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第72話 エステティック

 

 魔導船『ゼブル・アーク』の衝撃的なお披露目から数週間。

 第四王子ザーフェルの海軍大将就任は、王国のパワーバランスを決定的に塗り替え、王都は新たな時代の到来を予感させる活気に満ちていた。


 しかし、そんな世間の喧騒とは無関係に、ベル・シレイラ男爵の日常は変わらない。

 今日もまた、国立エクロン魔法学院へ通うため、彼はいつものように転移魔術で王城の一角――姉であり王女であるアナの待っている部屋の前へと出現した。


「アナー、朝ですよー。そろそろ学園に行きま……あれ?」


 いつものように扉をノックしようとしたベルは、その手前で、美しい女性が一人、憂鬱そうにため息をついているのに気づいた。

 腰まで届く艶やかな銀髪に、病的なまでに白い肌。儚げでありながら、その佇まいは凛として気高い。フィリスティア王国第五王妃にして、アナの剣の師匠でもある、アシエラ・フィリスティアその人だった。


「アシエラ様? どうかされたんですか? こんな朝早くに」


「あら、ベル……。おはよう」


 アシエラは力なく微笑むと、再びはぁ……と深い溜息をついた。その表情には、いつも彼女を覆っている悲しみの影に加えて、どこか女性特有の悩みが滲んでいるように見えた。

 その時、ガチャリと音を立てて部屋の扉が開いた。


「あら、先生。ベルも。おはようございます」


「アナ、おはようございます。アシエラ様が、なんだか元気がないみたいで……」


「先生?」


 アナはアシエラの顔を覗き込むと、すぐに合点がいったというように、くすりと笑った。


「ふふ、さてはまた、鏡の前で憂鬱になっていらっしゃいましたね?」


「う……アナにはお見通しね。……笑わないで聞いてくれるかしら、ベル」


 アシエラは、少し恥ずかしそうに頬を染めながら、ベルに向き直った。


「私、少し……太ってしまって」


「え?」


 ベルはアシエラの全身をまじまじと見たが、どこからどう見ても、彼女は柳のようにしなやかで細い体つきをしている。太っているなど、冗談にしか聞こえなかった。


「そんなことないですよ。お世辞じゃなく、すごくお綺麗です」


「ありがとう。でも、自分では分かるのよ。このドレスの腰回りが、前よりも少しだけ窮屈になったのが……」


 アシエラは悲しげに自分のウエストに手を当てた。

 彼女が患っている不治の病『ネクロゾーマ』は、その命を少しずつ蝕むだけでなく、魔力の行使や激しい運動を固く禁じられている。かつては王国最強の女剣士と謳われた彼女も、今では散歩程度しかできず、身体がなまってしまうのは仕方のないことだった。


「それに……」


 アシエラの表情が、ふっと曇る。


「義妹のサーヤが攫われてしまってから……どうにも、自分の姿を見るのが辛くて。日に日に老いて、輝きを失っていく自分が、鏡に映るのが……」


 その瞳に浮かんだ深い絶望の色。それは、ただ体型を気にする女性の悩みなどではなかった。最愛の義妹を失い、自らも病に蝕まれ、生きる希望そのものを見失いかけている魂の悲鳴だった。

 アナも、師であり、母のように慕う女性の痛ましい姿に、胸を締め付けられる思いでいた。


(このままじゃいけない……)


 ベルは強く思った。

 母には、元気になってほしい。心から笑ってほしい。

 ただ痩せるだけじゃない。彼女が失ってしまった、自信と、輝きと、そして生きる喜びを取り戻せるような、何か特別な『魔法』が必要だ。


(そうだ……!)


