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第90話 創世の剛拳(ジェネシス・インパクト)


 王都の中心にある大広場は、かつてないほどの熱気と殺気に包まれていた。

 夕闇が迫る空の下、松明の炎が揺らめき、数千を超える獣人の民衆がひしめき合っている。彼らの瞳に宿っているのは、理性を焼き尽くすほどの強烈な憎悪だった。


「人間に死を!」


「我らが同胞を殺した卑劣なテロリストめ!」


「王子気取りの侵略者を追い出せ!」


 怒号が渦を巻き、石礫いしつぶてが雨のように降り注ぐ。

 その標的となっていたのは、広場の中央、一段高い噴水の縁に立つ三人の人影だった。


 フィリスティアの第2王女、アナ。

 チャタルの王女、テト。

 そして、フィリスティアの男爵にして、この国の英雄と謳われたはずの7歳の少年、ベル・シレイラ。


 数時間前にスラム街で発生した大規模な爆発。

 その黒煙がまだ空に燻る中、街中にはヴォルフガングの部下たちによって巧妙なデマが流されていた。


 『人間の少年ベルが、証拠隠滅のためにスラムを爆破した』


 『多くの無辜むこの民が巻き添えになった』


 恐怖と混乱は、瞬く間に怒りへと転化した。ヴォルフガングが長い時間をかけて植え付けた「人間への不信感」という種が、爆発をきっかけに最悪の形で芽吹いたのだ。


「下がっていてください、アナ、テト」


 飛んでくる石を、見えない魔力の壁で弾きながら、ベルが静かに告げる。

 その背中は小さいが、決して揺らぐことはない。


「冗談じゃないわ! 私があなたを置いて隠れるなんて、フィリスティア王家の名折れよ!」


「そうだニャ! 旦にゃさまを守るのは、妻の務めだニャッ!」


 アナがドレスの裾を翻してレイピアの柄に手をかけ、テトが威嚇するように牙を剥く。

 だが、群衆の数はあまりに多い。このままでは暴動に飲み込まれるのは時間の問題だった。


 その時。

 広場の向こうから、重厚な軍靴の音が響き渡った。


「――そこまでだ、罪人どもよ」


 群衆が波が引くように道を空ける。

 現れたのは、黒塗りの重装歩兵を従えた、ヴォルフガング将軍だった。

 彼は豪奢な軍馬に跨り、勝ち誇ったような笑みを浮かべてベルを見下ろしている。その瞳には、獲物を追い詰めた狼の残忍な光が宿っていた。


「ヴォルフガング将軍……!」


「民よ、聞け!」


 ヴォルフガングが朗々と声を張り上げる。その声は、広場の隅々まで届くよう魔術で拡声されていた。


「この少年、ベル・シレイラは、我らが王の慈悲を裏切り、あろうことか王都内で爆破テロを敢行した! その目的は、彼自身が関与していた武器密輸の証拠を隠滅するためである!」


 おおおっ、と群衆がどよめく。

 嘘だ。全てがデタラメだ。だが、今の興奮状態にある民衆にとって、それはあまりにも「分かりやすい真実」だった。


「さらに彼は、我が国の姫君たちを人質に取り、ここでの籠城を図っている。……嘆かわしいことだ。英雄の仮面を被った、ただの侵略者だったとはな」


 ヴォルフガングが芝居がかった動作で首を振る。

 ベルは、静かにその巨躯を見上げ、澄んだ声で問いかけた。


「……それが、あなたの描いたシナリオですか、将軍。僕たちを罪人に仕立て上げ、正義の執行者として王座に近づく。随分と、安っぽい脚本ですね」


「黙れ小僧!」


 ヴォルフガングが一喝する。


「貴様の言い訳など聞き飽きた。死人に口なし……いや、国家反逆罪および大量殺人の現行犯として、ここで即刻処刑する! 全軍、構えッ!」


 ジャキッ!


