第8話 名前
べアル・ゼブル・フィリスティア。彼は、煩わしく思っていた。なぜなら、今日は彼の5才の誕生日なのだ。普通の5才児なら、自分の誕生日がくる事を心待ちにしているのだろうが…
ベルが暮らす、フィリスティア王国が属するカナン地方を中心に各所で細々と崇められている土着信仰がある。
バアル信仰。
その神の権能は幅広く、乾燥している地域で農業に携わる人々からは、天候を司る豊穣神として崇められ…
魔物に襲われ、重傷を負った者や、重篤な病で命の危機に瀕している者からは、どんな傷や病でも、たちどころに治してしまい、死者を蘇らせる事ができる、医神や、生と死を司る死神と崇められ…
バアルが作ったとされる、アーティファクト級の武器や武具等は未だに残っており、様々な国で国宝として扱われている。伝説では、一晩で大都市を作り上げたりもし、様々な物を作り出す、工芸神として職人達に崇められ…
外洋に住む海獣、体長1kmを超える魔物なのだが、それを、易々と倒し、世界の果てに辿り着いたとされている事から、漁業を行う漁師達や、海を越えての外国との貿易を行う商人達からは、海と川を操る海神と崇められ…
大昔に魔王や魔人達が起こしたとされる、大魔進行。数百万体の魔物を蹴散らし、魔王や魔人を討伐した事から戦神と崇められ…
この一見なんでもできる神は、カナン地方を離れた国々では、ただの大昔の魔法使い、人間だとみなされていた。
それに、ティルス大陸で最大の宗教組織、聖九柱教でのバアルの扱いは、もっとも酷く大悪魔として聖書等に描かれている。
ベアルとバアル、似ていると思わないだろうか?それもそうだろう。
ベルの母親であるアシエラ王妃の旧姓をアシエラ・ムネヴィスと言い、父は、故・ベアル・ムネヴィス辺境伯。ベルの祖父にあたるこの人物の名前もベアルなのだ。
ムネヴィス辺境伯領がある地域では、未だにバアル信仰が敬われており、神の名前と同じは畏れ多いとの事で、一文字だけ変えてベアルとする名前がよく使われている。
と、ここまでは良い。問題があるとすれば、ベルのミドルネームの方なのだ…
ゼブル…
ティルス大陸共通語で、『劣っている』 『糞』 『蝿』等の意味があり、侮蔑に使われる言葉である。親が生まれてきた、無属性の子供の名前に付けたりするのは、稀なのだが、あるのが実情だ…
両親に、侮蔑の意味の名前を付けられた子供は、何を感じ、どのように成長するのか…
ベルは、生後4カ月でこの世界の言葉を理解する事ができるようになった。そして、自分の名前の由来も知る知能、知識もある。
母親である、アシエラの事は、サーヤから病気だと聞かされていたが、この5年間、1度も会った事もなく、会にも来ない両親に良い印象を持てと言う方が難しい…
この5年間、暇だけは持て余していたベルは、自分の魔法を研究し、部屋を抜け出す方法も獲得していた。ただ、外で1人で生活をしていくには、まだ幼い自分に無理だと理解もできているので、冒険者に登録できる7才になるまでは、自室に引きこもりをしているつもりであった。
それが、今日、初めて部屋の扉から、正しく出て行く。
「ベルさまぁ… 準備はよろしいでしょうか…? そろそろ王妃様にお会いになられるお時間ですぅ…」
いつもと違い、神妙な面持ちで畏まっているサーヤがいる。
「ふぅー」
と、一息吐きベルは答える。
「そうだね… 母上を、お待たせするのは良くないもんね… よし!行こうか!サーヤ!」
自分に気合をいれるように答え、サーヤの顔を伺う。そこには、いつもより優しい笑顔をしたサーヤがいた。そして、そっとベルの手を取り扉の向こうに一緒に歩き出すのであった。