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第89話 贋作の出処


 獣人王国チャタル。

 南方の湿った風が吹き抜けるこの国の王城には、今日もじりじりと肌を焼くような強い日差しが降り注いでいた。王からの密命を受けた翌日の午後。離宮の庭園は、嵐の前の静けさとも言うべき、奇妙な空気に包まれていた。


 手入れされた緑の芝生の上に、周囲の荒々しい空気とは不釣り合いな、優雅極まりない白亜のティーテーブルが置かれている。


「……まったく、信じられないわ。チャタルのパティシエは砂糖の分量も知らないのかしら? このクッキー、舌触りがザラザラしていて、とても喉を通りそうにないわ」


 豪奢なドレスの裾を揺らし、わざとらしく溜息をついたのは、フィリスティア王国の王女、アナだった。

 彼女は食べかけのクッキーをカタリと皿に戻すと、不満げに扇子を仰ぐ。その態度は、典型的な「異文化に馴染めない我儘な王女」そのものであり、周囲の兵士たちの神経を逆撫でするには十分だった。


「そうかニャ? あたしはこれくらい歯ごたえがある方が好きだニャ。それに、文句を言いながらもう三枚目だニャ」


 その隣で、ひょいと身を乗り出してクッキーを口に放り込んだのは、この国の王女、テトだ。

 彼女は猫のような耳をピコピコと動かしながら、アナに向けて勝ち誇ったようにニヤリと笑う。そして、テーブルの主賓席に座る小柄な影へと、甘えるように体を寄せた。


「ねえ、旦にゃさまもそう思うでしょ? チャタルのお菓子も捨てたもんじゃないって」


「ちょっ……! テト! その『旦にゃさま』って呼び方、やめなさいよ! 図々しい!」


「ふふん、事実は小説より奇なり、だニャ。旦にゃさまはあたしたちの国の英雄だニャ。チャタル王家としては、いつお婿に来てくれても大歓迎だニャー」


 火花を散らす二人の王女。

 その中心にいるのは、豪奢な椅子に深く腰掛けた、わずか7歳の少年だった。


 黒髪に、どこか全てを見透かしたような深い瞳。幼い容姿ながら、その身に纏う空気は歴戦の将軍のように静謐で重厚だ。

 彼こそが、フィリスティア王国の男爵にして、先日、獣王ケルヌンノスとの決闘に勝利し、盟約を結んだ英雄――ベル・シレイラである。

 彼の傍らには、黒い刃の日本刀『黒鉄ヴォイド・イーター』が立てかけられていた。


「二人とも、あまり大きな声を出さないでください。……喉が渇いてしまいますよ」


 ベルは静かに微笑み、ティーカップを口元へ運んだ。

 その言葉遣いは、7歳の少年とは思えないほど洗練されていた。


「それに……あまり騒ぐと、彼らを刺激しすぎてしまいますからね」


 ベルが視線を向けた先――庭園を取り囲む回廊や屋根の上には、武装した獣人兵たちの姿があった。

 彼らはヴォルフガング将軍の息がかかった監視兵たちだ。昨夜の「若者襲撃事件」の噂を信じ込んでいる彼らの眼には、ベルたちに対する強烈な警戒心と、隠しきれない敵意が宿っていた。


(あの少年が……若者たちを闇討ちさせた黒幕か)


(見ろ、あのふてぶてしい態度を。我々の同胞を傷つけておきながら、優雅にお茶会とはな)


(だが、ここにはフィリスティアの王女と、我らがテト姫様もいる。下手に手出しはできん……)


 兵士たちの意識は、完全にこの「王族と英雄のお茶会」に釘付けになっていた。彼らはベルの一挙手一投足を見逃すまいと、血走った目で監視を続けている。

 それが、ベルたちの狙いだった。

 光が強ければ強いほど、影は濃くなる。自分たちが派手に振る舞い、敵意を一心に集めれば集めるほど、彼らの意識の死角は広がるのだ。


 ベルは紅茶の香りを楽しむふりをしながら、カップの縁越しに周囲の気配を探った。


(北側の見張り、三名。東の塔に狙撃手一名。……全員の意識が僕たちに向いています。これなら、裏の鼠一匹通さないつもりでしょうが……逆ですよ)


 ベルは心の中で、闇を駆ける仲間たちに呼びかけた。

 王から託された密命。ヴォルフガングが仕組んだ「自作自演」の証拠を掴むため、すでに別動隊は動き出している。


(頼みましたよ、ウール、ヘレン……そしてフィン)




