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第81話 獅子の都の休日

 

 御前試合を二日後に控えた、離宮の一室。そこは急ごしらえの作戦司令室と化していた。

 広げられたライオニアの地図を囲み、フィン、ウール、そしてヘレンが深刻な顔で頭を突き合わせている。


「ケルヌンノス王の過去の戦歴データが欲しいところだけど、さすがに機密情報だろうね……。伝え聞く限りでは、純粋なパワーとスピードで全てを圧殺するタイプの戦士みたいだ」


 フィンが難しい顔で呟く。


「王様が相手だぜ? 真正面からやるしかねえが…どう考えても分が悪すぎる。奇策の類は、あのクラスの相手には通用しねえだろうしな」


 ウールは腕を組み、唸るように言った。ヘレンもまた、集められる限りの情報を精査しながら、静かに思考を巡らせている。張り詰めた緊張感が、部屋全体を支配していた。


 その空気を、まるでパン生地でもこねるかのように軽々と打ち破ったのは、この作戦の主役であるはずの少年だった。


「皆さん、そんなに思い詰めても仕方ありませんよ」


 サクッ、という軽快な音と共に、ベルはテーブルの隅に置かれていた焼き菓子を頬張りながら、のんびりと言い放った。


「せっかくですから、今日はライオニアの街を観光でもしませんか?」


「「「はぁ!?」」」


 三人の声が、綺麗にハモった。

 皆が呆気に取られて固まる中、一番に我に返ったのは、ソファで優雅に紅茶を飲んでいたはずのアナだった。彼女はカシャン!と音を立ててカップを置くと、嵐のような勢いでベルに詰め寄り、その小さな頭を閉じた扇子でピシリと叩いた。


「このお馬鹿さん! あなた、自分がどういう状況か分かっているの!? 二日後には、この国の王と命のやり取りをするのよ!? それなのに、遊びに行くですって!? 正気なの!?」


「い、痛いですよ、アナ……」


 叩かれた頭をさすりながらも、ベルは悪びれる様子もなく、にこやかに答える。


「もちろん正気ですよ。考えてみてください。この国の空気、人々の暮らし、彼らが何を尊び、何を誇りに思っているのか。その全てが、獣王ケルヌンノスという人物を形作っているはずです。それを肌で感じることも、立派な『情報収集』じゃないですか」


 もっともらしい、しかし妙な説得力のある理屈。フィンとウールは


「まあ、ベル君の言うことだから、何か考えがあるんだろう…」


「ベルの言う情報収集ってのは、大抵とんでもねえ結果に繋がるからな…」


 と、半ば納得しかけていた。

 だが、アナだけは引き下がらない。


「ふん、口だけは達者なこと! 言い訳が上手いわね!」


 彼女は腕を組み、つんと鼻をそらす。そして、ちらりとベルに視線を送ると、仕方がないといった風にため息をついた。


「……しょうがないわね。わたしが、付き合ってあげるわよ。あなたが街で変な気を起こしたり、道端で野垂れ死んだりしないか、このわたしが直々に監視してあげるわ! ありがたく思いなさい!」


 それは、どう考えても「心配だから一緒にいたい」という言葉の、最大限に捻くれた表現だった。

 こうして、半ば強引に「アナによるベルの監視」という名目の、王都観光という名のデートが決定したのだった。




「では、僕とウール君は武具屋や訓練場の方を回って、王の戦闘スタイルについて何か情報がないか探ってみるよ」


「おう、任せとけ。こっちも立派な情報収集だからな!」


 フィンとウールが別行動で街の深部へと向かう中、ベルとアナは二人きりで、活気あふれる中央市場へと足を踏み入れた。


 市場は、様々な獣人たちの熱気でむせ返るようだった。香ばしい匂いを漂わせる屋台、色とりどりの織物、どこからか聞こえてくる陽気な音楽。その全てが、アナにとっては新鮮な驚きだった。


