問題編2
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所轄である茜並署内に臨時で設置された捜査本部では、所轄警察官と警察本部の多くの刑事が捜査に当たっていた。先ほどの本部会議後、捜査員は出払い、室内はしんと静まりかえっている。会議の進展は微々たるものだった。もっと、確たる証人や物証を探さねばならない。
雲野は警視の到着を待つ間、今回の犯行について整理をしていた。洗うべきは死亡推定時刻である正午、午後零時から午後一時までの各人のアリバイだ。
会議に使用されたホワイトボードには、凡そ次のような情報が、入手経路不明な証明写真風の顔写真と共に書き込まれている。
袴田輝 『ディライブ』代表取締役社長
瀬ノ尾寿一 『ディライブ』社長補佐兼マネージャー
鳴宮真琴 ダンスレッスン講師 被害者
藤林清悟 ボイストレーニング講師
沖田優羽 夢前きさら 元気系Vtuber
相浜聡美 神星メノウ ゆったり系Vtuber
坂城四葉 仕棟ミスズ メイド系Vtuber
芝山冴和 天風エイリ 女史系Vtuber
片桐明日架 葉桜ウト 死神系Vtuber
雲野はそれを見ながら思考を巡らせる。一階のダンスホールでレッスンが終わり、五人が更衣室で着替え終わった午後零時。鳴宮を除いた四人は連れだって二階にある一室……彼女達曰わく「食堂」に移動して昼休憩を取った。詳しく事情聴取をしたところ、この時点で食堂に向かったのは三人であり、沖田優羽は一階のトイレに寄ってから食堂に向かった。その時間は凡そ五分。彼女は寄り道せずに食堂に行ってメンバーと合流したと証言している。その間、誰とも会っていないとも。
次に相浜聡美と芝山冴和。この二人は食事を終えた零時二十分から、同じく五分間トイレに行っている。当初は共犯も考えられたが、沖田が誰とも会っていないのに比べて、彼女達二人はトイレを出るときに入れ替わりで社長と出会し短い会話をしている。
例外的な立ち位置にいる容疑者は坂城四葉だ。監視カメラの映像では、三十分丁度に事務所の玄関を通っている。しかし食堂に坂城が顔を出したのは三十五分過ぎ。これは他の女子四人の証言で明確となっている。坂城は事務所内に入った後、一階のトイレを使用してから食堂へ向かったらしい。なぜ駅などで済ませなかったのか。生理的な話だからタイミングの問題なのかもしれないが、引っ掛かりを覚える。
彼女の証言では、今の仕事がとても楽しく一刻も早く他のメンバーと合流したかった、と言っている。その言葉に嘘偽りは無さそうに思えたが、だからといって鳴宮を殺害していないことにはならない。トイレの時間を挟むことで、五分以上の犯行可能な時間が生じているからだ。そして動機も他の子と同様にあるのだから。
最後にアリバイのない者は、片桐明日架だ。今週のボイストレーニング室の準備は彼女の担当で、他のメンバーよりもいち早く四十六分に食堂を出た。ちなみにこの間、他のVtuberタレントでトイレを済ませた者もいるが、食堂のある二階と一階には別々に女子トイレが設けられている為、片桐は単独行動であった。ゆえに鳴宮を殺害する機会は充分にあると言える。
しかし、気掛かりな点は多い……。現場は一階で引き違い窓の鍵は掛かっていたが、外塀の裏口には防犯カメラがなかったこと。外部犯の可能性だ。
それでも共犯の線は追っていない。共犯者がいるならば、互いに堅牢なアリバイ証言をするはずだが、そんな素振りは誰もみせなかった。相浜と芝山の二人はそれに該当するものの、社長という証人がいる。もし事務所で勤務する全員が結託していたとしても、五分以上のアリバイを持たない人物がいるのは筋が通らない。それに勝手な憶測だが、内部の者に罪を擦り付ける容疑者達には思えなかった。犯人は、手掛かりの路を辿った先にひっそりと孤独に佇んでいるはずだ。
――なんて、こんな風に警察官よりも架空の探偵のように偏執的な考えをしてしまうのは、幼少時代にミステリ小説を読み漁っていたせいだろうと胸中で苦笑いを浮かべた。
「――おい、雲野」
