謎の少女 #アイとの取引
「きったない部屋ね」
レグルスは仏頂面でその少女を睨む。
美しい。
彼女の容姿はその一言に尽きる。
すらりとした細身、それでいて出るべきところは出たしなやかなシルエット。
透き通るような銀髪は、新雪のような肌と相まって神秘的な美しさを醸し出す。
端正な顔立ちの中で、海のように深い紺碧の瞳は強い意志を放ち輝いている。
立っているだけであらゆる人間を惹きつけるような、美そのものといった姿だ。
「こんなゴミ溜めによく住めるわね。」
女神のような彼女から出てくるのは、ナイフのように鋭い暴言であるが。
「1人だから良いんだよ」
「1人の時の姿こそ、その人間の真の姿よ。」
「…なんだよ、それ」
「マネジメント力の無い人間は早死にするわよ?さっさと片付けなさい。」
「………」
空前絶後の美少女に顎で使われるレグルス。
そっちの性癖があれば大喜びするだろうが、生憎レグルスにその気は無い。
内心の苛立ちを盛大に態度で示しつつ、散らかった部屋を片付ける。
「ったく…なんでこんなことに…」
レグルスは苦々しい思いと共に、彼女との出会いを反芻する。
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超深度地下構造体 5時間前
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「私と、取引しなさい。」
レグルスは状況が全く飲み込めていなかった。
目の前に、未だかつて誰も目覚めたことのない眠りから生還した少女がいる。
それだけでも想定外なのだが、彼女が開口一番意味不明な事を言ってきたものだから、レグルスは完全に混乱していた。
「取引…だと…?誰が、誰とだ…?」
世にも美しい少女は、少しだけ首を傾げて言った。
「ここには私とあなたしかいない。そんな事も分からない馬鹿なの?」
「……わかった。俺と、お前の取引…だな?なら、断る。」
レグルスは強い口調で断った。
こんな奴に関わる必要がない。
さっさと帰ろうとしたレグルスの背に、少女の声が浴びせられる。
「ルーシーの居所」
「…なに?」
レグルスは足を止めた。
止めるしかなかった。
振り返り、少女の吸い込まれるような瞳を睨みつける。
「お前、どこでその事を…」
「今はそんな事関係ないでしょう。今重要なのは、あなたが求める情報を、私が与えられるって事。」
「お前の情報など信用できるか。」
「さあ、それはあなたが決めなさい。元十二巨頭のレオン。」
レグルスはリボルバーを抜き、少女の頭に狙いを定めた。
「お前…何者だ?何故知ってる…?」
「アイ。」
「何だと?」
「イザナミ・アイ。それが私の名前。」
そういうとアイは軽やかにコールド・スリープ・マシンから出ると、平然と銃口の横を通り過ぎた。
そのままレグルスと並び、そしてすれ違う。
「どこへ行く?」
「決まってるでしょ?あなたの家よ。」
「俺はお前との取引など…」
「受けるわよ。あなたは必ず受ける。だから悩むだけ時間の無駄。さっさと案内しなさい。」
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欲望の街 下層
レグルスの自宅兼事務所
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「それで、ルーシーはどこにいる?」
事務室の机を挟んで、レグルスはアイに強い視線を送る。
この少女を撃ち殺してしまった方が良いのではないか…その疑念は今も胸に渦巻いている。
しかし、彼女が知るはずのない情報を知っていた事実がそれを押し留めている。
「さあ。何処かしらね」
「お前…!」
思わずに腰に手が伸びたレグルスをアイは冷たく見据える。
「取引…と言ったはずよ?」
「…何が望みだ?」
レグルスは低く唸る。
返答次第では撃つ。
そう心に決めてそっとリボルバーに触れる。
「ダンジョン制覇」
事もなげに告げたアイ。
レグルスは暫し、言葉に詰まる。
「…何寝惚けた事言ってやがる。誰一人下層にすら到達してねぇんだぞ。」
ダンジョンには大きく分けて、上層、中層、下層の3階層があることが分かっている。
そして現在、最も深い到達点は中層。
その最深部であるレベル10が、人類の限界点である。
「下層は化け物だらけだ。人間がどうこうできる場所じゃねぇよ。」
迷宮の怪物。
ダイダロスが生み出したモンスター。
今日倒したガーディアンなどとは比べ物にならない相手。
下層にはそんなミノタウルスが何体も存在する。
レグルスの胸の奥深く、封じ込めた古傷が疼いた。
アイはレグルスの事情などお構いなしに、冷たく告げる。
「諦めるの?」
ルーシーを。
言外に含まれたその言葉に、レグルスの心は掻き乱される。
「………」
諦められる訳がない。
しかしダンジョンの下層は、今のレグルスが挑むには余りにも深い地獄であった。
「背中を押してあげましょうか」
アイが、微笑む。
それは天使のような、それでいてレグルスを奈落に突き落とす悪魔の笑み。
「ルーシーは今、下層にいるわ。」
そう言うなり、アイはその芸術品のような指を、レグルスの首元に当てた。
その瞬間、レグルスの全身に電流が走った。
指一本動かせなくなる。
視界が変色し、世界が書き換わっていく。
まるで白昼夢のような光景。
そこに、ルーシーが居た。
目を閉じているが、微かに上下する胸が、彼女の生を示している。
少しずつ視野がはっきりとしてくる。
ルーシーは無数の管が生える機械の中で眠っているようだ。
奇妙な既視感。
それは…
(永久冬眠装置…?)
その時、急激に視界がぼやけ始めた。
(ルーシー…!!)
レグルスは無駄と知りつつも、必死に手を伸ばす。
ずっと探し続けていた、娘に。
「ルーシー…!!」
金縛りが解けると共に、白昼夢は消え去った。
レグルスは視線を上下左右に走らせた。
そこは見慣れたレグルスの家だ。
そしてアイはもう、椅子に座っていた。
「い、今のは…」
間抜けな声だと悟りつつ、レグルスはアイに尋ねる。
「ルーシーよ。彼女は無事。」
当然とばかりにアイは答える。
(俺をハッキングして…あの映像を見せたのか…?あの一瞬で?)
レグルスの生体脳をハッキングするには、第二の脳であるステラのファイアウォールを突破しなければならない。
それは生半可な演算能力では不可能で、なんの装備も身に付けていない少女に一瞬で破られるような代物では無いはずなのだ。
「お前は一体…何なんだ…?」
レグルスは薄ら寒い感覚すら感じ始めた。
この少女には、何か重大な秘密がある。
それは間違い無い。
だが今は…
「今、それは重要じゃない。そうでしょ?」
レグルスの心を読んだかのように、アイが先回りする。
そう、今優先すべきなのはこいつの正体なんかじゃ無い。
ルーシーは生きていた。
奇妙な程の確信と共に、その事がレグルスの心に刻まれた。
それは都合の良い幻想で、自分は魔女に誑かされようとしているのかも知れない。
心の何処かでレグルスは考える。
しかし、別の何処は、高らかにこう叫んでいた。
(信じるしかない。ずっと…ずっと探していた手掛かりが、ここにある…!)
そしてレグルスは、右手を差し出した。
「わかった。手を組もう。」
アイが、天使のような、悪魔のような笑顔を浮かべて、その手を握った。
「契約成立ね。」
読んで頂き、どうもありがとうございます!
ようやくヒロインとなる少女を登場させられました。
アイの立ち位置は書いてみると難しく、謎を残しつつ活躍の場を作ってあげないといけないので、毎回悩みながら書いております。
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どうぞよろしくお願いします!