 同時刻。王都の地下深くに広がるスラム街『古錆街フルサビガイ』。

 地上でのベルへの敵意など嘘のように、ここはただ、生きるための欲望と腐敗だけが渦巻いていた。湿った腐敗臭と、鉄の錆びる匂いが混じり合った独特の大気の中を、三つの影が疾走していた。


「……へっ、チャタルの裏道も、俺の故郷と大して変わらねえな。金か力、どっちかがありゃ通れるって寸法だ」


 先頭を行くのは、潜入組のリーダーを務めるウールだ。

 彼は愛用の魔銃を指先で回しながら、慣れた足取りで汚水の水たまりを避けて進む。今回は裏社会の歩き方を知り尽くした彼が道案内を担っていた。


「ウール、無駄口を叩いている場合ではありません。……標的の店まで、あと少しです」


 その背後で冷静に告げたのは、ヘレンだった。

 彼女のその露わになった双眸そうぼうは、通常の人間の視界とは異なる情報を捉えていた。


 魔眼魔法。


 彼女の眼には、空間に漂う微量な魔力の残滓や、壁の向こうに潜む生命反応が、色付きの輪郭として映し出されている。彼女にとって、入り組んだスラムの迷路も、透き通ったガラス細工のように見通せていた。


「……周囲に伏兵はいません。ですが、目的の建物の地下から、金属音が響いています」


「工場の稼働音か。当たりだな」


 最後尾を守るフィンは、何も言わずに頷いた。

 彼は武器を構えていない。だが、その全身からは、仲間になにかあれば即座に反応できるような、張り詰めたバネのような気配が漂っていた。

 彼の役目は「守護」。攻撃的なウールと、探索に集中するヘレン。この二人が背中を気にせず動けるよう、あらゆる脅威を未然に防ぐのが彼の仕事だ。


 三人は、路地の突き当たりにあるボロボロの店舗――表向きは古道具屋を装った建物にたどり着いた。ここが、昨夜の襲撃犯が「偽の証拠品」を調達したと目される場所だ。

 ウールが乱暴にドアを蹴り開ける。


「いらっしゃい……って、なんだお前らは」


 店番をしていた禿鷹ハゲタカのような姿の獣人が、驚いて椅子から転げ落ちそうになった。

 店内には、ガラクタに混じって、見覚えのある意匠の剣や槍が無造作に置かれている。

 フィリスティア王国の紋章が入った武器だ。昨夜、襲撃現場にわざとらしく残されていたものと同じ型である。


 ウールは陳列棚から一本の剣を抜き放ち、刀身を指で弾いた。

 キィン、と高く澄んだ音が響く。


「へぇ、いい音させやがる。見た目は完全にフィリスティアの騎士剣だ。……どうだ、ヘレン」


 ウールが剣をヘレンの方へ向ける。

 ヘレンは瞬きもせず、その剣を直視した。

 彼女の魔眼の中で、幾重もの情報ウィンドウが展開される。


『材質構造解析』


『魔力伝導率測定』


『製造年代推定』


「……贋作フェイクです」


 ヘレンの断定的な声が響いた。


「外見の細工は完璧ですが、素材が違います。これはフィリスティア産の鉄ではありません。チャタル国内の鉱山で採れる安価な鉄鉱石を、変質させ、表面だけをコーティングしたものです。……それも、製造されてから三日も経っていません」


「なっ……!?」


 店主の顔色が青ざめる。ヘレンの分析は冷徹かつ正確だった。


「つまり、こいつは『チャタル国内で作られた偽物のフィリスティア武器』ってわけだ。ヴォルフガングの野郎、こいつを自作自演でばら撒いて、ベルたちに濡れ衣を着せたんだな」


 ウールが銃口を店主に向ける。

 逃げ場を失った店主は、悲鳴を上げながらカウンターの下へ潜り込み、隠しレバーを引いた。

 ガコンッ、と床が抜け、店主の姿が闇へと消える。


「逃がすかよ!」


 ウールが舌打ちし、その穴へと飛び込む。ヘレンとフィンもそれに続いた。




 滑り落ちた先は、広大な地下工房だった。

 熱気。油の匂い。そして、慌てて逃げ出した工員たちの残した作業の痕跡。

 そこには、言い逃れのできない証拠が山のようにあった。

 ヴォルフガングの私印が押された大量の発注書。偽造武器の製造マニュアル。そして、出荷を待つ数千本の贋作武器。これさえあれば、城下に広まった悪評を覆し、ヴォルフガングの陰謀を暴くことができる。


