第75話 バステト・チャタル
あたしの名前はバステト・チャタル。愛称はテト。気軽にテトって呼んでほしいニャ!
……え? なんでライオン獣人なのに語尾が「ニャー」なのかって? フフン、それはね、このあたしに、とある秘密があるからニャんだ。
そう、何を隠そうこのあたし、バステト・チャタル(推定7歳)は、地球の日本という国で、アニメと猫とカレーパンに魂を捧げた、ごく普通の女子高生だったのだ!
自分の名前も、どうして死んじゃったのかも、残念なくらいに思い出せないんだけど、これだけはあたしの魂に刻まれてる。放課後は友達とアニメイトに入り浸り、休日は愛猫のタマを吸い尽くし、昼休みは購買部のカレーパン争奪戦に青春の全てを懸けていた、あの輝かしい日々を!
そんなあたしが次に目を覚ましたら、どういうわけか、この「フェニキア」っていう異世界の、ライオン獣人の赤ちゃんになっていたのだった。もっふもふの耳に、ふっさふさの尻尾! 最初は言葉もわからなくて「おぎゃー!」としか言えなかったけど、これはこれで天国かと思ったニャ。だって、自分の尻尾を自分で追いかけられるんだよ!? 猫好きとして、これ以上の幸せがあるだろうか、いやない!
しかも、あたしはただのライオン獣人じゃなくて、ここ獣人王国チャタルの王女様らしい。つまり、リアルプリンセス! 毎日メイドさんたちにあたしのもふもふをブラッシングしてもらえるし、ふかふかのベッドで眠れるし、美味しいご飯が三食昼寝付きで出てくる。正直、前世よりよっぽど恵まれた生活だったニャ。
だから決めたんだ。この世界では、前世で培った「好き」を貫き通そうって。
言葉が話せるようになって、まずあたしが徹底したのは、語尾に「ニャー」をつけること。猫好き、アニメ好きとしては、これは絶対に譲れないアイデンティティ! 最初は父様もお母様も
「うちの子はなんて愛らしいのかしら!」
ってデレデレだったけど、最近は
「テト、そろそろ王女としての威厳というものをだな…」
なんて言われ始めてる。解せぬニャ。
何不自由なく、もふもふで幸せな毎日。
でも、たった一つだけ、大きな、大きな問題があった。
あたしには、魔法の才能が、全く、これっぽっちも、なかったのだ。
この世界では、ほとんどの人が生まれつき何らかの属性魔法を使える。火とか水とか、まあ、ファンタジーの王道だ。でも、あたしの属性は『無属性』。それは魔力は人一倍あるのに、どんな魔法も発動できない「無能」の証とされていた。王族なのに魔法が使えないなんて、前代未聞の大スキャンダル。陰では「出来損ないの王女」なんて囁かれてるのも知ってた。
それでも、父様――百獣の王、ケルヌンノスは、あたしをとっても愛してくれた。
「テト、魔法が使えなくたって、お前は儂の可愛い娘だ。誇り高く生きろ」
いつも大きな手で頭を撫でてくれる父様が大好き。でも、その瞳の奥に、あたしの将来を憂う色が浮かんでいるのも、あたしは知っていた。
だから、父様が
「友の国、フィリスティア王国に留学してみないか?」
と言ってくれた時、あたしは二つ返事で頷いたんだ。魔法が使えなくても、知識を身につけて、いつか大好きな父様の役に立ちたい。そう思ったんだニャ。
こうしてあたしの、波乱万丈ときどきもふもふな留学生活が幕を開けたのだった。
フィリスティア王国の国立エクロン魔法学院。
そこは、キラキラした王子様やお姫様がいっぱいの、まさに乙女ゲームの世界だった。
でも、やっぱり現実は乙女ゲーみたいに甘くないニャ。
あたしが『無属性』だとわかると、周りの態度は一変した。
「獣人の出来損ない」
なんて、面と向かって言ってくるヤツもいた。
だけど、あたしは負けなかった! アナトリア王女殿下――アナや、ギビル王子みたいに、分け隔てなく接してくれる優しい友達もできたから。特にアナとは、絵物語(こっちの世界の漫画みたいなもの)の趣味が合って、すぐに親友になったんだニャ。
そんなある日、あたしの運命を、いや、あたしの人生の全てを変える出会いが訪れた。
それは、ギビル王子との朝稽古の時だった。
「てやーっ!」
あたしは拳を振るうけど、ギビルには軽くいなされちゃう。悔しいニャー!
