天使と悪魔 #アイの戦い
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|生物機械間神経回路《Biomechanical Neural Circuits》#ノードd7235_532489
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『予想通りね。』
一瞬にも無限にも感じた時間の後、アイは目を開いた。
スパイダーを通してディアブロの流体…ノードにインジェクションしたアイであったが、ノードはあくまで踏み台である。
狙いはノードをコントロールする司令塔…コア・ノードである。
各ノードは何らかのネットワークで繋がっており、それを追えばコア・ノードに辿り着ける筈。
そう睨んだアイであったが、果たしてその予想は当たっていた。
無数のノードが織りなす星雲。
アイはその中から、目的とする信号…コアからのシグナルを見つけ出すと、それを逆に辿って行く。
シグナルは徐々に強くなっていき、やがて星雲の中心、巨大な恒星の如きノードに到達した。
『見つけた。』
アイはコア・ノードのメモリに侵入した。
知覚コンバータを通して、メモリ空間が可視化され、仮想領域が構築される。
眩い光が去るとアイはバーチャル・リージョン内に立っていた。
自分の姿を見下ろす。
黒ジャケットにパンツスーツ。
そして腰には、華奢なアイにはとても似合わない無骨なリボルバー…M500。
咄嗟だったとはいえ、レグルスの物真似のような姿に、微かに苦笑する。
(仕方ないか…この時代でまともに接しているのはあの人くらいだし…)
アイは気を取り直し、周囲を確認する。
バーチャル・リージョンは対象となるマシンに由来する内容が再現されることが多いとされる。
アイが今いるのは…何かの研究所だろうか。
装飾のない、白く無機質な通路。
廊下の先には電子ロックされたドアがある。
アイはドアの前に立つと、カードリーダーに手をかざした。
赤いランプが緑色に変わる。
ドアが開いた。
(やっぱり研究所…)
ドアの先には、何かの研究室と思しき部屋があった。
かなり広い部屋だ。
6台並んだ机には、所狭しと実験器具-ビーカー、電子顕微鏡、遠心分離機など-が並んでいる。
右手にある薬品棚には、見たことのない薬品や液体が敷き詰められている。
整然としつつも散らかっている、そんな印象の部屋だ。
室内では数人の研究者達が忙しく立ち働いている。
アイは一瞬たじろいだが、すぐに敵ではない事に気付く。
研究者達にはアイが認識できていないようなのだ。
その証拠に、研究室から出ようとした若い女性研究者と真正面から向き合う形になったものの、彼女はアイに全く注意を払う事なく出て行った。
アイは少し考え込むと、徐に研究者の1人に手を伸ばしてみた。
アイの右手は、研究者の身体を透過した。
どうやらこの人達は映像…過去の残像のようなものらしい。
アイは研究室に入り、内部を確認する。
沢山の機器の中で、特に重要と思われるものがある。
それが、入口と対面の壁際にある、5つの培養槽だ。
左端の1台を覗き込んでみると、培養槽を満たす液体の中に、拳大程の物体…生物が浮いていた。
(まさかこれが…)
その横の培養槽に目をやると、やはり同じような生物が浮いている。
しかしそちらの生物は、頭が2つある奇形であった。
残る3つの培養槽も順に確認したが、いずれも奇形であった。
(という事は…)
アイが最初の培養槽に戻る。
再び中を覗き見ると、中の生物がもぞもぞと動いているのが見えた。
小さな目が薄く開き、アイと目が合う。
『なに…?何が言いたいの…?』
その目が何かを訴えているような気がして、アイは思わず声を掛けた。
生物はまだ小指の先程しかない手足を懸命に動かしている。
『あなたは…』
アイが培養槽に触れようとした、その時。
研究室が俄かに慌ただしくなった。
研究者達が集まってきている。