「ひゃあっ!?」
唐突に耳朶を打った声に驚き、雲野は声を上げてすっ転ぶ。
目の前には待ち人、と呼称するには無愛想すぎる表情の須崎警視が、腕を組んで佇んでいた。
思考に耽っていたせいで、とんだ醜態をさらしてしまった。雲野は起き上がり身なりを整えると、部下から新たに得た情報を伝えようと慌てて手帳を捲る。
「ぼ、ボイストレーニング講師である藤林の通勤経路を確認しました。事件当日の昼頃、彼は電車の遅延により遅刻しています。これについてはJRに運行状況と駅構内の監視カメラを確認済みです。慌ただしく急ぐ彼の姿が正面から映っていました」
雲野はUSBデータが後から届くことを忘れず付け足す。
「仕事場に到着したのが一時五分のことで、息を切らせた藤林がボイストレーニング室に遅れて入ってくるところを、生徒の五人が目撃しています。演技の線も疑えません。警視も知っての通り、事務所玄関の監視カメラにはしっかりと一時五分に駆け込む彼の姿が映っていることが、動かしがたい物証となっています」
正面玄関のドーム型カメラの録画は、社長の袴田から警備会社に確認を取ってもらった。後日、先方から警察に渡された日中を映したデータには、不審な人物は写っていない。午前中に出入りする社長やマーネージャーと、Vtuberタレントの四名。病院帰りに仕事場に来た坂城。一時過ぎに遅刻を覚悟して飛び込んできた藤林の姿。連絡を受け派出所から訪れた警官等だ。
警視は椅子にどかりと腰掛ける。
「ご苦労。だが今回の件は、凶器が全てを物語っているだろうな」
警視の双眸は断定の様相を呈している。元来、物証よりも直感を当てにして今の地位に上り詰めた人間だ。彼の功績を雲野は尊敬しているが、取りこぼした事実や手掛かりが思わぬ別の真相を導くこともある。だから自分は役目として、少しでも疑念を抱いたことは口に出そうと心掛けている。警察にミスは許されないのだ。
「凶器……考える人の像、ですか」
現場で凶器は発見されなかった。だが、検視による頭部の裂傷から凶器の形状を推定。鑑識班が事務所内の私物を含めた該当しそうな物を片っ端から洗ったところ、ロッカー内のプレゼントからルミノール反応によって被害者の血痕が検出されるに至った。
「ブロンズ製で撲殺には打って付けですが、なぜこれを凶器に選んだのかは、よく分かりません。どうやら、逆○裁判というゲームに登場した物らしいですね。ゲームファンが作った物らしく、登場した小物を再現する情熱には感服します。逆転裁判が好きな人にとっては貰って嬉しいのではないでしょうか。実のところ、私もこのゲームの大ファンでしてね……、証拠品袋に入った現物を手にして、思わず顔が綻んでしまいました。誕生日プレゼントとして貰うにはやや奇抜ですが」
脱線した話を放り込んでしまった、と雲野は頭をかきながら反省していると、
「考える人が凶器というのは、俺の世代だと古畑任三郎のあの回を思い出すな」
顎を手で撫でつけながら、懐古に浸るように警視は言う。意外にも話に乗ってくれた。そして雲野も、古畑は親と一緒に再放送をよく観ていた記憶がある。
「福山雅治がゲストの回ですね。私も覚えています」
「まあ今回の事件は撲殺だがな……。で、凶器の在処を知り得た者は、受け取った本人、渡した人物、それから一緒に誕生日を祝った人物も該当するか」
「犯人は、Vtuberタレントの中にいるとみて間違いないのでしょうか?」
しかし、と雲野はホワイトボードを横目に見ながら続ける。
「右腕を骨折している人物に犯行は不可能。どうも引っ掛かるのですが」
「診断書の確認は取れている。間違いない。彼女は右腕を複雑骨折しているから、ギプス包帯でぐるぐる巻きだ。寸分も動かせやしないし、当然、事件当日もそうだった」
警視は話し続ける。
「犯行は片手で行える。だが、微量の血飛沫がダンスホールの床から検出されたことは、鑑識から報告されて知っているだろ? その血痕は無論、被害者のものだった。即死という検死結果も踏まえると、犯人はダンスホールで殴打した後に、その遺体を更衣室の扉裏に移動させたんだろう。一時凌ぎとしてな」