「見てください、アナ。すごい肉ですね」


 ベルが指さしたのは、巨大な骨付き肉を豪快に炭火で炙っている串焼き屋だった。ジュージューと音を立て、肉汁が炭に落ちて香ばしい煙を上げている。


「……なんて野蛮な食べ物なの」


 アナは眉をひそめるが、その目は明らかに串焼きに釘付けだった。


 ベルはくすりと笑うと、大きな串焼きを二本買い、そのうちの一本をアナに差し出した。


「どうぞ」


「い、いらないわ! わたしの口には合いま…」


 断りの言葉を言い終える前に、ベルが自分の分を「はふっ」と実に美味しそうに頬張る。その表情につられるように、アナはごくりと喉を鳴らした。


「……ひ、一口だけ、味見してあげるわ。あくまで、毒見なんだからね!」


 言い訳がましく串を受け取ると、アナはおしとやかに、しかし思い切ってがぶりと肉にかじりついた。

 途端に、彼女の青い瞳が驚きに見開かれる。スパイシーな香辛料と、噛むほどに溢れ出す濃厚な肉汁の旨味。野蛮どころか、洗練された宮廷料理にも劣らない、魂を揺さぶるような美味しさだった。


「美味しいですか?」


 ベルの問いかけに、アナは慌てて口元を拭い、顔をそっぽに向けた。


「べ、別に! 普通よ普通! ……というか、あなたに一口あげるなんて言ってないだから!」


 自分の串焼きをじっと見つめるベルの視線に気づいたアナは、勘違いして彼の足をヒールでこつんと軽く踏みつけた。ベルがただ、美味しそうに食べる彼女の顔を見ていただけだとは、気づかずに。


 次に二人が立ち寄ったのは、鳥獣人の職人が営む小さなアクセサリー店だった。店先には、様々な鳥の美しい羽で作られた髪飾りや耳飾りが並んでいる。


「……綺麗」


 アナが思わず呟いたのは、青いカケスの羽と、小さな銀細工を組み合わせた繊細な髪飾りだった。


「アナの髪によく似合いそうです」


 ベルが微笑みながら言うと、アナははっと我に返り、顔を真っ赤にして彼の肩をポカポカと叩いた。


「なっ…! そ、そんなお世辞を言っても、何も出ないわよ、この朴念仁!」


 ベルがそれを手に取り、店主に代金を払おうとすると、アナは慌ててその手を制した。


「い、いらないって言ってるでしょう! わたしはこういう派手なものは好みじゃないのよ!」


 そう言って彼女は強がるように店を飛び出していった。だが、少し離れた場所から、名残惜しそうに店を振り返っているのを、ベルは気づかないふりをした。


 市場の喧騒を離れ、少し寂れた路地裏に迷い込んだ時だった。


「よう、そこの嬢ちゃん。いいカモシカみてえな脚してんな」


 三人組のガラの悪い猫獣人の若者たちが、壁に寄りかかりながらニヤニヤと二人を取り囲んだ。


「そこのひ弱な人間のガキより、俺たちと遊んだ方が楽しいぜ?」


 一人がベルの胸ぐらを乱暴に掴む。その瞬間、ベルの纏う空気がすっと冷たくなった。

 だが、彼が何かをするよりも早く、隣で雷が炸裂した。


「わたしのベルに!その汚い手をどけなさいッ!!」


 アナの鋭い叫び声と同時に、しなやかな脚が空を舞った。彼女のハイヒールが、猫獣人のリーダー格のスネに寸分の狂いもなく叩き込まれる。


「ぐぎゃっ!?」


 予想外の一撃に、猫獣人は悲鳴を上げてその場にうずくまった。残りの二人も、可憐な少女のあまりの凶暴さに怯んでいる。その隙に、アナはベルの手をぐいと掴んだ。


「行くわよ、この鈍くさいの!」


 そして、怯んだ相手を尻目に、颯爽と(しかし少し乱暴に)その場を走り去った。


 路地裏を抜け、大通りに戻ったところで、アナははぁはぁと息を切らしながらも、勝ち誇ったように胸を張った。


「ふん! わたしがいなければ、あなたなんて危なっかしくて見ていられないわね! もっと感謝なさい!」


「ええ。ありがとうございます」


 ベルはただ穏やかに微笑み、アナを見つめた。


「アナは、僕の最高の騎士ですから」


 その真っ直ぐな言葉に、アナは先ほどまでの威勢が嘘のように顔を赤くして俯いてしまう。そして、小さな声で「……当たり前よ」と呟くだけだった。


 この一連のドタバタの裏で、ベルは街の隅々までその観察眼を光らせていた。

 王への揺るぎない敬意と信頼。その一方で、未だ根強く残る人間への不信感。そして、時折耳にする『枷』という組織の名に、人々が僅かに顔を曇らせる様子を、その目に、耳に、確かに焼き付けていた。




