話術
同じ国に生まれ、同じ言語を持つ。
伝えたいことを言うには、便利だ。
訳さなくても、とりあえず話せる。
問題は意図が正確に通じ合えるか、意思疎通が平和を実現する方向に進んでいるかである。
もし、円滑に円満にまとまりつつあるのであれば、摩擦が生じることはない。
しかし、話せば分かる、ということで全て丸くできるなら、「争い」の言葉そのものその文字それ自体、地球のどこにも存在せず歴史上に残された戦も起こらなかったのではないか。口や手足を使った暴力も、人類が話し方という伝達行為を究める姿勢があれば、選択も考えもせず、実行されることもなかったのかもしれない。
交渉や取引、契約、申請。様々な手続きにおいては、説明と確認、申込と承諾といった関係者の相互協力、共同作業が必要となってくる。そこには必ず、会話がある。
対面、書面、メール、リモート、FAXそしてチャット、通話、ネット上の書き込みなど、実に多様なやり取りがある。
皆にとって平等で納得する結論を導くか。少しでも利潤を獲得しようと戦略を練りさりげなく引き寄せるか。言葉が抱える、永遠の課題であろうと考えたりする。
よく、腹を割って話そうじゃないか、とか、対等でいよう、なんてはたらきかけを聞く。
実際はそうもゆかぬ。目に見えぬ境界線が、手を取りあい、輪になって話し合える最良の協調性の前に立ちはだかり、壁を作っている気がしてならない。
お茶会、飲み会など交流の場やそのスタイルが数多くある。全ての個性と意見が自由に出し合える世界の調和は訪れるのだろうか。
温かいスープに簡単な軽食の並ぶ今日のブランチ。
異国の古い友と味わった、懐かしのハムサンドを頂く。