天使と悪魔 #ヨシワラ
「…マジな依頼か?」
レグルスは仲介人"Y"を前にして腕を組み、困惑を隠さずにいた。
「マジな依頼ですわ。」
そう言うYは、改めて契約書を差し出す。
「貴方の事はMから聞いております。腕の良い|何でも屋《"ジャック"・ランサー》だと。でもまだ裏の仕事は日が浅い。今最も必要なのは、パイプ。そうではなくて?」
目の前に座る"Y"とは、まだ仕事をした事が無い。
本来はそういった相手からの仕事は慎重になるべき、というか以前までのレグルスなら迷わず断っていた。
しかし目下金策に奔走中であるレグルスは、どのような依頼であっても基本的には受ける前提で話を聞く事にしていた。
「ううむ…そう言うもんか…?」
しかし、である。
依頼主は上層部の中堅財閥、ジェルマングループの創業家。
レグルスにとってはかなりの大物であり、確かにパイプ作りには打って付けではあるが…
「いやしかし…ペット探しはなぁ…」
依頼内容は、下層で行方不明になった2匹の飼い猫の捜索であった。
流石のレグルスも、予想外の内容に返事を決めかねていた。
「ジェルマングループは今勢いのある財閥。その創業者であるサム・ジェルマンが今回の依頼主です。首尾よく運べば、サム・ジェルマンとのパイプが繋がるかもしれませんよ?報酬も破格です。」
確かにその通りだ。
報酬は2,000万$$。
破格…いや、はっきり言うと異常な報酬だ。
その点もまた、レグルスが懸念を感じるところである。
「この猫…本当にただの猫か?」
「契約書に書かれている通りですわ。"対象となる生物に関して、いかなる詮索も禁ずる。"」
(怪しいもんだ…しかし…)
レグルスは腹を決めた。
今はなりふり構っていられない。
「わかった。受けよう、その仕事。」
Yは蛇のように舌なめずりし、手際よく契約手続きを行った。
契約書を取り交わすと、挨拶もせずさっさと帰って行く。
「気味の悪い女だ…」
「終わったの?」
Yと入れ替わりに、アイが部屋に入って来た。
「ああ。」
レグルスはアイに依頼内容を説明した。
「…その仕事、怪しすぎない?」
アイは眉を顰めた。
「まあな。」
レグルスは肩をすくめる。
「だが今は、とにかく金がいる。そうだろ?」
「そうね…」
超深度地下構造体制覇。
それがアイとレグルスが交わした契約であり、その為に金はどれだけあっても足りないほどだ。
「でも、やっぱり怪しすぎるわよ。」
「だから、問題無…」
言いかけたレグルスを制して、アイが言った。
「私、手伝うわ。」
レグルスは一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「は?何をだよ」
「仕事よ。ペット探し。」
そう言うなりアイは、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「準備してくるわ。勝手に行かないでよ。」
「…本気かよ」
レグルスは呆気に取られて、呟いた。
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欲望の街 下層
歓楽街
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Yからの情報によると、2匹の猫は歓楽街で行方がわからなくなったとの事。
猫など探した事が無いレグルスは、とりあえずその情報を信じて、怠惰と悦楽の町を訪れていた。
「けばけばしい所ね。」
その傍に、サングラスと帽子を身につけたアイがいた。
「そうだな。ところで、分かってるな。」
「はいはい。勝手な事はしない、帽子とサングラスを外さない、でしょ。分かってるわよ。」
サングラスと帽子は、レグルスの指示で身に付けさせた。
アイの美貌は、余計なトラブルを招き寄せるからだ。
現に、顔を隠しても尚、幾人もの男に声を掛けられている。
「はあ…ったく何でこんなことに…」
「なによ。2人でやった方が早いでしょ。さっさと行くわよ。」
そう言うと、アイは先に立って歩き出してしまった。
「勘弁してくれよ…」
レグルスは一瞬天を仰いだ後、アイを小走りに追いかけて行った。
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欲望の街 下層
歓楽街
大娼館"ヨシワラ"
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レグルスとアイは連れ立って、ネオン・シティ最大の娼館である、"ヨシワラ"を訪れることにした。
ネオンシティを進むと、娼館という呼び名が憚られるほど、巨大な建造物が現れる。
まるで城のようなソレが、ヨシワラだ。
外観は、旧世界のとある島国で発展した"城郭建築"。
巨大な城郭は伝統的な様式美を備えているが、至る所に取り付けられたネオンライトがそれを上塗りしてしまっている。
天守に当たる場所には、全方位型スクリーンが備え付けられており、そこに現在内部で行われている"プレイ"が常時映し出されていた。
ある者達は首を締め合い、ある者達はムチで打ち合い、ある者達は獣に犯されている。
そんな光景が24時間365日、常に映し出されている。
また、城のあちこちにガラス張りの小部屋が置かれており、その中で行われている"プレイ"を道行く人々に見せ付けていた。
「な、何なのよここはっ!?」
アイはあまりに生々しい光景に、目のやりどころを無くしてしまっている。
顔を真っ赤にして下を向き、立ち止まってしまう。
「だからやめとけって言っただろう…」
「だ、だってっ!こんな…こんな…」
普段冷徹とすら言えるアイが、年相応に慌てふためいているのを見るのは、ある意味微笑ましくもあるのだが、流石に仕事に支障が出ては困る。
