問題編1
いまやVtuberと言う言葉は、テレビで当り前のように流れるほど定着しつつある。サブカルチャーに興味がない人でも、コミケと同じくらいの認知度はあるのではないかと思うくらいに。
私の所属するアイドルVtuberグループ『ディライブ』は、世間では日本の、いや、世界の大手三社Vtuber事務所の一つと言われている。最近では海外にも支店を構え、それぞれの母国語を話すVtuberが現地で人気を博すまでになっていた。それでも最初は小さな事務所からのスタートで、少数精鋭の一期生からこつこつと耳目を集めていった。悲喜交々ありながらも、スターの道を駆け上がるかの如く絢爛な彼女達の煌めきと、それを応援するファンの熱量は尋常ではなかった。かく言う私も、そんな目映さに魅入られ、アイドルVtuberを志した者の一人なのだから。
しかし当時、他の事務所ではまず起こり得ない大事件もあった。これはまだ少年法が改正される前の、特定少年法という言葉が存在しない頃の話。たった一度、年末の打ち上げでマネージャーが涙ぐむように零したこの話は、そんな黎明期から活動している偉大なる先輩達の悔恨だ。
***
(後で一覧は登場しますが、分かりやすいように載せておきます)
夢前きさら 元気系Vtuber
神星メノウ ゆったり系Vtuber
仕棟ミスズ メイド系Vtuber
天風エイリ 女史系Vtuber
葉桜ウト 死神系Vtuber
わたし達はゴールデンウィークの大型企画に向けて、現在進行形で練習中だ。
所属事務所の一階に設えられたダンスホールには、講師を含めた五人がいた。ホールと言っても、たいした広さはない。けれど、レッスンに欠かせない一面鏡張りや無垢材の床、空調設備などは十分に整えられていて、わたしはとても満足している。
鏡に映るわたし達は集団レッスン中で、次回曲の振り入れが終わると、何度も何度も通しでやっているところだった。酷使する股関節が痛くて投げ出したくなる気持ちを押さえ込む。我慢我慢。
「――はい。では十分間の休憩を取ります」
ダンス講師の鳴宮さんが素っ気ない言葉を放つ。彼女はタオルで軽く汗を拭き取ると、そそくさとホールを出て行った。相変わらず冷たい態度だ。このことはみんなの共通認識なので、今更気にする人はいない。
鳴宮さんの心境としては、こんな普段から二次元の仮面を付けて踊っている小娘達ではなくて、生身の肉体で表現するような芸術家の卵を教育したかったのかもしれない。直接訊いたことはないけれど、先生の顔に大きく書いてある。
だから気にせずにわたし達はホールの隅で扇状に座って、おのおの休息を取った。スポーツドリンクが乾いた体に心地良い。
「今度のさー、連休企画のことなんだけどさぁー」
メノウがおもむろに話を振る。彼女はいつでも喋り方がゆっくりだ。
「上手く行くかなぁ~。もちろんあたしは自信あるけどねぇー」
「全力で取り組み、全力でリスナー様方にご奉仕する。そうではございませんか?」
休憩のときも毅然とした姿勢を保つミスズ。完璧にキャラに成りきっている彼女は、いつも仕事のことを案じている。これが使命とばかりに、日頃から配信の登録者数やメンバー数をどうしたら増やせるかを真剣に考えていた。次のゴールデンウィークに行なうコラボ企画も必ず成功させてみせると、すごい意気込みだ。その企画に関しては私も彼女と同じくらいか、いやそれ以上に心の底から真剣に取り組んでいるつもりだけれど。
「エイリちゃんはどう思う?」と、わたし、きさらが話題を振った。体操座りのまま顔を伏せたエイリは微動だにしない。
「…………」
「あれ!?」
わたしは意識して大声を出すと、右手で彼女の肩をそっとつつく。頭部を起点に体が徐々に傾いて転び、幸せそうな寝顔が隣に座るメノウの肩に載っかった。
「てぇてぇ……じゃなくて、寝ちゃってるよ! 起きて、エイリちゃん!!」
わたしの言葉に応じるようにエイリの口元がもごもごと動いた後、
「うにゃぁ……えいりちゃん? ……じゃないや、きさらちゃん……おはよう~」ややあって彼女の脳が徐々に覚醒してくると、状況を完全に把握したようで。「……はっ! えっと、えぇっと……どうやら私は少々仮眠を取っていたようね! 迂闊だったわ。起こしてくれて感謝するわね」