「決まりだな。これだけありゃ、あの将軍も終わりだ」


 ウールが発注書の束を掴み上げ、ニヤリと笑う。

 だが、その直後だった。

 ヘレンが鋭い声を上げた。


「……待ってください! 魔力反応が異常な数値を示しています!」


「あ?」


「壁! 柱! それに床下! この工房全体に、高純度の火属性魔石が埋め込まれています! ……起動しています! これは罠です!」


 ドクン、ドクン。


 工房の至る所から、不気味な赤い光が脈打ち始めた。

 侵入者を感知したのではない。最初から、ある時刻になれば全てを消し去るようにセットされていたのだ。証拠も、道具も、そして用済みになった店主もろとも。

 ヴォルフガングは、自分に繋がる尻尾を、端から切り捨てるつもりだったのだ。


「マジかよ!? 自爆装置付きかッ!」


「逃げる時間は……ありません!」


 ヘレンの叫びと同時に、世界が赤く染まった。

 数百個の魔石が臨界点を超え、太陽のような熱量が地下空間に解き放たれる。

 すべてを灰にする絶対的な死の光。

 ウールが反射的に身を縮め、ヘレンが目を見開く。


 だが、その瞬間。

 二人の前に、静かに一人の男が立った。


「――大丈夫」


 フィンだ。

 彼は焦る様子もなく、ただ淡々と、守るべきものの前に立ちはだかる。

 槍を構えることすらせず、ただ右手をかざす。

 

 彼にとって、「守る」という行為は呼吸と同じ。言葉など不要なのだ。


 内なる魔力を、意志という名の鋳型に流し込む。

 彼の脳裏にあるのは、絶対不可侵の領域。


『結界魔法』


 瞬間、フィンの周囲の空間が断絶した。

 色はない。

 光もない。

 ただ、そこには「何も通さない」ということわりだけが存在した。

 無色の結界。それは最も純粋で、最も強固な守り。


 ズドォォォォォォォォォォォンッ!!


 鼓膜を破るような轟音と共に、地下工房が爆発した。

 灼熱の業火が渦を巻き、天井が崩落し、岩盤が砕け散る。

 物理的な破壊力の奔流が、フィンたちを飲み込もうと殺到する。


 だが。

 その全ては、フィンが展開した『無色』の壁の前で、まるで幻のように消失した。

 熱も、衝撃も、瓦礫も、フィンの半径三メートル以内には指一本触れることができない。

 荒れ狂う破壊の嵐の中で、フィンたちのいる空間だけが、別次元のように静寂を保っていた。


「……すげえ。相変わらずデタラメな硬さだなお前の結界は」


 ウールが呆れたように呟く。

 フィンは、爆炎の向こうを見据えながら、静かに答えた。


「ボクの役目だから」


 その衝撃は、地面を伝い、遠く離れた王城の離宮をも揺らした。


 ズズズン……ッ。


 地面の底から突き上げるような振動。

 ティーカップの中の紅茶が波紋を描き、ソーサーの上でカチャカチャと音を立てる。


「……きゃっ!」


「おっと、危ないニャ」


 アナが小さく悲鳴を上げ、テトがすかさずテーブルを押さえる。

 だが、ベルだけは表情一つ変えず、優雅にカップをソーサーに戻した。

 彼は知っていたのだ。この振動が何を意味するのかを。そして、フィンがいる限り、仲間たちが無事であることを。


「……始まりましたね」


 ベルがぽつりと呟いた、その時だった。

 庭園を取り囲んでいた監視兵たちが、一斉にざわめき立った。


「なんだ今の揺れは!?」


「おい見ろ! 城下の方角だ! 黒煙が上がっているぞ!」


「襲撃か!? それとも事故か!?」


「貴様ら! 動くなよ! 妙な真似をすれば容赦せんぞ!」


 兵士たちの怒号が飛び交う。彼らの視線は、混乱と焦りで揺らいでいた。

 スラムでの爆発。それは、ヴォルフガングの欺瞞が暴かれた合図に思ええた。

 優雅なお茶会の時間は終わりだ。

 ベルは静かに立ち上がると、傍らにあった黒い刀の柄に手を添えた。



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