第58話 瓦礫と銀の風
ベルの身体がボロボロと崩れていく。まるで、精巧に作られた砂の人形が、激しい風に吹かれて形を失っていくかのようだった。神々に通ずるような膨大な魔力に、ベルの身体…いや、人間の身体は耐えられないのだ
成長した姿は、言わば“借り物の鎧”。今のベルには、まだ扱いきれない代物だったのだ。
「ベル!? あなた身体が…」
アナが、いつになく心配そうな顔で、ベルの顔を覗き込んだ。その顔は、普段の元気いっぱいの笑顔とは打って変わって、不安げに歪んでいた。
しかし、そんなアナの目に飛び込んできたのは、何の感情も宿っていない、人形のようなベルの顔だった。まるで魂が抜け落ちてしまったかのような、虚ろな瞳。それを見たアナは、思わず息を呑んだ。
「つっ……。 こぉの… アホベルー!! 何があったか分からないけど… しっかりしなさい!」
「……サーヤを助けられなかったんですよ…」
「サーヤって誰よ!? ………まぁ、いいわ。」
アナは、渾身の力を込めて、ベルの頬を叩こうとした…が、寸でのところで拳を止めた。いや、正確には、拳を“優しく引いた”のだ。
「サーヤが誰かは知らないけど、生きているなら… 助けられるでしょ? あんたは死んでても助けるんだから…」
アナの優しい言葉に、ベルの心に光が灯り始めた。サーヤを助けられなかった悔しさは消えない。しかし、アナの言葉が、彼の心を支え、再び前を向かせようとしていた。ベルは、そっと顔を上げると、慈愛に満ちたアナの顔がそこにあった。
「アナ!? いつからそんなに優しい顔になったんですか…?」
「わたしは昔から優しいでしょ!!」
ボコーーっ!!
次の瞬間、アナの拳が、ベルの腕に直撃した。…が、その結果は、予想外のものだった。
ベルの腕に拳が当たった瞬間、腕がまるで砂のように崩れ落ちてしまったのだ。
「ぎゃーーーーっ、ベルの腕が、く・ず・れ・たーーー!!」
アナは、悲鳴を上げながら、後ずさった。自分の拳で、ベルの腕を破壊してしまったことに、酷く動揺していた。
「アナが殴ったんでしょうに…」
ベルは、崩れ落ちた腕を見下ろしながら、呆れたように呟いた。
やれやれといった風に立ち上がったベルは、自分の身体と魔力を封印することを決意した。このままでは、アナに殺されてしまうかもしれない…という冗談はさておき、今の力は、自分にはまだ早すぎると判断したのだ。
「封印魔術・発動」
ベルがそう唱えると、光の粒がベルの身体を包み込み、その姿を7歳児へと変えていった。小さくなった身体は、どこか可愛らしく、愛嬌があった。
「治癒再生魔術・発動」
封印と同時に、ベルは治癒魔法を発動させた。崩れ落ちた腕は、あっという間に元通りになり、何事もなかったかのように、ベルの身体に繋がった。そして、銀髪、銀眼だったベルの髪と瞳の色が、黒髪、黒目に変わった。
ベルの姿を見て、アナは呟いた。
「あんたは何でもありね… それにしてもちっちゃいベルの方が落ちつくわ〜」
アナは、どこか安心したように、微笑んだ。やはり、ベルには、この姿が一番似合っているのかもしれない。
その場が落ち着きを取り戻すと、周囲の人々も動き出した。避難していた王族の中から、アシエラ第5王妃が出てきた。
「ベル! いったい何があったのですか? 身体は大丈夫なの?」
アシエラは、ベルに駆け寄り、心配そうに声をかけた。
「申し訳ありません…」
ベルは、アシエラにサーヤの事を話そうとした…が、言葉に詰まってしまった。サーヤの事を話すには、自分が『べアル・ゼブル・フィリスティア』だと話さなければいけなくなる。しかし、その名前を口にすることは、アシエラを危険に晒すことになるかもしれない。
ベルが迷っていると、父であるイラーフが、アシエラの前に進み出た。
「アシエラ… すまん、お前の義妹が攫われた…」
イラーフは、苦渋の表情で、アシエラに告げる。
「えっ!? さ、サーヤが? なぜです? 何のために…」
アシエラは、ガクッと膝を落とし、絶望に打ちひしがれた。イラーフは、素早くアシエラを抱き寄せ、支えた。
何のために?
その言葉は、イラーフの心に深く響いた。王族を攫うならまだしも、ただのメイドを攫うために、ここまで大掛かりな騒動を起こすだろうか?
いや、ここまでの事をする理由にはならない。
サーヤに対して魔王への帰依を求め、まるでサーヤが魔人になることを予め知っていたかのような、魔人ビュレトの言動。
そして、サーヤが魔人として蘇ったのは、ベルが偶然居合わせ、その力で蘇生させたからだ。まるで、未来を知っていたかのような、その一連の行動に、イラーフは戦慄を覚えた。
聖九柱教、魔人、魔王。これから始まるであろう戦争を予感し、イラーフは血の気が引く思いだった。しかし、そんな絶望的な状況でも、彼には希望があった。魔人と互角に渡り合える、ベルの存在だ。だが、そのベルに関する記憶が、人々の間から消え去ってしまうという現象。これは、間違いなく精神系の闇魔法のせいだろう。
肝心なのは、その魔法を誰が使っているのか、ということだ。
頭を抱えながら、イラーフはベルを呼び、二人きりで話すことにした。
「べアル・ゼブル。 お前はまだ少しの間、その名を名乗るな。 危険がアシエラに向かわないように…」
イラーフは、真剣な眼差しで、ベルに命じた。
「畏まりました。 陛下の仰せのままに。 母上に危害がいくのは防がないといけませんからね」
ベルは、恭しく頭を下げ、イラーフの命令に従うことを誓った。アシエラに危険が及ぶことだけは、何としても避けなければならない。それが、今のベルにできる、唯一のことだった。
こうして、ベルは再び幼い姿に戻り、べアル・ゼブルとしての力を封印した。しかし、彼の戦いは、まだ終わらない。サーヤを救い出すため、そして、アシエラを守るため、ベルは新たな決意を胸に、再び立ち上がることを誓った。