アイは少し下がると、その様子を注意深く見守った。
研究者達は、もぞもぞと動く生物を指差すと、何かの機器を操作し始めた。
培養槽の上部から、マシン・アームが伸びて行く。
アームは培養液の中を生物の近くまで進むと、針状の先端を、小さな生物に刺した。
ビクッと生物が痙攣する。
暫くすると、生物の臍にあたる部分から、黒い何かが溢れ出てきた。
黒い粒子は瞬く間に生物を包み込む。
苦しそうに踠いていた生物は、やがて動かなくなった。
培養槽の外では、研究者達が拍手喝采を送っている。
(あの黒猫は、こうやって作られた…)
培養槽の中で、黒猫の形となった生物が、ピクッと頭を上げた。
その瞳は憎悪を湛え、未だ喜びに沸く研究者達を見据えている。
『いけない…ダメよ…!』
アイは必死に呼び掛けるが、研究者達は誰も気付かない。
培養槽内を、黒い粒子が急激に満たし始めた。
透明だった培養液が、墨汁のように黒く変質していく。
培養槽にヒビが入った。
アイは本能的に、死の予感を察知した。
先ほど入ってきたドアまで、死に物狂いで走る。
その時、事態にようやく気付いた研究者の1人が、悲鳴を上げた。
その悲鳴が引き金になったかのように、培養槽が木っ端微塵に砕ける。
黒い濁流が溢れ、研究室内の命を刈り取って行く。
アイは響き渡る悲鳴の中を駆け抜け、研究室から飛び出した。
振り返ると、既に研究室は黒い流体で埋め尽くされていた。
アイはドアのカードリーダーを叩くように操作し、ドアを閉めた。
ほんの気休めだろうが、少しでも時間を稼ぎたい。
アイは走りながら、考えを整理する。
ディアブロは、あの小さな生物に何かを植え付ける事によって生まれた。
恐らくその何かが、ナノマシンのコア。
それをどうにか出来れば…
廊下を走り抜けた先は、上階まで吹き抜けになったキューブ状のエントランスに出た。
そこから各階の研究室にアクセス出来るようだ。
エントランスにはカフェやミーティングスペースも配備され、研究者達がそこかしこで談笑していた。
『危険よ!逃げなさい!』
アイは無駄と知りつつも、叫ばずにはいられなかった。
これからここで繰り広げられる地獄絵図を思い浮かべて…
ドンっと爆発するような音が響いた。
振り返るとディアブロの黒い流体が、ドアを突き破って溢れ出していた。
研究者達の悲鳴が響き渡る。
悪魔は無防備な研究者達を、虫でも始末するように殺して行く。
(ここも危ない…!何か対抗策は…)
アイが視線を巡らせると、先程すれ違った女性研究者が階段を登って逃げて行くのが見えた。
反射的に、アイは彼女を追い始める。
階段を探そうと周囲を見回す。
ディアブロの成長は加速度的に進み、今やエントランス1階の半分近くに黒い触手が蔓延っている。
そして2階に続く階段は、既に敵の手に落ちていた。
アイは唇を噛む。
どこかに道は…
(駄目…囲まれてる…!)
アイは迫り来るディアブロから逃げるように、後ろに下がった。
アイはその時、ある考えに思い至った。
視線を上げ、2階に目を向ける。
バーチャル・リージョン内では生身では考えられない動きも可能なはず…アイは意を決して、地面を強く、蹴った。
リアルでは考えられないほど、身体が高く跳び上がる。
アイはその勢いで、一気に2階のテラスに取り付いた。
俄かには信じ難い身体能力で、そのまま2階に上がる。
アイはたった今離陸した1階を、驚嘆の面持ちで見詰めた。
(こんな状況じゃなきゃ、ちょっとクセになりそうなくらいね)
アイは気を取り直し、女性研究者を探す。
彼女は今、3階のテラスに登ったところだ。
後を追おうとしたアイは、彼女の背後で黒い触手がのたくっているのを見た。
『危ない!』
アイは半ば無意識に、ホルスターからM500を抜いていた。
レグルスの姿を思い起こし、見様見真似で構える。
そこで、つと疑問が湧く。
(果たしてこの銃は、ディアブロに届くの…?)
アイの存在は、研究者達には見る事も触れる事も出来なかった。
だとしたらディアブロは?