 数百の兵士たちが、一斉に槍を構え、弓を引き絞る。

 絶体絶命の包囲網。

 テトがベルの前に飛び出し、アナが風魔法の輝きを纏う。

 だが、ベルだけは動じなかった。

 彼は静かに目を閉じ、小さく呟いた。


「……遅いですよ、みんな」


 ヴォルフガングが処刑の号令をかけようと、手を振り上げたその瞬間だった。


 ズドンッ!!


 乾いた銃声が、広場の空気を引き裂いた。

 ヴォルフガングの乗る軍馬の足元、その石畳が弾け飛ぶ。馬がいななき、将軍の体勢が崩れた。


「なっ、何事だ!?」


「待たせたな、ベル! 特大の土産を持って帰ってきてやったぜ!」


 広場の北東。人垣を強引にこじ開けて現れたのは、満身創痍の三人の少年少女だった。

 全身煤だらけで、服はあちこち焦げている。だが、その瞳だけは爛々と輝いていた。


「ウール! ヘレン! フィン!」


 アナが叫ぶ。

 先頭に立つウールは、肩で息をしながらも、不敵な笑みを浮かべていた。その手には、黒く焼け焦げた一束の紙が握りしめられている。

 ヘレンは裸眼のまま、鋭い視線で兵士たちの動きを牽制し、フィンは槍を杖代わりにして立っているのがやっとの状態だった。それでも、彼らは帰ってきたのだ。死の爆発を潜り抜け、真実を掴んで。


「ちっ……警備の兵は何をしていた! スラムのネズミどもを通すな!」


 ヴォルフガングが焦燥を露わにする。

 だが、ウールは止まらない。彼は魔銃で威嚇射撃を行いながら、一直線にベルの元へと走る。


「どけぇッ! 英雄のお通りだ!」


 ヘレンが魔眼を見開き、兵士たちの動きを先読みして指示を飛ばす。

 フィンが無詠唱で透明な結界を展開し、降り注ぐ矢を虚空で叩き落とす。


 そして。

 ウールが、噴水の縁に滑り込んだ。


「受け取れ、ベル! 命がけのスクープだ!」


 放り投げられた紙束。

 ベルはそれを空中で鮮やかにキャッチすると、ウールたちに向けて深く頷いた。


「……お疲れ様です。あとは、僕に任せてください」


 ベルは一歩、前へ出た。

 手の中にあるのは、端が焼け焦げ、煤で汚れた数枚の書類。

 ヴォルフガングは鼻で笑った。


「はっ! 何を出すかと思えば、そんなゴミ屑で命乞いか? 見苦しいぞ!」


「ゴミ屑、ですか。……ええ、確かにあなたにとっては、消し去りたい汚点でしょうね」


 ベルは静かに、しかし広場全体に響く声で告げた。


「皆さん、真実を見てください。――『投影魔術プロジェクション』」


 ベルの魔力が、手元の書類へと注ぎ込まれる。

 彼が持つ『工房魔法』の応用。物質の構造を解析し、情報を光として拡張する術式。

 ベルは前世の記憶――映画館の巨大なスクリーンをイメージし、それを夜空へと焼き付けた。


 カッ……!


