表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/85

第84話 模倣と超越

 

 闘技場は、水を打ったように静まり返っていた。

 先ほどまで世界を揺るがしていた雷鳴は嘘のように消え去り、破壊され尽くした闘技場の中心で、二人の戦士が静かに対峙している。

 一人は、百獣の王、ケルヌンノス。その黄金の瞳には、初めて見せる純粋な「驚愕」と「戦慄」の色が浮かんでいた。

 もう一人は、挑戦者ベル・シレイラ。その右手に握られた漆黒の刀は、吸収した王の魔力によって、青白い稲妻をバチバチと迸らせていた。


 静寂を破ったのは、獣王の声だった。

 その声には、もはや侮りや試すような響きはない。真の好敵手に対する、純粋な探求心が込められていた。


「小僧…その魔剣、一体何だ…?」


 ベルは、青い雷光を纏う黒刀を静かに見下ろしてから、顔を上げて真っ直ぐに王を見据えた。


「これは、魔剣ではありません。この刀は『魔喰いの黒鉄ヴォイド・イーター』というダンジョンで手に入れた鉱物を使って、自分で作りました」


 淡々と告げられた事実に、ケルヌンノスはわずかに目を見開いた。


「ダンジョン産の鉱物だと…? それを自ら鍛えたというのか…!」


 獣王の脳裏に、衝撃が走る。

 この少年は、神速の動きを見切る眼、雷速の攻撃を紙一重で回避する体捌きを持つ、規格外の剣士である。それは理解していた。だが、それだけではなかった。自身の魔気すら喰らうという、伝説級の特性を持つ未知の鉱物を、自らの手で武器へと鍛え上げる鍛冶師としての技量をも併せ持つというのか。

 この小躯のどこに、それほどの才能が秘められているのか。

 ケルヌンノスは、目の前の少年に、初めて底知れない『畏怖』に近い感情を抱いた。


 その獣王の内心の揺らぎを知ってか知らずか、ベルは雷を纏った黒刀を中段に構え直した。

 瞬間、刀身から溢れ出した青い稲妻が、まるで彼の体を新たな主と認めたかのように、全身を駆け巡る。


 バチチチッ!


 体内の細胞の一つ一つが、雷の魔力によって強制的に活性化させられていく。血液が沸騰するような熱を帯び、筋肉繊維が悲鳴を上げながらも、超常的な力を発揮し始める。何よりも劇的に変化したのは、神経伝達速度だった。思考が、視覚が、聴覚が、異常なレベルまで加速していく。


 ベルが一歩、前に踏み込む。


 ゴッ!


 ただそれだけで、足元の石畳が蜘蛛の巣状に砕け散り、空気が裂けるような鋭い音が響いた。

 彼の視界の中で、世界の動きが、まるで粘性の高い水中を進むかのように、スローモーションに見え始めていた。


「――いきます」


 ベルがそう呟いた瞬間、彼の姿が闘技場から掻き消えた。

 否、消えたのではない。

 青い雷光そのものとなって、ケルヌンノスの懐へと瞬時に移動したのだ。


「なっ――!?」


 ケルヌンノスの反応は、コンマ数秒遅れた。

 それは、先ほどまで彼自身が絶対の自信を持っていた、雷の魔気を利用した瞬発的な移動術。

 だが、ベルが繰り出すそれは、単なる模倣ではなかった。

 獣人の持つ直線的で爆発的な突進力とは異なり、剣士特有の流れるような円運動の体捌きと完全に融合している。右に動くと見せかけて左へ、上段を狙うと見せかけて下段へ。予測不能な軌道を描き、残像すら残さぬその動きは、もはや単なる高速移動ではなく、洗練された『雷速の剣舞』と呼ぶべきものへと昇華されていた。


「馬鹿な…! 我が『獅子雷ししらい』の動きを、一度見ただけで盗んだというのか!?」


 ケルヌンノスは驚愕に目を見開く。

 自身の得意技を、目の前で、しかも自分以上に巧みに使いこなすという離れ業。常識では計れない才能の奔流に、最強の王でさえも戦慄を禁じ得なかった。


 攻防が、完全に逆転する。

 これまで回避に徹していたベルが、攻防一体の嵐のような猛攻を開始した。

 雷速の踏み込みから放たれる、閃光の如き斬撃。

 ケルヌンノスが迎撃のために振り抜いた剛拳を、紙一重で潜り抜けながら、がら空きになった胴へとカウンターの刃を滑り込ませる。


 キィィィンッ!!