(でもこのフィールドは、私とディアブロの決戦場みたいなもの…必ず届く)
アイは確信めいた思いと共に、撃針を起こす。
四肢に力を込め、息を深く吸う。
息を吐き出しながら、少しずつトリガーを絞っていく。
フロントサイト越しに見える黒い悪魔を睨む。
息を吐き切って、呼吸を止める。
手の震えが止まった。
トリガーがハンマーを解放した。
強い衝撃と炸裂音。
マグナムの弾頭が、黒い悪魔を貫いた。
触手は大きく吹っ飛び、動きを止めた。
アイは止めていた息を、大きく吸った。
筋肉を弛緩させ、M500を下ろす。
(当たって良かった…というか、レグルスはリアルでこんな銃を振り回してる訳?肩が外れるかと思ったわ…)
アイは心の中でぼやきつつ、階段を駆け上った。
あっという間に3階に到達する。
廊下の奥に、女性研究者の小さな背中が見えた。
すぐさまそちらに向かおうとしたアイの行手を、黒い触手が阻む。
それらは本体から切り離され、さながら黒い大蛇のように蠢いている。
アイは迷わずリボルバーを構え、撃った。
黒蛇の1匹に命中し、弾き飛ばす。
続け様に、次のトリガーを引く。
ダブルアクションで解放されたハンマーが、弾頭を発射させた。
別の黒蛇に命中する。
が、狙いが甘く、尻尾の先端を消し飛ばしただけだ。
威力が強すぎる反面、反動も強い。
強化された身体能力でも、元々の地力がレグルスとは違う。
(やっぱり、もっと小さい銃が良かった…!)
アイは銃撃を諦め、リボルバーをホルスターに戻した。
もっと慎重に狙える状況でなければ、当てられないだろう。
代わりに、サバイバルナイフを抜く。
2匹の蛇が、鎌首をもたげた。
顔にあたる部分には、目も耳も無い。
大きく裂けた口だけがある。
黒蛇が、アイに向けて牙を剥く。
鋭く首を振り、噛み付いてきた。
アイはどうにかバックステップしてそれを躱す。
しかしもう1匹の黒蛇が迫って来る。
アイはまた後ろに下がる。
2匹の黒蛇は、代わる代わる襲って来る。
アイはその都度後ろに下がってしまう。
(…っ!?もう、後がない…!)
いつの間にか、3階テラスの際まで追い詰められている。
アイは激しくなる呼吸を懸命に落ち着ける。
(今の私は、レグルスと同じくらい強い筈よ…やれる…いや、やるわ…!)
アイはナイフを順手に持つと、腰を低く構えた。
向かって右側の蛇が、大きく口を開く。
来る…!
アイは吸い込んだ息を強く吐きながら、右足で地面を蹴った。
凄まじい速さで、アイの身体が動く。
そのまま体当たりするように、ナイフを突き刺した。
黒蛇の口に、切先が突き刺さり貫通する。
蛇が悲鳴を上げてのたうち回る。
アイの左側から、もう1匹が迫る。
(避けられない…!?)
咄嗟に、アイはナイフを左手に持ち替え、横薙ぎに払った。
出鱈目な攻撃だったが、牽制にはなったようだ。
黒蛇が怯んだ僅かな隙に、アイは体勢を立て直す。
蛇の悪魔と向かい合い、ナイフを構える。
黒蛇は警戒するように、左右に動いている。
アイがまた突進しようと身構えた。
その時、黒蛇は頭ではなく尻尾を振った。
鞭のようにしなる黒い身体が、アイの左腕を激しく打った。
鮮血。
『くぅ…っ!?でも…!』
しかしアイは、攻撃を選択した。
体勢を崩している黒蛇にのし掛かると、ナイフを逆手に持ち替えて何度も振り下ろす。
身体の下で悪魔が激しく踠く。
しかしアイは渾身の力でそれを押さえ込み、刃を突き刺した。
黒蛇が動かなくなる。
アイは全身で息をしながら立ち上がった。
左腕が激しく痛む。
バーチャル・リージョンで負った傷は、当然リアルには反映されない。
しかし今のアイにとっては本物の苦痛であり、無視できないダメージであった。
そして恐らくアイにとって、ここでの死はリアルにも致命的なダメージとなるだろう。
(痛い…私、なんでこんな事してるんだろう…)
アイは痛みを堪えながら、思う。
アイが目覚めたこの時代は、壊れていた。
人は容易く獣となり、悪辣、非道が跋扈している。
そして自分はといえば、娘というカードを使い、レグルスを危険に晒している。
自分の目的の為に。
アイは湧き上がる疑念を抑えられなくなっていた。
果たして、人の命を道具のように利用するこの自分は、この時代の悪人達と何が違うのか。
レグルスは利用されていると知りながら、娘の為に命を賭けている。
ならば自分も、それに応える為に尽くすべきではないか?
