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第71話 魔導船

 

 ベル・シレイラ男爵の叙爵式と、国王イラーフとの壮絶な模擬戦から数ヶ月が過ぎた。

 黄金郷シレイラ・ドリームランドは、今や王国全土から人々が訪れる一大リゾート地として、その地位を不動のものとしていた。

 領主であるベルは、日々舞い込んでくる運営報告に目を通し、新たなアトラクションのアイデアを練り、そして王都の魔法学院では勉学をこなしながら、時折ダンジョンに潜っては攻略に励むという、超多忙ながらも充実した日々を送っていた。


 そんなある日の午後、ベルの元に一通の招待状が届いた。

 差出人は、アナとフェルの祖父であり、第四王子派の揺るぎない支柱でもある、ガテ・ヘフェル公爵。内容は、近々王都に来る際に、ぜひ二人きりで会食をしたい、というものだった。


「公爵閣下から……? いったい何の用だろう」


 ベルは首を傾げながらも、尊敬する祖父の誘いを断る理由はなく、週末に王都を訪れた際、指定された場所へと向かった。

 場所は、王都エクロンのメインストリートに聳え立つ、ガテ商会の本店。その最上階にある、限られた者しか入ることを許されない特別室だった。


「おお、ベル殿! よく来てくれたのう!」


 部屋に入るなり、柔和な笑みを浮かべたガテ公爵が、両手を広げてベルを迎えた。


「お久しぶりです、閣下。本日はお招きいただきありがとうございます」


「堅苦しい挨拶は抜きじゃ。ささ、こちらへ。腹も減っておろう」


 通されたテーブルの上には、王宮の晩餐会でも滅多にお目にかかれないような、最高級の食材を惜しげもなく使った料理の数々が、湯気を立てて並べられていた。きらびやかな前菜、黄金色のコンソメスープ、そしてメインディッシュは、海の宝石と称される巨大なロブスターのグリルと、A5ランクのミノタウロスステーキである。


「これはまた……すごいご馳走ですね」


「うむ。遠慮なく食べてくれ。今日は君に、少し相談があってな」


 ガテ公爵は、給仕が注いだ最高級のワインを一口飲むと、優しく、しかしどこか真剣な眼差しでベルを見つめた。


「なに、他でもない。我が最愛の孫、フェルのことでのぅ。あの子も、もうすぐ14歳の誕生日を迎える」


「フェルの誕生日……そうか、もうそんな時期ですか」


 ベルは親友の顔を思い浮かべた。第四王子として生まれながら、その才覚でゼブル商会を王国屈指の大商会へと育て上げた、冷静沈着な兄。彼ももう14歳になるのかと、ベルは感慨にふけった。


 ガテ公爵は話を続ける。


「ご存知の通り、我らフィリスティア王国は、古くから海洋国家として発展してきた。海と共に生き、商売で国を富ませてきたのじゃ。それゆえ、王侯貴族や富裕層の間では、子供が一人前になった証として、船を贈るという文化が根付いておる」


「ええ、聞いたことがあります。自分の船で商売を始め、独り立ちすると」


「その通りじゃ。わしとしても、あの子の門出に、最高の船を贈ってやりたい。これまで商会会頭として、王国に多大なる貢献をしてきたあの子に、相応しい船をな。……そこでじゃ、ベル殿」


 公爵は、テーブルに肘をつき、身を乗り出した。


「君のその、神の如き【工房魔法】で、世界一の船を造ってはくれまいか?」


 老獪な大貴族の、しかし孫を想う愛情に満ちた真摯な眼差し。

 ベルは、ミノタウロスステーキを一口飲み込むと、にっこりと笑って頷いた。


「もちろんです。フェルのためならお安い御用ですよ。お任せください、閣下」


 そして、彼は悪戯っぽく片目をつむいだ。


「ただの船じゃ面白くない。誰も見たことがないような、世界一……いえ、この世界の常識を覆すような、最高の船をプレゼントしますよ」


 その自信に満ちた言葉に、ガテ公爵は満足げに頷き、朗らかに笑ったのだった。




 それから約一ヶ月後。

 王都エクロンの王城は、華やかな祝賀ムードに包まれていた。

 先の争乱で一部が破損した王城の改修工事が無事に完了し、そのこけら落としとして、ザーフェル・フィリスティア第四王子の14歳の誕生日を祝う、盛大な夜会が催されたのだ。