 ベルの頭に、前世の知識が稲妻のように閃いた。

 女性を外見から、そして内面から、最高に輝かせるための魔法の城。


「アシエラ様! 僕に任せてください!」


 ベルは、ぱん!と手を打った。


「僕が、アシエラ様のために、世界一の『エステティックサロン』を開きます!」


「「えすててぃっく……さろん?」」


 アナとアシエラの頭上に、巨大なクエスチョンマークが浮かんだ。




「―――というわけでして、王都のメインストリートに、最高の立地と最高の建物を用意してほしいんです!」


 その日の放課後、ベルは王都のゼブル商会本店、会頭室で、親友であるフェルに熱弁を振るっていた。


「エステティックサロン、か。初めて聞く言葉だが、つまりは女性向けの美容施設、といったところか?」


 ザーフェルは、ベルが工房魔法で作り出した企画書の立体模型――白と金を基調とした、宮殿のようなサロンの模型――を興味深げに眺めている。


「ただの美容施設じゃありませんよ。フェイシャル、ボディケア、痩身、脱毛、メイクアップ……それらを組み合わせた総合的なサービスで、お客様を身体の芯から美しくするんです。単なる外見だけでなく、最高級のリラクゼーションを提供することで、心まで満たす。ターゲットは、もちろん王都の富裕層の女性たちです!」


 フェルは冷静に分析する。


「なるほど。美への投資を惜しまない貴婦人たちを狙い撃ちにするわけか。競合は? この国に、そのような業態の店は存在しない。つまり、完全にブルーオーシャン市場……」


 彼の商人の血が騒ぎ始めていた。


「そして、うちのサロンには、絶対に他が真似できない、最強の切り札があります」


 ベルは、人差し指をくいっと立てた。


「僕が開発した、特製の『若返りのポーション』です。これを飲めば、なんと、物理的に10年、若返ることができるんですよ」


「……なんだと?」


 さすがのフェルも、そのあまりに規格外な商品の効果に、目を見開いた。


「物理的に、10年……? 冗談だろう」


「冗談じゃありません。エリクサーの派生品ですからね。もちろん、化粧水や乳液、ファンデーションといった、この世界にはまだ存在しない化粧品の数々も、僕の【工房魔法】で無限に生産可能です」


 フェルは、しばらく黙って考え込んでいたが、やがて、いつもの不敵な笑みを浮かべた。


「……面白い。ベル、君のビジネスはいつも金の匂いしかしないよ。いいだろう、話に乗った。場所は、メインストリートの角地、元々はクレイマー公爵が狙っていた土地だけど、先日の『魔導船』の一件で彼が信用失墜したおかげで、我が商会が格安で手に入れた一等地がある。そこを使っていいよ」


 話が早すぎる。ベルが感謝する間もなく、フェルは次々と指示を飛ばし始めた。

 最高の建築家、最高の内装業者、最高のスタッフを、ゼブル商会の総力を挙げて集めるという。

 こうして、ベルの思いつきから始まったプロジェクトは、王国最強角の商会の全面バックアップを得て、驚異的なスピードで実現へと向かうのだった。




 数週間後。

 王都エクロンのメインストリートの一等地に、白亜の神殿のような建物が忽然と姿を現した。


 黄金のプレートには、流麗な書体で『L'éclat d'Orレクラ・ドール』――黄金の輝き、と刻まれている。

 ベルがプロデュースする、世界初のエステティックサロンのグランドオープンである。


 その記念すべき最初の客として招待されたのは、もちろん、アシエラ王妃だった。


 恐る恐る足を踏み入れた彼女は、その内装の美しさに息を飲んだ。

 高い天井、磨き上げられた大理石の床、クリスタルのシャンデリア。アロマの心地よい香りが漂い、ヒーリング効果のある魔法音楽が静かに流れている。ここは、もはや店というより、美の女神を祀る神殿のようだった。


「ようこそ、アシエラ様。こちらへどうぞ」


 ベルに案内され、アシエラは完全個室の施術室へと通された。

 そこから先は、彼女にとって、生まれて初めての体験の連続だった。


 まずは、ベル特製のハーブを焚いた魔法の蒸気で、全身の毛穴を開かせるスチームケア。

 次に、希少な植物から抽出したオイルを使い、専門の訓練を受けたセラピストによる、全身のリンパを流すマッサージ。凝り固まった筋肉がほぐれ、心までとろけていくような心地よさだった。