そんな風に、いつものように稽古に励んでいた、その時だった。
一人の少年が、あたしたちの間に突風のように飛び込んできた。
漆黒の髪に、全てを見透かすような黒い瞳。まだあたしと同じくらいの歳なのに、まるで千年も生きてきた賢者のような、不思議な雰囲気を持つ男の子。
彼こそが、あたしの運命の人――ベル・シレイラだった。
驚くギビルをよそに、ベルは懐から、何やら緑色の不思議な植物を取り出した。
その瞬間、ふわっ、と甘くて、抗いがたい、天国のような香りが鼻をくすぐった。
「な、ニャんだこの香りは……!? あたしの野生の本能が、抗うなと叫んでいるニャ……!」
ふにゃ〜〜〜……。
あたしの思考は、とろとろに溶けていく。体が熱い。視界がぐにゃぐにゃする。なんだか、最高に幸せな気分……。
あたしは、その場にへにゃへにゃと崩れ落ちて、ごろごろと地面を転がり始めた。
「ふにゃ〜〜ん、極楽ニャ〜……もっと、もっとその香りをあたしに……」
後から聞いた話によると、それは「マタタビ」という植物で、猫科の獣人にはお酒みたいに作用するらしい。
泥酔して、ふにゃふにゃになっているあたしを見て、ベルは心配そうに眉を寄せた。
「こんな所で寝てしまったらお腹を冷やしてしまって、風邪をひいてしまいますよ?」
そう言うと、彼はあたしの体にそっと手を伸ばし……あたしのもふもふのお腹を、優しく、なでなでしたのだ。
その瞬間、あたしの脳内に、電流が走った。
――獣人王国に古くから伝わる、絶対の掟。
――異性から腹を撫でられること。それは、生涯を共にする誓い。すなわち、『婚約の申し込み』である、と。
(こ、こ、こ、婚約ぅぅうううううううううっ!?)
あたしの酔いは、一瞬で吹き飛んだ。
目の前の少年が、スローモーションで見える。
(こ、この男……初対面のあたしに、いきなりプロポーズしてきたニャ!? なんて情熱的で、積極的な人なんだニャ……!)
あたしの乙女回路は、ボンッ! と音を立てて焼き切れた。
この瞬間から、ベル・シレイラは、あたしの「旦にゃさま」になったのだ。
もちろん、旦にゃさま本人はそんなこと露知らず、あたしの「奥さんムーブ」はことごとく空振りに終わるんだけど……。
でも、諦めなかった! 旦にゃさまへの愛を原動力に、あたしは学院生活を駆け抜けた!
そんなあたしの前に立ちはだかったのが、いじめっ子のダリル・クレイマーだった。
彼は、権力を笠に着て何かと突っかかってきた。そして、とうとうあたしの親友の一人、フィンにまで手を出したのだ。
許せない。絶対に許せないニャ!
でも、魔法の使えないあたしじゃ、何も……。
そうやってうつむくあたしたちの前に、颯爽と現れたのが、我らが旦にゃさまだった。
「それなら、決闘で決着をつけましょう」
彼の言葉は、いつだってあたしに光をくれる。
ベルは、あたしとフィンが、ダリルとその取り巻きに勝てるように、一週間で鍛え上げてくれると約束してくれたのだ!
ベルの特別授業は、彼の領地で行われた。
「テト、君の無属性は、無能なんかじゃない。むしろ、最高の魔法だ。『従魔魔法』……それが、君の本当の力だよ」
じゅ、従魔魔法!? なにそれ、新しいアニメのタイトルかニャ!?
ベルの説明によると、それは魔物と契約し、いつでも呼び出せるようにする魔法らしい。それだけじゃない。契約した魔物の能力を、自分のステータスに上乗せするという力もあるんだって。
つまり、あたしは無能なんかじゃなくて、とんでもないチート魔法の持ち主だったのだ!
「そ、そんなすごい魔法が、あたしに……?」
「ああ。君の膨大な魔力は、そのためにある。ただ、普通の魔法と体系が違いすぎて、誰も気づけなかっただけだ」
あたしは、目の前がキラキラ輝き出すのを感じた。
でも、同時に大きな問題にぶち当たる。
「で、でも旦にゃさま! あたし、魔物さんと契約なんてしたことないニャ! 王女としてぬくぬく育ってきたから、森の怖い魔物さんなんて会ったこともないニャーッ!」
そんなあたしに、ベルは森での実地訓練を課した。
最初は怖くて、泣きべそをかいてばかりだったけど、旦にゃさまがいつも隣にいてくれた。
そして、あたしは初めての従魔と出会う。素早い動きの、猫に似た魔物『マオリス』。
最初は警戒されたけど、あたしがあげた木の実を食べて、心を開いてくれたんだ。
マオリスとの契約が成功した時、あたしは嬉しくて、旦にゃさまに抱きついちゃったニャ。
それからあたしは、まるでスポンジが水を吸うように、従魔魔法の力を吸収していった。
旦にゃさまの指導のおかげで、今では攻撃力の高い魔物『フェイドクロー』と、鉄壁の守りを誇る魔物『シェルナイト』とも契約して、合計3体の頼もしい仲間ができたんだ!