「担架を用いないときの前屈搬送のようなことですか。背中越しに両脇の下に手を入れ、引っ張って移動させるのだから、――つまり、片腕で移動させるには女性には無理だと……?」
「ああ。ダンス講師の鳴宮は、女性といえど長身で筋肉もそれなりにあった。それに比べ、Vtuberの娘っ子は誰もが小柄だ。片腕でどうこう出来るはずもない」
厳密に言えば、片桐だけは被害者と同じ背丈をしているが、それよりも。
「ですが警視、例えば台車など何らかの方法を用いれば……」
「そんな時間どこにある」
言下に、否定の台詞を警視は吐いた。
「そもそもだ。事務所内に要領良く台車を持ち込んだとして、それを使用するところを見られたら一貫の終わりだ。リスクが高すぎる。屋外に持ち出す時間も含めると、容疑者たちにどれだけ可能だと言えるか。……凶器からしても、綿密な計画とは思えんしな」
雲野は犯人が何らかのトリックを使ったのではと考えてしまうが、警視の言うとおり現実的ではない。ミステリ小説の読み過ぎだと自省する。
それでも雲野の脳裏には、別の可能性が思い浮かび、検討の余地の有無を吟味する。次には言葉を投げ掛けていた。
「思うのですが、社長やマネージャーの犯行とは考えられないでしょうか」
社長の袴田とマネージャーの瀬ノ尾の二人は、午後零時から一時まで二階の事務室にいた。ただし前述したように、社長は零時二十五分に三分間トイレに行っている。トイレ前ですれ違った二人によれば、社長は会話後に中に入っていったと言うが、どうにも信憑性に欠ける情報だ。
「社長が犯人の場合、事務所内で殺すメリットが全くない。同じく事務作業を担っているというマネージャーも同様だ。彼らには鳴宮の住所を知ることが出来るんだからな。わざわざ所内にのみ存在するであろうブロンズ像を拝借してきて、誰が覗くかも分からないダンスホールで殺しを行ない、凶器を再び隠蔽するには、あまりにも利がない。出勤や退勤後を付け狙うか、あるいは個別に呼び出すことは容易だったはずだ」
雲野は話の穂を継ぐ。
「なるほどです……。それに比べてVtuberタレント達は、鳴宮が何処に住んでいるかなど分からなかったということですか。彼女は仕事が済むと真っ先に帰宅していたと誰もが口を揃えて言っていましたからね。しかし、彼女達が本当に鳴宮の住所を知らなかったと証明することは、出来ないかと。俗に言う悪魔の証明ではないでしょうか」
「知ってたか知らないかは焦点じゃあない。知らなかったから事務所で殺さざるを得なかったんだ」
「しかし……しかしです!」
雲野は莫迦みたいに食い下がる。
「可能性としてはあるじゃないですか。あえて事務所で殺すことによって、確実に鳴宮の住所を知っている自分は容疑者圏外に置かれることになる。どこまでも計画的犯行なら……。そう、言わずと知れた後期クイーン問題に行き着くわけです!」
雲野は身を乗り出して迷推理を口走った。
そこで「はっ!」と更なる閃きが雲野を貫いた。鹿爪らしい顔つきで更に警視に迫る。
「天啓を得てしまいました! ボイトレ講師の藤林は、本当に遅刻したのでしょうか。彼は運転免許も持っています。例えば……。ダンスの終わる午後零時前に合わせて事務所の裏口に行き、Vtuberタレントの全員が二階に上がるのを見計らってこっそりと侵入。まだダンスホールに残っていた鳴宮を殺害すると、再び裏口から逃走します。そして最寄りの駅まで車を走らせ、あたかもいつものように電車で通勤したように見せ掛けた。電車の遅延は僥倖でした。それがなければ、寝坊したなど適当な理由をでっち上げていたことでしょう!」
警視は精悍な顔をしかめると、
「酷く綱渡りな計画だな。で、凶器は?」
「ほえ?」
「凶器にブロンズ像を選んだ理由は何だと訊いている」
各々が持参したプレゼント袋は、レッスン中はそれぞれのリュックなどに入っていて、その後は「食堂」のロッカーに仕舞われていたはずだ。先ほどの推理による藤林犯人説には、考える人の像を凶器に用いた明確な理由も、それを手にする機会もない。