「すごい……身体が、羽のように軽くなるわ……」


 そして、最新鋭(ベル作)の魔導脱毛器による、全く痛みのない脱毛施術。

 仕上げは、いよいよベルの真骨頂。


「アシエラ様。これを、どうぞ」


 ベルが差し出したのは、虹色に輝く液体が入った、小さなクリスタルの小瓶だった。


「これが……噂の?」


「はい。『若返りのポーション』です」


 アシエラは、ごくりと喉を鳴らし、意を決してそのポーションを飲み干した。

 フルーティーで、花の蜜のような甘い味が口の中に広がる。

 次の瞬間、彼女の身体を、温かい光が内側から包み込んだ。


「あっ……!」


 アシエラは、自分の手を見つめて驚愕した。

 長年の心労で少しだけ刻まれていた細かなシワが、まるで幻だったかのように消え去り、生まれたての赤子のような、ハリと透明感のある肌に変わっている。

 慌てて、セラピストが差し出した手鏡を覗き込む。


「……うそ……」


 鏡に映っていたのは、ここ数年の、憂いと疲れに満ちた自分の顔ではなかった。

 10年以上前の、まだベルが生まれる前、国王の寵愛を一身に受け、王国最強の女剣士として輝いていた、全盛期の頃の――いや、それ以上に生命力に満ち溢れた、若々しく美しい自分が、そこにいた。


 ぽろり、と。

 鏡を持つ彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 それは、悲しみの涙ではなかった。失われた時を取り戻した、歓喜の涙だった。


 この一件は、瞬く間に王都の社交界を駆け巡った。


『レクラ・ドールに行けば、アシエラ王妃のように10歳若返る』


 その噂は、どんな広告よりも効果があった。

 サロンには、美を求める王侯貴族の貴婦人たちが、文字通り殺到した。予約は半年先まで埋まり、店の前には毎日長蛇の列ができるほどの大盛況となった。


 面白いことに、あのクル・クレイマー公爵の奥方も、こっそり裏口から通う常連客になったという。


『レクラ・ドール』は、単なる美容施設ではなく、女性たちが自信を取り戻し、輝くためのパワースポットとして、フィリスティア王国に新たな文化を根付かせたのだった。




 サロンのオープンから数日後。

 王城のテラスで、ベルは紅茶を飲むアシエラと再会した。

 陽光の下で輝く彼女の銀髪と白い肌は、以前とは比べ物にならないほど生き生きとして、その表情は驚くほどに明るくなっていた。


「本当に、ありがとう、ベル。あなたのおかげで、私は少しだけ、前を向く勇気が湧いてきたわ」


 アシエラは、心からの笑顔でベルに礼を言った。

 その笑顔は、ベルが何よりも見たかったものだ。


 しかし、ベルは知っていた。

 彼女が本当の意味で救われたわけではないことを。


 ふとした瞬間に、彼女の瞳の奥によぎる、拭い去れない悲しみの影。


 そして、彼女の命を蝕み続ける、不治の病『ネクロゾーマ』の存在。


(まだ、だ。まだ、終わっていない)


 ベルは、胸の中で固く誓った。

 外見の美しさを取り戻すだけでは、本当の救いにはならない。

 母の病を根治し、攫われたサーヤを取り戻し、彼女に心からの笑顔を取り戻させる。それこそが、自分のやるべきことだ。


(そのためには、まず、あの薬を完成させなければ)


 病を治す希望、『アンチネクロゾーマポーション』。

 その調合に不可欠な最後の素材は、ヤム・ダンジョン80階層のフロアボス、『ヒュドラー』の血液。

 それは、今の『ジパング』のパーティーレベルでは、まだ到底太刀打ちできない、伝説級の魔物だった。


「待っててください、母上」


 ベルは、空に浮かぶ王都を見上げながら、静かに、しかし強く決意を固めた。


「必ず、あなたの病を治す薬を作ってみせます。そして、サーヤも……必ず、僕が助け出しますから」


 パーティー『ジパング』の新たなる目標が定まった。

 目指すは、前人未到のダンジョン深層、80階層。

 ベル・シレイラの物語は、仲間たちと共に、王国を救うための、次なるステージへと進む。



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