そして、決闘当日。
フィンと二人で、ダリルたちの前に立つ。
もう、あたしは昔のあたしじゃない。旦にゃさまが力をくれた、新しいあたしだ!
「いくよ、マオリス!!」
あたしの体は光に包まれ、猫科の獣が持つ野生の力が漲る!
フィンと息を合わせ、ダリルたちを圧倒する。
あたしはもう、無能なんかじゃない。旦にゃさまに愛された、世界一幸せな獣人なのだ!
こうして、あたしは無能の汚名を返上し、学院で一目置かれる存在になった。
これも全部、旦にゃさまのおかげ! あたし、一生ついていきますニャー!
そんな激動の日々が嘘のように、穏やかな季節がやってきた。
学院に、待ちに待った夏休みが訪れたのだ。
あたしは、久しぶりに故郷のチャタル王国へ帰郷することになっていた。
嬉しいはずなのに、あたしの心は分厚い雲に覆われていた。
だって、夏休みの間、旦にゃさまと会えなくなっちゃうから。
出発の前日、あたしはなけなしの勇気を振り絞って、ベルを中庭に呼び出した。
「旦にゃさま……あたし、明日から国に帰るニャ」
「そうなんですか。気をつけて帰ってください」
相変わらずクールな旦にゃさま。でも、その瞳がいつもより少しだけ優しい気がして、あたしの心臓はきゅん、と可愛い音を立てた。
「しばらく会えなくなるの、寂しいニャ……。旦にゃさまは、寂しくないのかニャ……?」
上目遣いで、精一杯の「可愛い」を込めて聞いてみる。
ベルは少しだけ驚いたような顔をして、それから、ふっと、本当に優しく微笑んだ。
「……そうですね。少し、静かになって寂しくなるかもしれないですかね」
そ、それって、あたしがいないと寂しいってこと!? 間接的な愛の告白キターーーーーッ!
あたしの頭の中は、ピンク色のお花畑で満開になった。
「旦にゃさまも、元気でいるニャよ! ちゃんとご飯食べるんだニャ! あたしがいないからって、夜更かししちゃダメなんだからニャ!」
「はは、君は僕の母親か何かなのですか?」
笑ってくれた! 旦にゃさまが、あたしのために笑ってくれた!
もう、これだけでチャタルに帰っても、三ヶ月は戦える!
あたしは、人生で一番幸せな気持ちで、帰郷の準備を終えたのだった。
そして、出発の日。
王都の正門前には、父様が寄越してくれた、チャタル王国の使節団が待っていた。屈強なライオンやトラの獣人騎士たちがずらりと並ぶ光景は、なかなかの迫力だ。
「テト王女殿下、お迎えに上がりました」
騎士団長が恭しく頭を下げる。
「うん! みんな、ありがとうニャ! さあ、愛しの故郷に帰るニャー!」
あたしが意気揚々と、王家専用の豪華な船に乗り込もうとした、その時だった。
「やあ、テト。お待たせしました」
聞き慣れた、そして今、世界で一番聞きたかった声。
あたしが勢いよく振り返ると、そこに立っていたのは、漆黒の髪を風になびかせる、あたしの愛しの旦にゃさまだった。
彼の隣には、なぜか髪が黒々と、森のようにふさふさになり、別人みたいに自信に満ち溢れたテルミニ宰相閣下もいる。え、宰相閣下、その髪どうしたのニャ……? 植えたのニャ……?
でも、そんなことは些細な問題だ! 問題は、旦にゃさまだ!
「旦にゃさま!? どどど、どうしてここにいるニャ!? あたしのお見送りに来てくれたのかニャ!? 嬉しいニャー! あたし、旦にゃさまがいなくても頑張るからニャー!」
あたしが興奮してまくし立てると、ベルはいつもの涼しい顔で、とんでもない爆弾を投下した。
「ああ、言い忘れていたけど。僕も、君の故郷に一緒に行くことになったんだ。フィリスティア王国からの、全権大使としてね」
「……………………は?」
ぜんけんたいし? 全権大使?
あたしと、一緒に、チャタル王国へ?
つまり、あたしの実家に、ご挨拶に……?
つまりつまり、夏休みの間、ずーっと一緒にいられるってことニャ!?
「ええええええええええええええええええええええええっ!?」
あたしの魂の絶叫が、フィリスティア王都の青い空に、高らかに響き渡った。
こうして、あたしのドキドキわくわくもふもふ夏休み大作戦(?)は、予想だにしない形で幕を開けたのだった! これはもう、父様に婚約を報告するしかないニャーッ!