 その頃、王城『プライド・ロック』の執務室では、テトが父ケルヌンノスの前に立っていた。


「父上……本当に、旦にゃさまと戦うのですかニャ?」


 心配そうな娘の問いに、ケルヌンノスは窓の外、眼下に広がる活気あふれる自らの国を見下ろしながら、重々しく口を開いた。


「テトよ。あれは、ベル・シレイラという男を守るための、最善の策だ。そして、この国を二つに割らぬためのな」


 王は、ヴォルフガングら排斥派の不満が、単なる人間嫌いから来るものではないことを娘に語り聞かせた。彼らは彼らなりに、異質なものが国に入り込むことで、獣人としての誇りや伝統が失われることを憂いているのだ、と。


「奴らの言い分にも、一理ある。故に、言葉で説き伏せることはできん。ならば、我が拳で示すしかない。あの若者の価値を、強さを、魂の気高さを、このチャタルの全ての民の目に焼き付け、認めさせる。それこそが、王であるわしの務めだ」


 そこまで語ると、ケルヌンノスはふっと表情を和らげ、厳格な王の顔から、一人の戦士の顔になった。


「……そしてな、テト。理屈ではない。わし自身が、心の底から戦ってみたいのだ」


 彼の黄金の瞳が、少年のような輝きを宿す。


「あの謁見の間で、わしは見た。数多の獣人貴族の敵意と殺気に晒されながら、微塵も揺らがぬあの若造の魂を。静かだが、燃え盛る魂の光に、久しく忘れていた血の滾りというものを感じたのだ。盟友イラーフが全てを託し、我が娘が心を決めた男が、どれほどの器か。この身で確かめずには、おれん」


 それは、国を背負う王としての冷徹な覚悟であり、同時に、純粋な強者との対決を求める一個の戦士としての渇望だった。

 父の真意を理解したテトは、もはや何も言わず、ただ静かに頷いた。




 賑やかな王都観光から戻り、すっかり緊張もほぐれた仲間たちがそれぞれの部屋で休んでいる頃。ベルは一人、離宮の広大なバルコニーで、月光を浴びながら静かに愛剣を振るっていた。

 日中の、どこか気の抜けた「昼行燈」の顔はそこにはない。その横顔は研ぎ澄まされた刃のように鋭く、振るわれる剣先は夜の闇を正確に切り裂いていく。


 そこへ、静かな足音と共にテトがやってきた。


「旦にゃさま……」


 彼女は、どこか躊躇いがちにベルに歩み寄ると、小さな革袋を差し出した。それは、チャタルの伝統的な編み方で作られたお守りだった。


「これ、我が国に古くから伝わる『勝利と無事』を願うお守りですニャ。……父上は、本気ニャ。決して手加減はしないのニャ。だから……」


 その声は、心配で震えていた。


 ベルは素振りをやめ、その温かいお守りをそっと受け取る。革紐を通して、確かな祈りの重みが伝わってきた。


「ありがとう、テト。嬉しいです」


 そして、彼は穏やかに、しかし絶対的な自信を湛えた笑みを浮かべた。


「ええ、望むところです。僕も、チャタル最強の戦士への敬意を込めて、全力で戦いますから」


 ベルは、不安げに揺れるテトの琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめ、はっきりと約束した。


「必ず、生きて帰ります」


 その力強い言葉に、テトの心にあった最後の不安が、すうっと消えていくのを感じた。彼女は、心の底から安心したように、満面の笑みを浮かべて頷いた。


 決戦は、明日。

 それぞれの覚悟と、それぞれの想いが交錯する中、獅子の都の静かな夜が、ゆっくりと更けていくのだった。


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