 黒刀と、ケルヌンノスの左腕のガントレットが火花を散らす。

 初めて、戦いの主導権を握られた。

 ケルヌンノスが、防御に回らざるを得ない状況に追い込まれていく。

 闘技場に、青い稲妻の軌跡が無数に描かれていく。それは、二人の超人が織りなす、神々の戦いの絵図そのものだった。

 観客たちは、もはや声援を送ることすら忘れていた。ただ、目の前で繰り広げられる、あまりにも次元の違う戦いに、魂を奪われていた。


「ク……クハハ……!」


 猛攻を受けながら、ケルヌンノスの口から、乾いた笑いが漏れた。


「クハハハハハハハハハッ!!」


 やがてそれは、腹の底からの哄笑へと変わる。

 追い詰められている。それは事実だ。だが、それ以上に、この血湧き肉躍る死闘が、楽しくて仕方なかった。

 久しく忘れていた、全霊を賭して戦うという歓喜。

 この小僧は、それを思い出させてくれた。


「小賢しい真似を…!」


 ケルヌンノスは獰猛な笑みを浮かべ、咆哮する。


「ならば、力で圧し潰すまでよォッ!!」


 王は、技術戦を捨てた。

 小手先の技では、この天才の前では意味をなさない。ならば、己が最強たる所以、絶対的な『力』と『速さ』で、全てを粉砕するのみ。


 ケルヌンノスの全身から、再び青白い魔気が爆発的に噴き上がる。

 だが、今度はそれを外部に放出するのではない。自らの肉体の周囲に、極限まで高密度に圧縮、定着させていく。


 バチバチバチバチッ!!


 それは、まるで青白い雷で編まれた、獰猛な獣の形をした鎧のようだった。

 防御力と攻撃力を飛躍的に高め、常に雷速を維持することを可能にする最終形態。その姿は、まさしく雷の化身、『雷獣』そのものであった。


 圧倒的な威圧感を放ちながら、雷獣の鎧を纏った王が、一直線に突進してくる。

 それに対し、ベルもまた全神経を集中させた。

 もはや、回避はできない。

 この一撃は、受けて、そして打ち破らねばならない。


 ベルは、吸収したケルヌンノスの雷の力を、全て黒刀の刀身へと集約させていく。

 漆黒の刀が、眩いばかりの青白い光を放ち始め、その刀身はもはや雷そのものと化していた。


「いきます、獣王!」


 ベルの声が、闘技場に響き渡る。


「これが、あなたから貰った力です!――『雷纏・らいてん・ざん』ッ!!」


 雷獣の拳と、雷光の剣。

 二つの力が、闘技場の中央で、正面から激突した。


 ――ドッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!


 世界が、白に染まった。

 凄まじい閃光が闘技場を包み込み、天を突くほどの巨大なエネルギーの奔流が巻き起こる。

 轟音と共に発生した衝撃波が、観客席を守るために張られていた防御結界を、ガラスのように激しく揺らし、ミシミシと悲鳴を上げさせた。




 閃光と爆音が支配する世界の中、両者は一歩も引かなかった。


「オオオオオオッ!!」


「うおおおおおっ!!」


 王の咆哮と、剣士の雄叫びが交錯する。

 一度、二度、三度。

 拳と剣が打ち合われるたびに、世界が揺らぎ、空間が歪む。

 互いの全霊を賭けた、死力を尽くした応酬。


 そして、ついにその瞬間が訪れた。

 ベルが、渾身の一撃を叩き込む。


 キィィィィィィィンッ!――パリンッ!!


 甲高い金属音と共に、何かが砕け散る音が響いた。

 ベルの「雷纏・斬」が、ついにケルヌンノスの雷獣の鎧を貫き、最強の証であった右腕のガントレット『獅子王の剛拳』を、粉々に砕き割ったのだ。


 衝撃で、ケルヌンノスの巨体が数歩後退する。

 闘技場に、再び静寂が戻った。

 王は、砕け散ったガントレットと、そこから現れたわずかに傷つき血が滲む己の拳を、静かに見下ろしていた。


 最強の証が、砕かれた。

 それは、紛れもない事実上の敗北を意味するはずだった。

 しかし。


 ゆっくりと顔を上げた獣王の表情に、敗北の色は微塵もなかった。

 その口元には、心の底から楽しそうに、そして獰猛なまでの笑みが浮かんでいた。

 それは、生涯の好敵手と出会えた戦士だけが浮かべる、至上の歓喜の表情だった。


「…面白い」


 その呟きは、闘技場の全ての者に聞こえた。


「面白いぞ、小僧ォォォォッ!!」


 ケルヌンノスは、砕かれたガントレットの残骸を無造作に払い落とすと、血の滲む拳を固め、再び構えた。その瞳は、先ほどまでとは比較にならないほど、爛々と輝いている。


「次の一合で決着をつけるぞ! ベル・シレイラ!」


 初めて、彼はベルの名を呼んだ。

 それに対し、ベルもまた、雷光の余韻が残る黒刀を構え直す。

 静かに、しかし力強く頷いた。


 互いの全てをぶつけ合う、最後の激突。

 その予感が、闘技場のボルテージを最高潮へと引き上げていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