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満つ欠く

作者: 美亜ナリヤ

「……準備はいいかね」

 冷厳な言葉がぽつりと投げかけられる。

 私は黙ってその言葉に頷いた。冷水で体を清め、薄く化粧も施し、真白の襦袢も身にまとった。準備はとうに出来ている。心の準備だって――。

 やかましく潮騒の音が鳴り響く。びゅうと吹く寒風に乗って飛沫が私の頬をかすめた。

 眼前に広がる海をじっと見つめる。左右を岩壁に挟まれた入り江の先に三つの巨岩がある。ごつごつとした岩肌に、尖った先端。それはまるで、三本の角のようであった。

「では、船に乗りなさい」

 村の長に促され、私はそっと砂浜に置かれた船の上に乗った。そして船の腹辺りに正座をして、しゃんと姿勢を正す。

「それでは、……行ってきなさい」

 この言葉を合図に、数名の男衆が船の後方を力いっぱい押す。船はズズズと地面に擦れる音を立てながら進み、やがて海面に着水した。ザブンと船は軽く揺れる。

そして、最後のひと押しと言わんばかりに思い切り押され、船はすいーと海面を滑り出した。

 後方を振り向いて見送る人たちを眺める。目に衝く人の大半は私を憐れむように愛おしみの情を浮かべている。とりわけ父と母に関しては、粛々と顔を伏せ涙を流し、互いに肩を寄せ合いながら悲しみに暮れている様子だ。それを見て私は、ぷるぷる震え出す瞼をぎゅっと瞑り、感情を殺して無表情に努めた。

 夜闇に遮られ、人々の顔が見えなくなった所で、私は正面を向いた。遠くの三本の角がこちらに迫り来ていた。



 三角様。

 これから私が供物して捧げられる神様の名だ。その名の通り三本の強堅な角を有し、この村の守護神として古くから信仰され続けてきた存在である。

 三角様の持つ三つの角、これにはそれぞれに霊験が込められていると言い伝えられている。私の前方にそびえる尖鋭な巨岩がその象徴とされ、向かって右に見える角が無病息災、左に見える角が安寧秩序、その中央奥に位置する角が大慈大悲の名を持つ。

 この三角様が御力による御利益あって村は平穏を保たれており、大層な信奉を集めているわけだが、その代償として村人は貢物を捧げなければならない。それは、まだ成人を迎えていない生娘の中から、年に一度呪いにて選定された少女。この人身御供として、今年は私が選ばれてしまった。

 この入り江の入口、丁度三本の角が形成する三角形の中央に、毎年同じ時期に発生する渦潮の中へと、これより私は身を投じることになっている。



 ざあざあ波風が騒ぎ立てている。

 私は何気なく空を仰いで月を眺めてみた。今宵は満月の夜。なのに楚楚と天上に懸かっているはずの月は、黒灰の雲に隠され、朧月夜の体となっている。

ぼんやりと淡いその光景は、死への恐怖と生への諦めの間を緩慢に揺れ動く、今の私の複雑な心境を如実に映しているように見えた。どっちにも触れずにじわじわと、意識は滲みその形を崩していく。

 次第に、ゴオーッと荒々しい音が耳に入ってきた。渦潮に近づいてきたのだ。

 いよいよだ。私は彼の世に通じる渦中へ飛び込むのだ。

 がくん、と船が大きく揺れた。それを契機に船は急速に速度を速めた。ついに渦潮に突入したのだ。

 無病息災の角が眼前に迫ったかと思ったら、ぐぐっと船は強引に方向転換を強いられた。そのまま視界は中央・大慈大悲、左方・安寧秩序を瞬く間に過ぎ、目まぐるしく移り変わる。

 渦流の無理矢理な舵取りに耐えられなかったのか、船はついに横転してしまった。私は為す術も無く、船から放り出される。一瞬目の端に捉えた中空は、色濃く雲に覆われていた。美麗な満月はとうとう顔を見せてはくれなかったのだ。なんとなく、それが残念に思えた。

 どぽん、という音と共に私は水中に飲まれた。猛る水の流れに為されるがまま流され、海底へと沈んでいく。ずぶずぶずぶ、緩やかな落下だった。

 ――――どこまで沈んだだろうか。なけなしの意識の中そっと目を開けた。

 ああ、……暗い。なんて、……冷たい。とても、……痛い。すごく、……苦しい。

 三角様はいつ来るのだろう。もういい。もう嫌だ。どうせなら出来るだけ早く、私を――。

ゆらりゆらりと海藻のように水中をたゆたう。

 ふと視界の端に影が映った。それが何なのか、分からない。すでに視力はほとんど用を足さなくなっていたし、思考もひどく混濁していた。

 …………三角様がやっと来てくれたのだろうか。

 ぐんぐんとかなりの速さでこちらに近づいて来る。それが眼前にまで来て、ようやく正体が分かった。

 それは頭上に金剛の角を持つ、巨大な怪魚であった。

 体長は優に十五尺はあるだろうか。私の矮躯など、きっとこの大きな口で一飲みであろう。

 なるほど、これが三角様か。

 ならば私はもう、三角様に数秒も待たずに食べられてしまうに違いない。出来れば痛みを感じる間もなくやってほしいと願う。

 ふと、そこで気が付いた。三角様の頭から生えている角、よく見てみると二本しかなかった。左右から伸びる内反り気味の角だけで、その中央にはそれらしい物は見られなかった。

 ……慈悲なんて、無いじゃな――ゴボッ。


割とベタな話かもしれないけど、その中でもちょっとだけ捻ってみました。

一言でも結構ですので、感想をもらえたら幸いです。

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