 真新しいシャンデリアが眩い光を放つ舞踏の間に、着飾った王侯貴族たちが集い、談笑に花を咲かせている。

 主役であるザーフェルは、ベルがデザインし、超高級素材で仕立てた純白の礼装に身を包み、その隣には、燃えるような真紅のドレスをまとったアナが寄り添っていた。二人の王子王女のあまりの美しさに、誰もがうっとりとため息を漏らす。


 やがて、ファンファーレが鳴り響き、玉座の間に国王イラーフと宰相テルミニが姿を現すと、会場は静寂に包まれた。


「皆の者、今宵は我が息子、ザーフェルの誕生を祝う宴に集まってくれて、誠に感謝する」


 イラーフの威厳に満ちた声が、ホールに響き渡る。


「ザーフェルよ、前へ」


「はっ」


 フェルがゆっくりと進み出て、父王の前に膝をつく。

 イラーフは、満足げに息子を見下ろした。


「そなたはゼブル商会会頭として、その類まれなる才覚で我が国の経済を潤し、先のシレイラ村の開発においても、その手腕を遺憾なく発揮した。その功績は、王子という身分を差し引いても、賞賛に値するものである」


 そして、イラーフは高らかに宣言した。


「よって、本日この時をもって、ザーフェル・フィリスティアに、『フィリスティア海軍大将』の位を授ける!」


「「「おおおおおっ!」」」


 その言葉に、会場は大きくどよめいた。

 海軍大将。それは、海洋国家フィリスティアにおいて、陸軍大将と並ぶ軍部の最高位。それを、まだ14歳の王子に授けるというのだ。

 誰もが理解した。これは事実上の、次期国王指名であると。ザーフェル王子が、王位継承レースにおいて、他の兄弟たちから頭一つ、いや、体ごと抜きん出た瞬間だった。


 第四王子派の貴族たちが歓喜に沸く中、ただ一人、その決定に不満を隠さない男がいた。

 第一王子派の長、クル・クレイマー公爵である。彼は、ワインで真っ赤になった顔で、ずかずかと前に進み出た。


「お待ちくだされ、陛下!」


 無礼な制止に、イラーフが不機嫌そうに眉をひそめる。


「物申す! ザーフェル王子殿の商才は認めましょう。しかし、海軍大将とは、我が国の海の守りの要! 船の一隻も持たぬ王子殿に、その重責が務まるとは到底思えませぬ! ぶひっ!」


 デップリと肥え太った身体を揺らしながら、クレイマー公爵が得意げに言い放つ。それは、正論のようでいて、単なる嫌がらせに過ぎなかった。船を持たぬ王子が、船乗りたちのトップに立つことへの、伝統を重んじる海軍の一部貴族の不満を代弁した形だ。


「ほう、船がない、とな?」


 イラーフが面白そうにクレイマー公爵を見返す。

 その時、穏やかな、しかし芯の通った声が、会場に響いた。


「その心配には及びませぬな、クレイマー公爵」


 声の主は、ガテ・ヘフェル公爵だった。彼は、優雅な足取りで孫の隣に立つと、にこやかに微笑んだ。


「船ならば、この祖父が、最愛の孫の誕生祝いとして、とっくに用意しておりますとも。それも、世界最高の船をな。よろしければ、皆様、今宵この場で、そのお披露目と参りましょうか」