 ベルの手元から、目も眩むような強烈な光が溢れ出した。

 それは無秩序な光ではない。幾億もの光の粒子が、空中で整列し、夜空という巨大なキャンバスに映像を描き出し始めたのだ。


「な、なんだあれは……!?」


「空に……絵が?」


 民衆が息を呑んで見上げる。

 夜空に浮かび上がったのは、巨大な、あまりにも鮮明な「文書」の映像だった。

 スラムの地下工房で見つかった発注書。

 そこには、武器の製造数、納期、そして裏金の流れが詳細に記されている。

 ベルは指先を指揮者のように動かし、映像を拡大した。

 文字の一つ一つ、インクの染みまでもが、数十メートル四方のサイズで映し出される。


「これは、先ほどの爆発があったスラムの地下工房に残されていた記録です。ここでは、フィリスティア製の武器を模した『贋作』が大量に製造されていました」


 ベルの解説に合わせて、今度は贋作武器の設計図が投影される。


「チャタル産の鉄鉱石使用」


「ミスリルコーティング処理」


「継ぎ目の隠蔽工作」


 職人が書き込んだメモまでもが、残酷なほど克明にさらけ出された。


「そして、この大量の発注を行った人物。その署名が、ここにあります」


 ベルが指を弾く。

 文書の末尾、承認欄がズームアップされた。

 そこに押されていたのは、誰もが知る、荒々しい狼の意匠。

 第一将軍、ヴォルフガングの私印だった。


 静寂。

 広場を埋め尽くす数千の民衆が、言葉を失った。


「ば、馬鹿な……!」


「合成だ! 捏造だ! そんな子供騙しの……!」


 ヴォルフガングが叫ぶ。だが、その声には明らかな焦りの色が混じっていた。

 ベルは冷徹に畳み掛けた。

 次に投影されたのは、昨夜の襲撃事件で使われた凶器――現場に落ちていた「フィリスティア製の短剣」の拡大図と、工房の設計図の比較映像だ。

 二つの画像が重なり合い、完全に一致することを示す赤いラインが引かれる。


 その時、群衆の中から、包帯を巻いた一人の若い獅子獣人が叫んだ。

 昨夜襲撃され、重傷を負った被害者だ。


「……これだ。俺を刺した短剣……柄の裏に、この図面と同じ『星形の傷』があった! 俺は見たんだ! 俺たちを襲ったのは、将軍の部下だッ!」


 その叫びは、導火線に火をつける最後の一撃となった。

 沈黙は、どよめきへ。

 どよめきは、爆発的な怒りへ。


「俺たちを……騙していたのか!?」


「自作自演で、同胞を傷つけたのか!」


「説明しろ、ヴォルフガングッ!!」


 先ほどまでベルに向けられていた殺意が、くるりと反転し、その切っ先をヴォルフガングへと向けた。

 仮面は剥がされた。

 正義の英雄を演じていた男の顔は、今や保身と恐怖に歪んだ、醜い裏切り者のそれだった。


「……終わりですね、将軍」


 ベルが映像を消し、静かに告げる。

 追い詰められたヴォルフガング。その肩が、小刻みに震え始めた。

 いや、それは恐怖による震えではない。

 もっとおぞましい、内側から溢れ出す何かの胎動だった。


「……終わり? 誰がだ……?」


 ゴゴゴゴゴゴ……ッ。


 ヴォルフガングの身体から、漆黒のもやが立ち上る。

 それは闘気ではない。生物が持つ生命力とも違う。

 もっと異質で、禍々しく、冷たい闇。


「貴様さえ……貴様さえいなければァッ!! オオオオオオオッ!!」


 ヴォルフガングが咆哮した瞬間、その肉体が爆発的に膨張した。

 全身の毛が針金のように逆立ち、筋肉が鎧を弾き飛ばす。

 瞳からは理性の光が消え、代わりに赤黒い狂気が宿る。

 そして、その全身を覆うように噴き出したのは、粘着質な『どす黒い魔気』だった。


「な、なんだあの姿は……!」


「化け物だ……!」


 民衆が悲鳴を上げて逃げ惑う。

 ベルの脳裏に、ある記憶が蘇った。

 かつてフィリスティア王国の王都エクロンで対峙した、聖騎士ガラハド。

 彼もまた、正義を騙り、最後にはこのどす黒い力に飲み込まれて暴走した。

 あれと同じだ。

 この国にも、あの闇の勢力の手が伸びているのか。


「死ねェッ! ベル・シレイラァァァッ!!」


 理性を失った怪物が、ベルに向けて跳躍した。

 その速度は音速を超え、纏った魔気が空間ごとベルを腐食させようと迫る。

 だが。


「……やはり、あなたもその力に手を出していましたか」


 ベルの瞳に、哀れみと、冷徹な断罪の色が浮かぶ。

 左手が、腰に提げた『黒鉄ヴォイド・イーター』の鞘を掴む。

 右手が、柄に吸い込まれるように添えられる。


 ――抜刀。


 キンッ。


 澄んだ金属音が響いた瞬間、世界から音が消えた。

 ヴォルフガングの爪が、魔気が、殺意が。

 全て、ベルの鼻先数センチで静止していた。

 漆黒の刀身が、ヴォルフガングの一撃を受け止めるどころか、その身に纏う「どす黒い魔気」を喰らっていたのだ。

 『黒鉄』の能力、魔力喰らい。


「力に溺れ、魂を売った。……今のあなたは、王の器ではありません。ただの魔獣です」


 ベルが手首を返す。


 ズドォォォォンッ!!