「はあ…とにかく歩け。下向いてていいから。」
レグルスは仕方なくアイの手を握る。
「ひゃっ!?ちょ、ちょっとっ!?」
抗議してくるアイを無視して、レグルスは手を引いて歩き始める。
最初は抵抗していたアイも、やがて大人しく後を着いて来るようになった。
正面玄関からヨシハラの中に入る。
中は広い空間になっており、裸の男女がズラリと並んでいる。
よく見るとそれらは精巧に作られたホログラム映像であり、客達はその映像を見て指名する相手を決める仕組みだ。
ホログラムのモデル達が思い思いに卑猥なポーズを決めるのを、レグルスは完全に無視して進む。
アイは一度中を見回そうとし、裸の男を見て小さく悲鳴を上げた。
大慌てでレグルスの後ろにくっつき、また視線を床に貼り付けて歩き出す。
受付に辿り着く。
「何か?」
受付の男は、アイに貪るような視線を向けている。
「監視カメラの映像が見たい。」
レグルスはその視線を遮るように身体を移動し、用件を伝えた。
「無理ですね」
男は即答で突っぱねる。
想定通りの答えだ。
「サム・ジェルマンからの依頼だ。」
レグルスはYから受け取っていた紹介状を出す。
男はその中を検める。
「またですか…」
「何だと?」
「少々お待ちください。」
男はレグルス達をその場に残し、裏に下がった。
暫く待つと、責任者と思しき男と連れ立って戻って来た。
「ジェルマン様からの依頼だとか?」
奇妙に甲高い声で、責任者が尋ねてくる。
「そうだ。」
レグルスは再び紹介状を見せる。
紙のような体裁だが、もちろんただの紙ではない。
電子紙。
個々のペーパーにはIDが付与されている。
そしてそれぞれのIDに対応する専用ペンが用意されており、専用ペンで記載した内容は日時、加入者のDNAタグ、筆跡ベクトル、ペーパーIDと共にNFT化される仕組みだ。
ブロックチェーン上のテキスト情報は改竄ができないため、
それが確かにジェルマンによって書かれた事が担保される。
「確かに。失礼しましたわ。」
署名台帳の確認を終えた責任者が、慇懃に謙る。
「私は、とう施設の責任者、レディ・マスキュラーですわ。以後、お見知り置きを。」
レディ・マスキュラーは、ハンプティ・ダンプティのような卵型の身体をくねらせて腰を曲げた。
「ああ。さっさと案内してくれ。」
レグルスは無表情に要求する。
マスキュラーは下手に出ているが、腹の中では何を考えているか分かったものではない。
気を許すつもりはなかった。
「どうぞこちらへ」
レディ・マスキュラーはレグルスの冷たい対応を意に介さず、奥の部屋へと案内した。
そこはモニターが無数に並ぶ、監視室だ。
小太りでピエロのように白粉を塗りたくった、男とも女ともつかないレディ・マスキュラーは、椅子と端末を指し示した。
「こちらで、過去1年分の監視映像を確認できますわ。」
レグルスは黙って椅子に腰掛ける。
猫が行方知らずになったのは1ヶ月前。
それより前の記録は対象から外す。
それでもデータ量はとんでもないボリュームだ。
「サム・ジェルマンのデータはどれだ?」
「さあ?分かりませんわねぇ。」
マスキュラーは耳に触る声で笑った。
自分で探せという事か。
恐らく、こうして映像を見せてくれるだけで相当な譲歩をしているのだろう。
(これ以上は求められない…か。)
レグルスは仕方なく、端末を操作して適当に映像を再生してみた。
薄暗い通路が写っている。
次の映像も、その次も同じような映像だ。
「室内の映像は?」
「そんなものがあると、ほんとに思っているのかしら?」
今度は小馬鹿にしたような声。
「このヨシワラは、現世に顕現した桃源郷。お客様のお部屋はまさに"聖域"!そこをコソ泥のように隠し撮りするだなんて、まさに下衆の考える事ですわぁっ!!」
レグルスは舌打ちする。
「表に堂々と室内が映ってたが?」
「あなたは本当に、何もわかっていないのねぇ。己の秘めたる欲求を、隠したい人もいる。でも逆に、見せつけたい人もいるのよぉ?」
意味がわからないし、分かりたくもない。
レグルスはもう、マスキュラーには頼らない事に決めた。
地道に進めるか…
そう思ってふと隣を見ると、アイが端末のポートに指を伸ばしていた。
「何をしてる…?」
「良いから、黙って見てなさい。」
アイがポートに触れる。
すると、ディスプレイが激しく明滅し始めた。
同時にアイの瞳が蒼く輝く。
ディスプレイに、凄まじい勢いで映像が再生され始めた。
「お前一体…」
「しっ。見つけたわ」
驚くレグルスを余所に、アイは一心不乱に何かを追っている。
やがてディスプレイが、1つの映像を映し出した。
バックヤードなのだろうか、倉庫のような広い空間だ。
「そこ…よく見て…」
アイが指し示す部分が、拡大投影される。
「…っ!この猫…!」
そこには2匹の子猫が、何かを食べている様子が写っていた。
映像の記録日時は、今日。
「ここに居着いてやがるのか…」
「そうみたいね。」
アイは端末から指を離した。
双眸の蒼い輝きが消える。
少し息が荒く、額に汗の球が覗く。
「大丈夫か?」
アイが何をしたのか、気になるところだがそれは一旦傍に置く。
「ええ…なんともない。行きましょう。」
読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本にある吉原という遊廓のお名前を借りております。
恥ずかしながら、ずっとヨシハラだと思っました…
遊廓編といえば、鬼滅の刃でもありましたね。
ただ世界観が違いすぎるので、参考にはできないかな…
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