エイリらしい知的なエイリに戻った。
どうやら寝ぼけて素が出てしまっていたみたいだ。まあ、プライベートだし多少は構わないけど、コラボ配信で寝坊しないかは心配だ。
わたしは笑みを浮かべてフォローを入れる。
「あはは。エイリちゃんは夜型だから、朝からレッスンのある日は辛いよねっ」
「そ、そんなことないわよ」
と彼女は頬を膨らませるけれど、次の瞬間にはあくびに変わっていた。
「午後のレッスン、楽しみでございますね」
ミスズが厳かに呟いた。きっと本心だと思う。
午後はボイストレーニングの時間だ。基本的な発声や呼吸法に加えて、舌を震わすタントリルやリップロールで準備運動をして、ピアノに合わせての音階練習。それらを行なった後にようやく課題曲の練習に入る。
ボイトレの先生は元々アナウンサーを指導教育していた経歴を持つらしく、教え方がすごく上手い。それ以上に、わたし達を我が子のように好意的に接してくれることが何よりも嬉しかった。大変さはダンスレッスンと同等だけれど、先生の違いで百八十度モチベが変わるのは真理だなと思う。学校の先生によって好きな科目が決まるような感覚に似ている。
ふと、わざとらしい空咳が耳を突き抜けた。
「……何をしているんですか? あなた達。休憩の十分は過ぎていますよ」
声に反応して振り向くと、ダンスの先生はホール中央で冷ややかな目を私達に向けていた。一言声を掛けてくれてもいいのに、と心の中で呟きながらわたし達は立ち上がった。
昼食は二階のこじんまりとした部屋で取る。社長やマネージャーと一緒にミーティング用として使う部屋でもあるため、厳密には食堂ではない。けれどみんながここを使うときは昼食時が多いので、憩いの場としての意味を込めて食堂と命名している。
レッスン後にお手洗いに行った人が帰ってくると、みんなで手を合わせて「いただきます」をした。
昼食は様々だ。会社で注文する人。各自で持ってくる人。手作りのお弁当やコンビニ弁当。わたし達のふところ事情としては、贅沢が出来るほど人気があるわけではない。高額な投げ銭をしてくれる視聴者さんもいるけれど、配信サイトや事務所などから色々と引かれた結果、手元に来るのは一割を下回るし、グッズや音楽での利益も微々たるものだ。いつの日か、努力は実ると信じて頑張っていきたい。
正午の食堂は一時の癒し空間と化す。
可愛いサムネイルの作り方とか、配信機材のオススメとか、ハマっているゲーム配信の話とか、案件が貰えた話とか、新しい宣材写真のこととか、コラボ配信の話とか……etc。目まぐるしくも充実した日々のおかげで話の種は尽きない。
お昼ご飯を片付けると、わたしとエイリは二人でお手洗いを済ませに行った。
揃ってトイレを出たところで社長とばったり出くわした。向こうもわたし達に気付いて立ち止まると、良いことがあったかのように両目を細める。身近な誰よりも背の高い社長は、わたし達を見下ろしながら、
「丁度よかった。夏休みのライブ映像を外注委託することが決定したんだ」その話を簡潔に説明すると、他の人にも伝えておいてくれと頼まれる。「内製と違ってクオリティが格段に上がるぞ、楽しみだな!」そう言って豪快な笑みを浮かべると、足取り軽くトイレの中に消えていった。
「ふふ、社長って良いことがあると、自分事のように喜んでくれるわよね」
歩きながらエイリが言った。
「そだね! ――にしても、ライブ映像の委託かぁ! 視聴者さんのみんなも楽しんでくれるかな!」
「間違いなく楽しんでくれるわよ。でもサマーライブの前に、ほら、ゴールデンウィークを盛り上げないと」
エイリは可愛く二つのガッツポーズを作る。
わたしは真剣な目で頷いて「うん!」と返した。
食堂に戻ってからも、話の花は咲く。プライベートの話題も色々と出る。例えば今、現在進行形で話されていることは――。