それが人間性というものなのではないか?
誰かに命を賭けさせるのなら、自分も同じ土俵に立つ。
そうしなければ、自分は"人間である"と胸を張れない気がした。
アイは歯を食いしばって、廊下を進む。
歩く振動だけで、腕に刃を突き刺したような痛みが走る。
突き当たりにあるドアは半開きだ。
アイは倒れ込むように、部屋の中に入った。
呻きながら、部屋を見回す。
部屋の中に、ガラス張りの部屋がもう一つ入っているような、そんな形状だ。
恐らく無菌エリアなのだろう。
無菌エリアに入るガラス戸は、開かれている。
そして女性研究者が1人、バイオセーフティキャビネットで忙しなく作業していた。
キャビネットの中にはいくつかの試験管があり、彼女はそれらを混ぜ合わせて何かの試薬を作っているようだった。
(こんな時に何を…)
生命の危機が迫るこの状況で、必要とされる試薬。
それはよほど重要なものなのではないか。
例えば、ディアブロへの対抗策となるような…
ズンッ!
部屋が大きく揺れる。
ズンッズンッズンッ!!
部屋の床が罅割れた。
研究者は後ろを振り返り、悲鳴を上げた。
下から、黒い触手が這い出て来る。
彼女は一瞬、迷うような表情を浮かべた。
足が一歩、出口の方に踏み出される。
そこで再度の逡巡。
彼女は意を決して、またキャビネットに向き直った。
その間にも触手は部屋の中を蠢いている。
研究者は決して振り返ろうとせず、ひたすら作業している。
アイはM500を構え、撃った。
運良く、小柄な背中に迫っていた触手の1本に命中、無力化した。
アイは2発、3発と引き金を引き続ける。
どうにか注意を引けたようだ。
触手がこちらに向かって来る。
アイは背後を振り返った。
廊下の方にも、ディアブロが迫っている。
アイは前に走った。
動き続けるしかない。
無数の触手が追ってくる。
サバイバルナイフを振り回す。
1本を叩き切った。
しかし別の触手が右手に絡み付く。
同時に強力な力で締め上げられた。
『ああっ!?』
腕が砕ける音が聞こえた気がする。
次の瞬間、襲ってきた凄まじい痛みに、ナイフを取り落としてしまう。
さらに別の触手が、今度は足を締め上げてくる。
『あああああっ…!』
手が、足が、燃えるように痛む。
気を失いかけるが、砕けた骨を容赦なく締め上げられて、強引に覚醒させられた。
今度は胴体に、一際太い触手が絡む。
身体が宙に持ち上げられた。
『かはっ…あ…』
息ができない。
視界が暗くなっていく。
(こんなところで…ごめんなさい…)
薄れゆく意識の中、アイはレグルスの姿を思い浮かべていた。
黒い触手がさらに、アイの首に巻き付いた。
読んで頂き、どうもありがとうございます!
M500という銃は現実にある銃からもってきておりまして、反動が強すぎて肩が外れるとかの都市伝説があるくらい、デカくて重くて反動もすごいそうです。
アイは仮想空間上だから撃ててますが、現実では無理かも…
というわけでアイがM500を撃つのは、多分この話が最後になりそうです。
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