 衝撃波が炸裂し、ヴォルフガングの巨体が弾き飛ばされた。

 広場の石畳を削りながら転がり、噴水の台座に激突してようやく止まる。魔気は霧散し、彼は元の大きさに戻りながら、白目を剥いて気絶していた。


 たった一撃。

 完全なる決着だった。


 その時、広場の入り口から、黄金の獅子の紋章を掲げた正規軍が現れた。

 その中心で、獣王ケルヌンノスが厳かに歩み出てくる。


「……見事だ、我が盟友ベル・シレイラよ」


 王の合図で、兵士たちがヴォルフガングを拘束する。

 ケルヌンノスはベルの前に立つと、深く頷いた。王の威厳ある姿に、広場の騒乱は静まり返る。だが、民衆の瞳にはまだ戸惑いが残っていた。フィリスティアの武器への不信感、人間への恐怖が完全に消えたわけではないのだ。


 ベルはそれを察し、『黒鉄』を納刀すると、王に向かって、そして広場の民衆に向かって声を張り上げた。


「獣王陛下、そしてチャタルの民よ!」


 7歳の少年の声が、凛と響き渡る。


「ヴォルフガング将軍が作ったのは、拙劣な贋作に過ぎません。フィリスティアの技術は、あのような脆いものではない。……真のフィリスティア王国製の武具を、ここにお見せしましょう」


 ベルが両手を広げる。

 発動するのは、『工房魔法』の真髄。

 彼の魔力が、大気中の元素を集め、再構成し、神話の領域にある金属を錬成していく。黄金の粒子が渦を巻き、ベルの手の中で一つの形を成していく。


「盟約の証として、これを陛下に捧げます」


 カァァァァッ……!!


 ベルの手の中に現れたのは、黄金とも白銀ともつかない、神々しい輝きを放つ一対の籠手ガントレットだった。


 伝説の金属、オリハルコン。


 さらにそこには、最高位の防護術式と身体強化の魔術が、芸術的な緻密さで刻み込まれている。

 その輝きは、夜の広場を昼間のように照らし出し、見る者の魂を震わせた。


 ベルは静かに、その名を告げた。


「――その名は、『創世の剛拳ジェネシス・インパクト』。王の拳は国を拓き、民を守る盾となる。陛下の御手にこそ相応しい」


「『創世の剛拳ジェネシス・インパクト』……神話級の輝きか……!」


 ケルヌンノス王でさえ、その圧倒的な魔力と美しさに目を細め、震える手でガントレットを受け取った。

 それは武具でありながら、一つの奇跡の結晶だった。

 贋作騒動で汚された「フィリスティア製」のイメージを、たった一つで塗り替え、遥か高みへと昇華させる至高の一品。


 王がそれを両腕に装着し、天高く掲げると、『創世の剛拳』は呼応するように光の柱を立ち上らせた。

 王城よりも高く、夜空を貫く希望の光。


「おおぉぉぉ……!」


「なんて美しいんだ……」


「これが、本物……」


 憎悪に染まっていた民衆の顔から、険しい色が消えていく。

 代わりに浮かんだのは、畏怖と、尊敬と、そして感動だった。

 誰からともなく、その場に膝をつく。


 一人、また一人。


 やがて広場を埋め尽くす数千の獣人が、小さな英雄と、その手から生み出された奇跡の前に跪いた。


 鳴り止まない歓声と拍手。

 その中心で、ベルはテトとアナに挟まれながら、どこか照れくさそうに微笑むのだった。



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