第39話 長い1日の終わりと新たな日々の始まり
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「知らない天井だ…」
目覚めの一言に、それを言ってしまったベルであったが、数舜後には粗末な藁が敷き詰められたベッドを飛び降り、石畳の上で土下座をしていた。
そして、必死に地球にいるであろう、何処かの誰かに謝ってから、気付く…
自分の両手に手錠がかけられている事に…
えっと… 何なんでしょう? これは… 手錠ですよね…?
あの魔術が使えると良いのですが…
『解錠魔術・発動!』
ガチャリと音を立てて、鉄の手錠が石畳の上に落ちる。
「それにしても…」
「此処は、どこですかーーー!?」
王都エクロンにある、王宮に隣接して建てられている後宮の一角に、現在この国に居る王族が集まっていた。
ある人物を待ちわびているのだ…
勢いよく扉が開けられ、金髪の少女が飛び込んでくる。
「母様!!」
「アナ!?」
1人の美しい金髪の女性が、前に進み出て少女を抱きしめ、瞳からは安堵の色を滲ませた涙を流す…
この女性は、アナとフェルの母親で、ガテ・ヘフェル公爵の娘でもある、ソフィア・フィリスティア第4王妃であった。
「アナ… よく無事で…」
続いて他の王妃達も、アナを囲み、それぞれに喜びの言葉をかける。その中に、ベルの母、アシエラの姿もあった。
「アシエラ先生… 今回の事で解ったの… 自分がまだまだ弱いって…」
「あんな悔しい思いは、もう二度としたくない… だから、明日からもっと厳しい訓練をお願いします!」
自分の実力を受け入れ、もう1度立ち上がろうとしている10才の少女の、真摯な瞳がそこにあった。
なんと強い娘なのだろうか。
自分がこの年齢の頃に、こんな決意の籠った瞳をできてはいなかった。
この娘に自分の技の全てを教えてあげたい。
だが、病に蝕まれているこの身体では、思うように指導できないのだ…
魔力を練る事は、ナボポラッサル王宮筆頭薬師から命に係ると、全面的に禁止されている現状、身体を作る基礎鍛錬と魔気を纏わない剣術しか教えられていない。
自分の不甲斐無さを嘆く… だが、そんな情けない姿は、愛弟子で可愛い義理の娘であるアナには見せたくないと、必死に顔を作り、優しくアナの頭を撫でてやるのだった…
「一緒に強くなりましょうね… アナ…」
その様子を、部屋の扉の前で微笑ましそうに見守っているイラーフの姿があった。
そこに突然、急ぎ足の伝令がやってくる。
「歓談中に失礼いたします! 先程、捉えておりました賊が1人、脱獄した模様です!」
「「「なっ!?」」」
和やかだった部屋に緊張が走った!
「ちっ! それで、どんな奴が逃げた?」
ガラハドではあるまいかと、イラーフは頭を抱える…
アイツだけは、逃がしてはならないのだ。
今回のアナの件もあるが、『あの人』を殺した仇の1人でもあるのだから…
「はっ! 逃げた賊は、妙に礼儀正しい言葉使いをする、黒髪のまだ子供との事です!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「「それって…」」
「「ベルじゃない??」」
アナとフェルは顔を見合わせるのだった。
謁見の間にある玉座にイラーフは腰を掛けて溜息を付く…
この不可解な違和感を1度味わった事がある。
それは、もう2年程前になるのか、自分の息子である、べアル・ゼブルが自分の知らぬ間に手配され賞金首にされていたのと似ていた。
今日、自分は、アナを助けた気絶している小さな英雄を、国賓待遇で城に招けと命じた筈なのだ…
それが、いつの間に、その少年は牢に入れられていた。訳が解らない…
イラーフが頭を抱えていると、この国の宰相である、テルミニ・イメレーゼ侯爵がやってきた。
「先程の件、調べてきたぞ」
「やはり、勝手に命令書が出ていた… 誰が、いつ出したのか、知っている者はいなかった…」
「2年前と同じだな…」
2人きりの時は、気軽に敬語抜きで喋るテルミニも思う事があるのか、顔を顰める。
この国の最高権力者である自分も知らない勢力が、城の中に息づいているのだ。得も言われぬ不安で胸が締め付けられていく、イラーフであった…
「父さま! ベルを連れてきたわよ!」
元気で愛らしい声が、謁見の間に響き渡る。
アナとフェルに両手を引かれ、まるで何処かの宇宙人の様な醜態を見せているベルがいた…
牢を抜け出したベルは、此処が城内の地下牢である事が解ると、久しぶりにサーヤに会いたくなった。
だが、それがいけなかったのだろう。後宮へ密かに向かおうと隠れていたのに、何故かアナに見つかってしまったのだ…
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
イラーフは、黒髪の少年に対して既視感を抱いたのだが、何処で会ったのか思い出す間もなく、ベル達に続き、城に詰めていた貴族達も、謁見の間に入室してくる。
そして、中央の豪華な絨毯の上で、膝を折り、屈膝の礼を行っているベルに対して、好奇な視線を注いでいるのであった。
「ベルとやら… 此度は、娘のアナトリア救出、大儀だったな… 面を上げて、そんなに畏まらないでくれ」
ベルは違和感を感じた… それは、2年前に1度だけ会ったイラーフとは違い、声が優しいのだ。
恐る恐る、顔を上げて正面の一段高い玉座に座っているイラーフを… 父を… 見遣る。
少し、痩せたのだろうか… 以前の圧力は感じられない。
王という職業は、気苦労が多いのかもしれないと、少しだけ同情してしまうベルを余所に、突然、イラーフが立ち上がり、ベルの元まで降りて来る。
そして、ベルの前で片膝を折り、肩に手を掛けたのだった。
場内の貴族達が騒めき立つ。
王が平民の子供の前で、膝を着くなど有り得ない事なのだ。
「娘を助けてくれた恩人に対して、牢に入れるなど、あってはならぬ非礼だ!許せ…」
その言葉に、この場にいる全ての人間が驚きを隠せなかった…
1人の貴族が一歩前に出て、言い放つ。
「その様な振る舞いは、王の沽券に関わりますぞ!! お止めくだされ!」
そうだ、そうだと、幾人かの貴族達が囃し立てる…
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
恐ろしい魔気と共にイラーフは、立ち上がり言明した!