「高校生の友達にはバイトって言ってるんだよねー」と、メノウ。「けどね~、いざ一緒に遊ぶことになって予定を確認したら、どうしても平日のお昼になっちゃうのよねー。みんなもそうだと思うんだけど。そしたらねー。『えぇ、それって……変な仕事じゃないよね?』なんて真剣な表情で言われたの。きっと本気で心配してくれたんだと思う。だからあたしは慌てて『え…? あ、いや、そんなんじゃないから安心して!』って必死に否定しておいたんだけどねー」
メノウは両手を肩幅に広げてブンブンと左右に振る。そのときの焦りようが、情景としてありありと浮かぶようで微笑ましい。
「でもねえー。その友達は『それなら良いけど……』といいつつ、ひどく心配そうだったんだー。う~ん……仕事のこと、ちゃんと伝えた方がいいのかなあー」
エイリが真剣な表情をして口を開く。
「……そうね。親友ならともかく、たまに遊ぶ友達に教えるかどうかの線引きって悩ましいわよねぇ」
「むやみやたらに言うとは思えないけれど、人伝に広められちゃったら困るもんね」
とわたし。
「そうですね……」
ミスズも唇に指を添えて考えてるけれど、実りのある対処法は浮かんでなさそうだった。
こういったVtuberならではの雑談も割と多い。そして解決策が出ないときは、次の話題に切り替える。案外さっきのような悩みは自然とどうにかなるものだ。というよりも、一つの悩みに拘っていたら無数のそれに埋もれてしまう。明日は明日の分の悩みが振ってくるのだから。
次は誰が話題を切り出すのかと思っていたそのとき。
食堂のドアがおもむろに開けられた。ぴょこんと笑みを見せながら入ってきたのはウトだった。
「おはよっ。ううん、こんにちわかな。あはっ! どっちでもいっかー」
今は十二時三十五分を過ぎたばかり。病院に行くため午後のレッスンから参加すると言っていた彼女は、少し早めにやってきたようだ。
「ごきげんよう、ウト様」
ミスズが恭しく挨拶をする。最近知ったことだけれど「ごきげんよう」は出会ったときでも別れのときでも両方の意味合いで使えるのだという。また一つ勉強になった。
「さて、役者も揃ったことだし、誕生日プレゼントを渡そうかしらね。ほら、主役は真ん中に来なさい!」
エイリが即興のお誕生日会を切り盛りする。
誰ともなく歌い始めて、みんなの声が重なっていく。
Happy birthday to you.Happy birthday ,dear――。
最終的に揃わなくなってぐだるバースデーソングは、勢いさえあれば盛り上がるものだ。
「「ミスズちゃん、誕生日おめでとうー!」」
「わー、わー」とガヤを模した声が上がり、四つの手には、それぞれの荷物から取り出された色とりどりのプレゼント袋。
「わ、わたくしなんかに……? 感激の至りにございます」
彼女は状況に戸惑いながらも四つのプレゼント袋を両手で抱える。ちょっと大変そうだ、と思ったら一つ落としてしまう。取ろうとして右手を伸ばし、手中に収めた傍からまた一つ落とす。
「ストーップ! ミスズは腕を骨折してるんだから安静にした方がいいよ」
「それはそう」
「ほらほら、お誕生日の人は上座におかけください」
「え……ですがっ!?」
紛うことなき圧力だ。有無を言わせず座らされ、プレゼントは他のみんなで拾ってテーブルに並べた。
「さあさあ、開けてみて。私は一週間かけて探したんだからね」
「開封してしまっても、よろしいのですか?」
「どうぞー」とウトがためらいなく笑むと、ミスズは根負けした表情で袋を一つ選んで、丁寧にリボンをほどいていく。
中身は『考える人の像』だった。しかもこれは、名作ゲームの逆転○判に出てくるものを模したような――と思ったら、本当にそうらしい。
高価だけど一風変わった物をプレゼントに選ぶというのは、エンタテイナーという業種の性なのかもしれない。配信の雑談でも話題に出来るという利点も込めて。
「わっ、これって逆○裁判で凶器として使われたやつじゃん! ミスズ、ナンバリングのタイトルを1から6まで全部やるくらい大好きだよねっ。いったい誰からのプレゼントなのかなぁ~?」
ウトがとても嬉しそうにミスズ以外に視線を巡らすけれど、誰も微塵も反応を示さない。問い掛けたウトも同様だった。ということは該当者は一人しかいない。わたしである。
「はいはーい! わたしからのプレゼントでした!」
「きさら様、ありがとうございます」と、ミスズは感謝の念を込めるように微笑んだ。