「な、なんと……!」


 クレイマー公爵の顔が、驚きと悔しさで歪む。

 周囲の貴族たちは、


「さすがはヘフェル公爵!」


「一体どんな船なのだ?」


 と、期待に胸を膨らませ、ざわめき始めた。


「では、皆様、王都の港へ参りましょう!」


「さあ、世紀の船出だ!」


 貴族たちが、我先にと舞踏の間から港へ向かおうと動き出す。

 だが、その人の波を、ベルが片手を上げて、穏やかに制した。


「皆さん、お待ちください。港へ行く必要はありませんよ」


 全員の視線が、ベルに集まる。彼は、にっこりと笑って、夜空を指さした。


「だって、僕がザーフェル王子に贈る船は、海の上じゃなくて……」


 ベルは一度言葉を切り、そこにいる全ての人間たちの度肝を抜く一言を放った。


「―――この空の上を、航る船ですから」


「「「…………は?」」」


 ベルの言葉の意味を、誰も理解できなかった。

 空を航る船? 馬鹿なことを。船とは、海に浮かべるものだ。


 クレイマー公爵は、腹を抱えて笑い出した。


「ぶひっ、ぶひひひひ! 聞いたか諸君! あの小僧、ついに頭がおかしくなったらしい! 空飛ぶ船だと? そんなおとぎ話、子供でも信じ……」


 公爵の嘲笑が、途中で凍り付いた。

 他の貴族たちも、アナも、フェルも、そしてイラーフ王までもが、信じられないものを見る目で、王城の巨大な窓の外、夜空の一点を見つめていたからだ。


「……な、なんだ、あれは……?」


 誰かが、震える声で呟いた。

 漆黒の夜空を覆っていた厚い雲が、まるで舞台の幕が上がるかのように、ゆっくりと左右に分かれていく。

 そして、その隙間から、満月の光を浴びて神々しく輝く、巨大な『何か』が、その姿を現した。


 それは、紛れもなく『船』だった。

 全長200メートルはあろうかという、巨大な船体。磨き上げられた白銀の装甲は、月光を反射して淡い光を放ち、船首や手すりなど、要所要所に施された黄金の装飾が、王家の船であることを示している。

 しかし、その船は、ありえない光景を展開していた。

 海に浮かんでいるのではない。マストもあり、帆もあるが、船体の側面や底部に埋め込まれた、いくつもの巨大な青い魔石が、静かな光を放ちながら、その巨体を、音もなく、夜空に浮かばせていたのだ。


「ま……魔導船……!?」


 魔法学に詳しい貴族が、かすれた声でその名を呼んだ。

 古代文明の遺物として、文献の中にしか存在しないはずの、伝説の飛空艇。

 それが今、現実のものとして、王都の夜空に鎮座していた。


 魔導船は、ゆっくりと高度を下げてくる。

 その圧倒的なまでの威容と、幻想的な美しさに、舞踏の間にいた全ての人間は、言葉を失い、ただ立ち尽くすだけだった。


 やがて、巨大な魔導船は、王城のパーティー会場となっている、巨大なテラスの真横に、寸分の狂いもなく、ピタリと横付けされた。

 まるで、巨大なクジラが、水辺にそっと寄り添うかのように。

 その静かで、あまりにも優雅な動きに、人々は、これが夢ではないことを、ようやく理解した。


「ひ……」


 腰を抜かす音が、やけに大きく響いた。

 音の主は、クル・クレイマー公爵だった。彼は、両目を見開いたまま、尻餅をつき、ワナワナと震えている。


「ひ、ひ、ひ、飛んでる……船が、空を、飛んでおる……」


 その光景は、彼のちっぽけな常識とプライドを、粉々に打ち砕くには、十分すぎるほどのインパクトを持っていた。


 ベルは、主役であるフェルの肩をポンと叩いた。


「フェル、誕生日おめでとう。これが僕からのプレゼント。その名も、『ゼブル・アーク』。君の新たな船だよ」


 呆然としていたフェルは、ゆっくりとベルに視線を移すと、やがて、こらえきれないといった様子で、くつくつと笑い出した。


「……ははっ、ははははは! ベル、君というやつは……本当に、いつも私の想像を遥かに超えてくるな!」


 親友からの、常識外れで、最高のプレゼント。

 ザーフェルは、空飛ぶ白銀の城を見上げ、新たな時代の幕開けを確信していた。


 フィリスティア海軍大将、ザーフェル・フィリスティアの伝説は、この日、この空飛ぶ魔導船と共に、華々しくその第一歩を踏み出したのである。


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