「この小さき英雄を、貶めようとした者がこの城内にいた! そ奴等は、俺の娘を拐かそうとした聖九柱教の奴等の手引きをした疑いもあるのだ!」
「この者と俺の家族に手を出した、そ奴等を俺は絶対に許さん! 必ず見つけ出し、然るべき罰を与えてやる! そして、この国で聖九柱教は、一切の布教を禁止とする事を宣言する!!」
海千山千の貴族達でも、イラーフの放つ魔気に耐えられる者は半数程であろうか…
気絶を免れた者達は皆、一斉に膝を着き首を垂れる。
「「「御意に!!」」」
この瞬間、フィリスティア王国は聖九柱教と決別したのである…
これから始まるティルス大陸全土を巻き込んだ、長く苦しい大戦の幕開けが、これであったと後の歴史書には書かれるのであった…
ベルは、不思議だった。 初めて会った時は、殺されかけ、次に会った時は、庇われたのだ…
どちらが、本当の父の姿なのか? 思考の渦に飲まれている中、1つだけ確かな感情が浮かび上がってくる。
幸福感。
このフェニキアと言う世界に生まれ変わってから7年、家族から愛情を受け取った事は1度も無かった…
それが、今日、初めて優しい言葉を掛けてもらえたのだ。
例え、嘘だとしても、自分が息子だと気づいていなかったとしても…
嬉しかったのだ。
勝手に顔が綻んでしまう自分が少しだけ、恥ずかしかい… だが、心地よい…
「なに、ニヤけてるのよ? 気持ち悪いわよ? 殺すわよ…」
アナの声で我に返る。
ベルは、謁見の間を離れた後、現在、王族達との夕食会に強制的にお呼ばれされ、大歓迎を受けていた…
イラーフを中心として、第1~第5王妃達と、アナにフェル、そして第3王子である、ギビル・フィリスティアも同席していた。
他の2人の兄と姉1人は、現在、外国に留学中との事であった…
「いえ、アナが元気そうで良かったと思っていたのですよ」
「それに、こんなに賑やかに大人数で食事をした事がなくて…」
「楽しいやら、恥ずかしいやらで…」
少し、しんみりした空気になるが、謁見の間にいた貴族達とは違い、暖かい目で見守られているのが解り、余計に気恥ずかしくなるベルだった。
そこに、自分の息子だとは気づいていない、アシエラが助け船を出してくれる。
「そう言えば… その歳で1人で生活しているとアナから聞いたのだけど、あなたのご家族はどうしていらっしゃるのかしら?」
素朴な疑問であろう。7才の少年が1人で生きているのだ… 何かしら良くない事があったのだろうと簡単に推測できる。
自分の息子と歳を同じくしているこの少年の事が、気になって仕方がないアシエラなのだ…
フェルやアナも、今まで聞きたかったのだが辛い話しをさせるのは本意ではなかったので、あえて聞いてこなかったのだが、興味津々に聞き耳を立てる。
「王族であらせられる皆様方には、僕の事でお耳汚ししてしまうのは、心苦しく存じますので簡潔に申しますと…」
「父には殺されかけ… 母には1度しか会った事がないのです…」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
場が凍る…
「ちっ! クソだな! その親父は! 俺がそいつに会う事があったら、一発ぶっ飛ばしておいてやる!」
何処かで聞いた事のあるセリフだが…
自分で自分を殴るのかと、ほくそ笑むベルだった。
「!?」
いつの間にか、自分の席を立ちベルの側まで来ていたアシエラは…
静かに、ベルの頭を抱きかかえ… 涙する…
アシエラの事情を知る者達は、何も言わず、それを見守っていた。
ベルの脳には、懐かしい暖かく優しい匂いが漂ってくる…
この感覚は覚えがあった。自分が生まれる前に感じたあの感覚だ。
無色の空間にいた頃に感じていた、絶対の安心感。
いつの間にか、ベルの瞳からも、とめどなく涙が溢れていた…
目頭を押さえながら、イラーフが話しかけてくる。
「そう言えば、言い忘れてた! ベル、オマエ貴族になるからな! 領地は王都に近い所を見繕ってやるから安心しろ!」
「それに、学院に行け! 明日、特別に入学試験を受けさせる様に言っておいてやったぞ!」
ガッハハと笑いながら爆弾発言をしてくる王様… いや、父だった…
「へ、陛下… 僭越ながら申し上げますが… まだ、子供の僕には、領地経営など無理かと思われます」