やはり警視が言う通り、全ては凶器が物語っているのだろうか。
痛い指摘をされ、ぐぬぬ、と雲野が考え込んでいたそのとき。
とある方面を追っていた刑事から着信が入り、警視はスピーカーに切り替えてそれを受けた。電話越しの刑事が「警視」と息せき切った声で喋り始める。
「怪しい男を捕らえました。……彼の自供によるとVtuberのストーカーをしていたらしく、事件当時も裏口側の向かいにある喫茶店で張り込んでいたと言っています」
「ほう、よくやった。しかしそいつは一度も目を離さなかったわけでもないんだろ?」
警視が問うた。
その刑事は躊躇うことなく言う。
「問い詰めました。午前はトイレに立ったと述べていますが、少なくとも十二時からは決して目を離してない、自分の推しが入っていくところもしっかり見た、三十分丁度だった、と譲りません」
捜査本部が得ている情報と食い違いはない。警視は喜色満面の笑みで椅子から立ち上がった。
雲野も確信し、口角を上げて警視を見る。
「これで外部犯や、外部からの出入りの線は完全に消えましたね。となると、犯人はもう……」
「ふん」と警視は無愛想な表情のまま継ぐ。「明白だな」
彼は捜査に出向いている刑事達に方針の変更を伝えた。
***
「いったい何の用?」
死体発見の○○時間前。
ダンスホールには『彼女』と鳴宮が相対して、重たい空気に満ちていた。
『彼女』は問う。
「――やっぱり、あなたが私達の情報を漏らしたんですね……」
ダンス講師らしくスタイルの良い鳴宮は腰に手を当て、開き直った態度だ。
「オタクって生き物はちょろいわよね。好きなことには盲目的にお金を支払ってくれるんだから。写真を見せただけで興奮していたわよ、ふふ。気色悪い。……こんな小さい事務所のアイドルまがいの素顔なんか知って、いったい何が楽しいのやら」
『彼女』は奥歯を噛み締め、双眸を更に細める。
鳴宮は余裕たっぷりに『彼女』を見下ろしながら、
「まあどうでもいいわ。今日限りでこんな職場とはさよなら。生活費の元手は賄えたし、良い新生活のスタートが切れそうだわ。それに、まだまだこの情報は利用できそうねえ。あなた達を応援するファンは右肩上がりで増えているもの」
鳴宮は嘲笑うように口許を歪めた。
「……警察に言いますから」
「ああ、それは無理。私が情報を売ったことは、警察が調べても辿り着けやしないわよ。残念だけれどここだけの話。私だと気付いたちょっとしたご褒美」と言って鳴宮はせせら笑う。「あなたがわめこうと、私はしらを切るだけのこと」
昂然たる彼女の口ぶりからは、とても嘘を吐いているようには思えなかった。悔しいが、ネットのことも警察のことも知識では相手が格上なのは百も承知だ。だとしたらどうにもならないのだろう。
非常手段は使いたくなかった。けれど、これからも私達を脅かすのなら……。鳴宮の持っている情報が悪用され、自分の愛する人達に降りかかるのなら……。悪魔にでも魂を売る覚悟は既に出来ている。
「もう話は終わりよね? 帰ってくれないかしら」
鳴宮が視線を逸らした隙に、『彼女』は迅速に行動に移す。忍ばせていたブロンズ像を取り出すと、その土台を両手でぐっと持ち、渾身の力で頭部目がけ振りかぶった。
鈍く生々しい感触、小さく苦悶の声を発しながら頽れる鳴宮。横臥した彼女が動かなくなったことを確認するまで永久にも思えた時間は、たった十数秒程度の出来事だった。
『読者への挑戦状』
本作の交錯した謎を解き明かし、鳴宮を殺すことの出来た人物の氏名を論理的に述べよ。
以下二つを真の手掛かりとして加える。
・雲野刑事は"信頼できる語り手"である。警察視点の描写に現実との乖離はあっても、虚偽の情報は一切ない。
・『彼女』は"信頼できる語り手"である。犯人視点の描写に虚偽の情報は一切ない。
・建物の外塀に関して、正面玄関前と裏口以外からの出入りは出来ないものとする。
解決編は日曜日の夜に投稿予定です。今回の難易度は高めになっていますので、引き際が肝心です…。それでも挑戦して下さる方はよろしくお願いします。