不幸くらべ
王は先代の耽溺の果てに生まれたという。王政への権力が高まるとともに、先王は酒池肉林の贅沢三昧で東西の珍味をかき集め、侍る女はみんな喰い荒らした。その中に余興の踊りを披露した奴隷の女が混じっていて、そしてさらに不幸なことに彼女は王の子を孕った。女は王のことをこれっぽっちも愛していなかったし、王はその女のことなんか欠片も覚えていなかった。それでも生まれてきた王の子は奴隷の証である褐色の肌をもち、王族の証である金の瞳を持っていた。貴族は皆戦慄した。偉大なる王族の家系が下賤も下賤、奴隷の血で汚されたと。それでもまさかその子供が王になるなど誰も思っていなかったから、彼は籠絡の罪で処刑された母親に代わり後宮の奥底に閉じ込められて、存在さえ忘れられながらも生きていた。継承権を持つ王子は彼の前に10数人いた。それぞれ優秀な王子だったから、先王の後継はきっと良い統治者になるであろうと思われていた。けれど彼らは皆、耄碌した先王に言いがかりをつけられて処刑されたり毒殺されたり、はたまた失脚せしめられて表舞台から姿を消した。先王は器の小さい男だったから、王の座から追放されるのが一番怖かったのだ。敵も味方も自分の周りから全員追い出して、そうして一人ぼっちになってから、先王はあっけなく病で死んだ。そうやって王座が転がり込んできたのが、それまでずっと忘れ去られていた異端の王子だった。
褐色の肌に、金色の瞳。奴隷と王の混血。ーーこんなのは何かの陰謀だ、きっと王子たちも王も、本当はこの男に殺されたのだ。そうやって囁かれながら王子は王になった。…だって他に誰もいなかったから。
みんな死んでしまったから。
『君はかわいそうだ』
刺し刺ししい日差しのもと、誰にも祝福されない婚姻式で、王は私にそう言った。ベールのせいで顔がよく見えなかったけれど、多分笑ってはいなかったろう。「あなたの方がかわいそうよ」言おうと思って、やめた。不幸を比べるなら、どうせどんぐりの背比べだった。
王の顔は正直言ってよく覚えていない。婚姻式の時はベールに、初夜の時は闇に隠されて、その後は家庭内別居状態だ。互いの生存こそ認知しろ、夫婦的な関わりは一切ないに等しい。けれど年若いというから、それなりに壮健そうな気配はした。…初夜の時は特段なにもなかったから、そこらへんの事情はわからないけれど。
それでも、私には前世の記憶があるから差し伸べられた褐色の手を厭う気持ちなんてかけらもなかった。そもそも奴隷制度なんてのは心底いけ好かない。
この国ではギリシャ神話のような伝承がそれこそ脈々と継がれていて、国の創始が神代にまで遡る。身分制度はその神代にまで遡って成立したものらしい。
神はもともと一つの身をもって、嘗めて世界を支配する唯一の統治神であったが、あるとき神との誓いを破って家畜に大地の草を全て食べさせてしまった羊飼いがいた。他の生物はそれにより飢え、肥えた羊の肉を喰らって生き延びる人間たちに神は嘆き、その嘆きが体から分裂したという。分裂した嘆きは三日三晩国中の谷を越え山を降り、空を覆い隠しては豊かな大地を砂に変えてしまった。人々は神の嘆きを鎮めるために罪深い羊飼いを差し出し、許しを乞うた。神は言う。「これにより多くの生き物が飢え命を落とした。独りよがりのこの人間のために。なにをもってもこれを許すことは出来ず、この男とその子孫はこれより先砂の咎を負って生きることになるであろう。これは不可避にして不可逆の誓いであり、何をもってしても落とせぬ罪の烙印である。」
男の肌は日に灼かれた砂の色に変わり、砂の国に変えてしまった咎をもつ証として忌避された。彼から生まれる子供は否応なくその罪を負い、彼らは神の怒りの触れた一族として奴隷の身分に落とされた。
全くもって馬鹿げた話ではあるけれど、この国の人間は心底この伝説に心酔しているようで、身分制度に異を唱える殊勝な賢人はどこにもいなかった。私は前世の記憶をもってして彼らが移民の類であることを知っているけれど、多分そんなことはこの国の人間にとってはどうでもいいのだ。
厳しい身分制度の鬱憤のお払い箱として、利用しているに過ぎないのだ。奴隷と言われる褐色の肌をした人々はそうした人間のエゴのもと最下層で食いつなぐだけの人生を強いられている。そういう意味で、私はある意味自分の夫に期待をしていた。そうした理不尽を覆す希望があなたである、と。けれど、多分それも親から売り飛ばされた、前世の記憶をもって生まれた私のエゴだった。
多分私が思う以上に問題は根深くて、闇が深い。私は売り飛ばされて来ただけだし、彼だって仕方なく王になっただけなのに、誰も彼もが私たちを嫌って石を投げてくる。死ねと叫ばれながら生きていくのは、思う以上に苦しいことだ。
「イリヤ」
「はい」
「陛下はきっと私よりもっとお辛いのよね」
囁き声で問いかけた言葉に、水差しを持ってきたイリヤが泣きそうな顔をした。喉奥で何か言いかけて、それを唇で遮る。結ばれた口元が引き攣れたまま、イリヤは首を振った。
「…痛みは、比べるものではありません。」
「……そうね」
イリヤは多分、答えを知っている。でもそれが馬鹿げた問いであったことくらい、私にだってわかるのだ。