第17話「やるなら全力だろ!」
俺は迷わず首を横に振った。
「やるなら全力だろ!」
聖海ちゃんは最初から答えを知っていたかのように微笑む。
「そう言うと思った。恨まないでね」
幾ばくかの静寂。そして、スタートの合図が鳴る。俺たちは一斉に走り出す。にわかに沸き立つ観客席、応援の声が飛び交っている。聞き取れはしないけれど、きっと俺や花組を応援してくれる声もたくさんあるのだろう。期待には応えたい!
無我夢中で走った。心臓を破る、という比喩表現があるけれど、まさにそんな心地だった。前へ、前へと足を進める。聖海ちゃんは……驚くほど遥か前方を走り、今まさに星組二番目の走者へとバトンを渡している。競り合うことも叶わないほど、明確な実力差があった。それでも最後まで全力で走り切り、俺も花組二番目の走者へとバトンを繋いだ。
「――っ!」
それなりの達成感と悔しさで、うまく言葉が出てこない。ばくばくと高鳴る心臓を落ち着かせるため、俺はコースの内側に避けて歩き始めた。徐々に身体は疲労から回復してゆく。余裕が出てきて、現在の戦況に目をやることができた。星組は一番手の聖海ちゃんが大幅にリードした分をほぼキープしたまま独走状態。次いで花組、宙組、月組、雪組……と残りの四クラスはほぼ互角だ。若干花組が優勢だろうか?
「畔」
すっかり呼吸を整え終わった聖海ちゃんが、いつも通りの涼しげな声で俺の名前を呼ぶ。
「聖海ちゃん、お疲れ様。すっげえ速かった……聖海ちゃんって何者? 実はアスリートの人?」
「そうかもね」
聖海ちゃんは肩をすくめて軽く受け流す。そうして二人並んで、理事長杯リレーの行方を見守った。
アンカーである高等部三年の先輩たちが本気の走りで駆け抜け、そして順位は決定する。一位から星組、花組、月組、宙組、雪組という結果となった。
「悔しい……けど、さすがに完敗だ! 聖海ちゃんマジですごかった!」
「ありがとう」
「来年はリベンジする!」
「同じクラスにならなければね」
確かに聖海ちゃんと同じクラスになったら俺は理事長杯リレーには出られないだろう。
「さて、総合点の集計が始まるな……」
総合結果は閉会式の最中に発表される。理事長杯リレーの参加者以外の全校生徒もグラウンドに降りてきて、開会式と同じくクラス別に整列した。
体育祭実行委員からの言葉や、体育の担当の先生方による労いの挨拶などで時間稼ぎをしている間に集計係は得点ボードの準備を進める。彼らの用意が整った頃、理事長様からの挨拶が始まった。誰もが真剣に取り組んで競い合ったことへの称賛を丁寧に、しかし簡潔に表し、理事長様は得点ボードに目を向ける。
「では、実行委員長の仲村さんに結果の読み上げをお願いしましょうか」
理事長様からのご指名で体育祭実行委員会の委員長である仲村先輩がマイクを受け取る。
「総合結果の発表です! 結果は――」
閉会式を終え、生徒たちはみな帰り支度を始めていた。
俺たち花組は……なんと優勝していた。理事長杯リレーでは圧倒的な差を見せつけた星組だったが、そこに至るまでのトータルの点数は花組が上回っていたらしい。
「楽しかった……けど疲れた……、あと腹減った!」
全力で運動をするとお腹がすくものだ。俺は思いつきの提案を口に出してみた。
「なぁ、打ち上げも兼ねてどっか飯食いにいかない?」
「行く! ……あっ、小桃すごく行きたいけど、汗かいてるし、体操着だし……」
確かに小桃ちゃんの言う通りだ。今の状態では飲食店には入りづらい。
「一旦家に帰って再集合にしようか?」
「それなら行けるかも! ちょっと支度に時間かかっちゃうかもだけど、いい……?」
「いいよ、身だしなみは気になるもんな? 他に行きたい人居るなら挙手してー」
瑠璃羽ちゃんはちょっと悩んでから手を挙げた。
「行きたいのですが、家族の許可が取れるか分かりませんわ」
「じゃあご家族の方に連絡入れてみてくれる?」
「ええ。もし無理そうでしたら、畔さんにLINEしますわね」
「吉田さんと増田さんは?」
俺は仲良く話している最中の吉田さんと増田さんにも話を振ってみた。
「私と吉田くんは二人で行くことにしてたから、今回はパスで。また誘ってね」
「またね。お疲れ様!」
増田さんと吉田さんはそれぞれそう言って先に席を立った。おや……? とニヤニヤしそうになったが、要らぬ横やりはやめておこう。
俺たち三人も荷物をまとめて立ち上がり、運動場を出た。駅へと向かう道中、閑も打ち上げに参加する? と家族LINEにメッセージを飛ばしてみると、「雪姫ちゃんと行くことにしたから別行動で。そちらも楽しんで」と返ってきた。雪姫ちゃんのことを雪姫ちゃんと呼んでいる……いつの間に仲良くなったのだろう?
そう思っていると前方に目立つ人の姿を見つけた。
「あ、聖海ちゃん!」
俺が呼び止めると、聖海ちゃんは立ち止まってこちらに振り向いた。
「畔。お疲れ様」
「聖海ちゃんも打ち上げ来ない? ここのお店を予定してるんだけど」
俺は聖海ちゃんにスマホの画面を見せた。打ち上げ参加者の自宅のほぼ中間地点となる地域の中から探し出したファミレスを映した検索画面だ。今日は聖海ちゃんもバイトはないはずだし、来れるのなら来てほしい。
「……」
聖海ちゃんはちょっと困った顔をした。
「あ、用事あるなら無理には……」
「…………ううん、行く」
何かを迷っていたようだったが、最終的に聖海ちゃんは参加の意向を示した。
「よかった! じゃあ七時に現地集合でよろしく」
「うん」
***
帰宅すると、風呂場には閑が先に入っていた。
「おかえり畔。二人して外で夕ご飯? 珍しいね」
リビングで早めの夕食を終えた母さんに声をかけられた。
「ただいま母さん。そう、別々で飯食ってくるの。でもちょっとお腹すいたし、なんかつまんでもいい?」
「お父さんが作ってくれた生春巻きがあるよ」
「わぁい」
さっと手を洗って戻り、斜めにカットされたハーフサイズの生春巻きをかじる。海老とアボカドの旨味、スイートチリソースの味付けがぴったりだ。おしゃれなお店で出てくる料理と遜色ない。
「父さんの飯マジで最高」
「ライスペーパーは市販のやつだって言ってたけどね。打ち上げって誰が来るの?」
「ほぼ勉強会メンバーかな」
女の子の名前ばかり列挙するのも……と思ったので、ふんわりとぼかした。
「仲良しだね。帰り、暗いから気をつけなさいね」
「ありがとー、気をつける」
生春巻きを食べ終え、まだ風呂場から出てこない閑を待ちながら服を考えることにした。今日は何を着ていこう? 私服で学校のみんなと会うのは錬成会以来かもしれない。季節も移り変わったので、錬成会のときとは違う服が着られる。クローゼットを前にコーディネートを考えていると、閑から声がかかった。
「畔、お風呂空いたよ」
「すぐ行く!」