「よって、学院はともかく… 貴族になるお話しは辞退したく…」
ベルは自由に生きていたかったのだ… 厄介事は勘弁願いたいと、叙爵の話しは断ろうとしたのだが、話しを最後まで言う前に、アシエラに阻まれる。
「あなた、良い考えだわ!流石よ! ベルが学院に行く事になれば、アナの警護も兼ねて毎朝、王宮にお迎えにいらっしゃいな…」
「王宮に出入りするには、爵位はあった方が良いのよ?」
「そうなれば… いつでも会う事が… できるかも…」
捲し立てるように、叙爵と学院の有効性を説いてくるアシエラの最後の一言は、余りにも小さく、ベルにも聞き取る事は出来なかった…
そして、済し崩しにベルの叙爵と学院生活が決まってしまったのである。
夕食会は、アナの生還とベルの叙爵の祝いの宴に変わっていった…
「そう言えば、わたしも言い忘れてた事があるの!」
今度はなんだと皆でアナに視線を向ける。
「わたしね…」
「赤ちゃん… できちゃったみたい…」
一斉に口の中の物を吹き出す王族達だった。
「ち、父親は… 何処のどいつだぁぁぁ! 今日か? 今日やられちまったのか!?」
とち狂っている王を余所に、アナはそっと指をさす…
その指の先を追うと… 黒髪の少年がいた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「えぇぇぇーーー!?」
「ちょ、ちょっと待ってください! アナ! 僕はそんな大人な経験なんて… あるような、ないような…」
「うん、やっぱり… オマエ死刑な!」
そう言って、イラーフは国宝アパラージタを抜き構える!2年前の再現かと思われる程の殺気が部屋に充満し、ベルを追い詰める。
「少し待ってあげてください! 父上!」
すかさず、フェルが止めに入ってくれ、もう1人の兄、ギビルも父親を羽交い締めにし止めてくれていた。
「アナ… その… 赤ちゃんはいつできたんだい?」
「うん? 今日だけど? ベルが気絶してる時にね…」
「チュウしてあげちゃったから…」
唇とお腹に、そっと手を添えているアナに視線が集まり…
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
約1名以外、皆、ホッと胸をなでおろす…
「えっ!? なによ? チュウしたら赤ちゃんできるんでしょ? アシエラ先生が教えてくれたもん!」
ベルは、アシエラを見遣るが、吹けない口笛を吹く真似事をし、可愛らしくそっぽを向く母の姿があった…
翌朝目を覚ましたベルは少し戸惑う、自分が後宮に居た時の部屋とは比べようもない、王宮の豪華な客室に泊まる事を許されたのだ…
用意された朝食も、自分が食べていた物とは、レベルの違う食材を使った料理が出される。だが、サーヤの用意してくれていた朝食の方が美味しかった記憶があるのだ…
自分1人で何でも出来ると思っていたが、考えてみるとサーヤがいなければ、確実に生きては行けなかった…
フェルやアナがいなければ、商会なんて立ち上げようなど思いもしなかったし、ただ、ダンジョンで暗い生活を送るだけだったであろう…
そして、これからも誰かに助けてもらって生きていく…
いつか自分も、誰かの為に何かを出来る人間になれたらと…
朝食を食べ終えたベルは部屋の扉を開ける。そこには、金髪の兄妹が待っていた…
「ちょっと! ベル聞いてよ! 誰も赤ちゃんの作り方教えてくれないのよ!」
「ベルは知っているの? 知ってたら教えなさい! 教えないと殺すわよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
困り果てたベルは、フェルに助けを求め見遣る。
「まあまあ… そんな事より、今日はベルの入学試験なんだし、学院を案内でもしてあげようよ! ね? アナ?」
「もう、そんな事言って、みんな誤魔化すんだから!」
「ベルは、赤ちゃん欲しくないの…?」
しどろもどろになってしまうベルに対して、プーと頬を膨らませ、そっぽを向いてしまうアナを不覚にも可愛いかもと思ってしまったベルであった…
実の姉だと言う事は… まだ言えない…
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