二章 21
気がつくと亜矢は上に手術中と書かれた赤く光っているランプの扉の前に立っていた。大橋の両親はソファーに腰掛け、神様…神様…と必死に拝んでいた。
(何があったの?)
必死に自分自身に問いかけるが、答えなど返ってくるはずもない。周りに問いかけても何も帰ってはこなかった。…いや、自分自身が拒絶し、耳が聞くのをやめたのである。ただ呆然と立ち尽くす亜矢に対し、優子はそっと肩に手を掛け、ソファーへと座らせた。優子もまた何て話しかけていいのか分からなかった。ただ必死に亜矢の肩を抱き、手術室の扉を見つめる。
やがて手術中のランプがふと消える。亜矢たちは一斉に立ち上がり、固唾を飲んで手術室を見た。ドアが開き、先生が出てくる。そしてゆっくりとマスクを外す。
「最善は尽くしましたが、出血が多く大変危険な状態です。今夜がやまとなりそうです…」
大橋が手術室から出てくる。酸素マスクをして横たわる自分の恋人の姿を見て、安心感からか恐怖感心らか分からないが、亜矢の目からは涙が溢れた。酸素マスクが時折白く曇った。助かった。そう思った。危険な状態なのは分かっているが、少なくともまだ生きている。きっと大丈夫。何の根拠もないが、そう思った。
病室で酸素マスクをつけ、眠りに着く大橋。今夜がやまだと言われ亜矢は片時もそばを離れなかった。心電図は一定のリズムで反応しており、特に変わった様子は無かった。どのくらいそうしていただろうか。亜矢の眠気も限界に近付いており、時々来る巡回の看護師さんの気配でうたた寝から目が覚ます。そして大橋の顔を見て安堵の表情を浮かべる。そんな状態であった。
3月はまだ夜が深く、午前4時を回ってもまだ太陽の出番では無かった。亜矢は大橋の手を握りながら眠ってしまっていた。
するとふと亜矢は手を優しく握る感触がして、静かに目を開けた。ゆっくと自分の手を見つめる亜矢。そこには温かく大きな手が力強くしっかりと、そして優しく握っていた。
「タクミ…?」
呟く亜矢。
「タクミ…。タクミ!」
次第に声が大きくなる。そして亜矢の必死な問いかけに対し大橋の目がゆっくりと開いた。
「あ… や… 」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で話す大橋。
「タクミ…」
無意識のうちに大橋の手を強く握り、祈るようにして涙を流す亜矢。
「あや…」
徐々に意識がはっきりし、話す言葉もしっかりとしてきた。
「待ってて、今先生呼んで来るね」
そう言って亜矢は立ち上がろうと大橋の手を離そうとすると、逆に手を強く握られた。
「待…って…くれ…」
酸素マスク越しに微かに聞こえる大橋の声。そんな声を亜矢は必死で聞こうと顔を近づけた。
「あや…。聞いて…くれ…」
大橋は一言一言声を振り絞って亜矢に伝える。亜矢も聞いてるよと一言一言に深く頷いた。
「あや…。あとで…お前に…話が…ある…。大事な…話だ…」
荒く呼吸をしながら必死で喋る大橋。
「わかった。わかったからもう話さないでいいよ。ゆっくり休んでて。今先生呼んで来るからね」
亜矢はそっと大橋の手を離し、布団の上にそっと置いた。そして病室を出ると、ちょうど大橋の両親に会ったため大橋が目を覚ました事を伝えた。そして亜矢は急いで先生を呼びに行った。
亜矢が病室を出て行ってから大橋が話した言葉は一言だけだった。誰もいない病室で、誰も聞いてない。たった一人で話した言葉。
「幸せになろうな…」
第二章 終
次はGW明けになると思います。
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