わたしはくすぐったい気持ちで一杯だった。
「ねえ、他のプレゼントはレッスン後にしましょうよ。時間もほら」
そう言って、食堂の掛け時計を指差してエイリは促す。レッスン開始の十五分前、十二時四十五分を回っている。そろそろ今週の当番はレッスン室の準備に掛からないといけない時間だ。
四つのプレゼントは誕生日当人のリュックにはさすがに入らなくて、ひとまず共有のロッカーに仕舞われた。気が利くミスズが大きな紙袋を用意しておいてくれたので、片手でも持ち帰ることが出来そうだった。
ボイストレーニングの藤林先生が五分くらい遅刻してきたけれど、そんなことは取るに足りない出来事だった。
日常が一変したのはその二十分ほど後、唐突にドアが開いて社長が顔を覗かせた。さっきライブ映像の話をしてきたときみたいに普段は明るく振る舞っている社長の表情が、妙に重々しい。
「鳴宮さんを見なかったかい?」と開口一番に問う。
「彼女とは一時から打ち合わせがあったんだが、来なくてね。忘れてると思って電話を掛けても、電源が切られてるらしいんだ。誰か、見掛けていないか?」
私達は練習も忘れ、互いに目を合わせる。
「見たっけ?」「全然ー」
けれど彼女がどこに居るのか、いつ帰ったのか知る由もないし、誰も気に留めてもいないようだった。
「社長、嫌われて着信拒否にされてるんじゃないっすかー?」ウトが冗談気味に言う。
「それならそれで、構わないさ」
社長は複雑そうな顔つきで、
「俺にも思うところはあるしな……。けれど、玄関には彼女が普段履いている靴が置かれたままだった。新品の靴に買い換えたとしても、前の靴を持ってくるとは考えにくい」
汗ばむ季節が迫った事務所内では、多くの人がオフィスサンダルなどに履き替えて仕事やレッスンに取り組んでいる。ダンスのときは更にシューズに履き替えるわけだが。
目撃者の不在に、得も言われぬ不安が心に生じる。彼女の仕事は基本的に昼を挟まない形で契約を結んでいるらしいが、ミーティングがあれば仕方なく事務所の更衣室に一人居残ったり、近場にお昼を食べに行ったりしているはずだ。
「とにかく、万が一に備えて建物内をチェックしておきたいんだ。頼めるかい?」
病気か何かで昏倒している可能性だって大いにある。ならば一刻を争う事態だ。レッスンは一時中断し、私達五人は各階の女子トイレを調べることになった。社長とマネージャー、ボイトレ講師の藤林の三人は一階や外回りを隈なく探しに出る。
私達は一階の女子トイレ、二階の女子トイレと個室を開けて廻り、適当に分かれて食堂や事務室の様子も窺うが、鳴宮の居所は杳として知れないまま。
先ほどから、嫌な予感が脳裏にちらつく……。
それは今後に関わる大事であり、苦渋の選択を迫られるような。
そしてついに――。
「おおい! 全員来てくれ!!」
社長が普段は出さないような胴間声で、私達を呼ぶのが聞こえた。
駆けつけた先はダンスホール内に併設された更衣室。開いたままのドアに掛け込むと、呆然と立つマネージャーの瀬ノ尾と藤林、そして屈み込んだ社長が確認しているのは、仰向けの状態でぴくりとも動く気配がない鳴宮の姿だった。
「手遅れだろう。冷たくなっている……。瀬ノ尾さん、救急車を……いや、警察に連絡してください」
「警察ですか!?」
と驚きの声を上げたのはボイトレ講師の藤林だった。マネージャーの瀬ノ尾は既にスマホを手に110番している。
「殺された可能性が高いんだ」と社長は言った。そこでわたし達がいることに気付いて、「呼んでおいて悪いけど、見ない方がいいぞ……」遠回しに退室を促された。
殺害されたと聞かされても、彼女の死に対する感情の芽生えは特になかった。
現実感がないからだろうか。それとも現実的だからだろうか。こんなときでも私の心中は、鳴宮の死より配信のことで溢れていた。
直近のゴールデンウィーク企画は潰えるだろうか。ダンスが必要なライブ企画はないとはいえ、殺人が起こったのだ。せっかく努力を重ねた練習も無駄骨に終わる。そもそも事務所の行く末は。
犯人は、身内にいるのだろうか? だとしたら誰が鳴宮を殺したというのか。その動機はいったい。