袖がちらりと覗いていた。
それだけ大荷物だから、私が気を使って『持つよ。』といったのだが、彼は、『アンタの力なんかたかが知れてる。男舐めるな。』と言われてしまった。
断られてしまったけど、その一言がなんだか頼もしく聞こえて、リュシアンの男らしさを感じてしまった私は、思わず胸がキュンとしてしまった。
「まあ、服だけじゃなくて、寝巻きとか、下着も込みだからな。五万は超えただろう。」
「ひゃー。凄いね。」
私は、昨日の着替えの出来事を思い出す。あれだけ過激な下着を身につけていたのだから、今日はどういう物を買ったのだろうか、気になってしまう。
下着を選ぶとき、本当は私も一緒に選びたかった。別に、彼の下着のセンスを間近で見たかったわけではない。決して。
だけど、彼に『アンタは、他の所見てきな。オレは平気だから』と言われ、レディース売り場のほうへ押し返されてしまった。おかげで、彼がどんなものを買ったのかは、今も不明のまま。
気になって、彼の持っている袋をちらりと覗こうとすると、鋭い視線が飛んできた。
「何ニヤニヤしてるんだ。変なこと想像してるだろ。」
リュシアンが不意に立ち止まり、袋を肩にかけ直しながら私をじろりと見た。その目が、からかうように細められていて、私はハッとして顔をそらした。
「はあ!? 変なことってなんだし! してませーんだ。」
私は思わず声を上げて反論するけど、顔がちょっと熱いのは否定できない。焦って言い返す私を見て、彼は私に興味をもつ隙も無く、目をそらした。
「欲求不満なんだな。誰かに満たしてもらえ。オレは知らん。」
彼の、冷静な言葉とは裏腹に、私はほっぺをぷくっと膨らませた。
「誰がよ! ばか!」
言い終えても彼は振り向かず、ひょいと軽く袋を持ち上げて、何食わぬ顔で歩き出す。その背中を見ながら、私は自分の想像していることが急に恥ずかしくなった。
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「へえ、結構豪華なアクセサリーも売ってるんだな。これは、指輪か。」
お昼ご飯を取った後、彼が少し高級な店を見に行きたいといっていたので、三階にある、アクセサリー屋に向かった。
店内はシャンデリアの光で煌めき、ガラスのショーケースが整然と並んでいた。高級感が漂う空間の中で、リュシアンは目を輝かせながら、光り輝いた指輪をじっと見つめている。
「リュシアンって、結構アクセサリーつけるんだ。お、このネックレスいいじゃん。」
私は手に取ったネックレスを彼に差し出す。繊細なチェーンに小さな宝石が揺れて、店の照明を反射してきらきらと輝いていた。
しかし、またもや彼は、眉間に皺を寄せていた。
「やだよ。こんなじゃらじゃらしたやつ。さっきから、アンタのファッションセンスどうなってんだよ。」
「さ、さすがに冗談だし。」
冗談じゃないけど。また、私のセンスのなさがばれたくなかったので、咄嗟に嘘をつく。
隣を見れば、リュシアンは黙々と指輪を選んでいる。目を凝らして、一つ一つ慎重に手に取る姿が、まるで宝石を選ぶ王子様のように見えて、そのたびに胸が高鳴る。
まさか私のために、サプライズ…? なーんちゃって。
「桃香、こういうの好きかな…。あ、もっとシンプルな方が喜ぶな…。」
自分の名前が呼ばれたので、私はぱっと彼の方を見た。
違う。
彼が、私の名前を呼ぶ。でも、それは、私じゃない。
ハートのガラスがガシャン、とわれた気持ちになる。
彼が、楽しそうに指輪を選んでいる。目を輝かせて、いかにも楽しそう。
やだ。私ったら。
そんなの最初から、分かっていたはずなのに。
今日、私とのデート、楽しんでくれてたから、ちょっとは距離が縮まったと思った。
そうかもしれないけど、そうじゃない。
彼は、自分の世界に帰ったら、私の事なんか忘れて、『私』を選ぶんだ。
その事実が、凄く切なくて、私は彼の前で何もいえなくなった。




