一章 16
3月だというのに未だにトレンチコートにマフラー。春はまだまだ先のようだ。
そんな事を考えながら、渡辺は今日も満員電車に揺られていた。
会社に行くのがこんなに億劫なのは、このぎゅうぎゅうに詰め込まれた満員電車のせいではなかった。
東京に出てきて約5年間。ほぼ毎日通勤で使っているこの満員電車は慣れたもの。
ではなぜ気分が億劫なのか。それには理由がある。
簡単に言ってしまえば失恋だ。
正確に言えば違うかもしれないが、渡辺の一つの恋は4年の月日を無にして静かに、そして呆気なく幕を閉じたのだった。
「おはようございます!」
渡辺は精一杯の明るい声で挨拶をし、自分の席についた。
そして黙々と仕事をこなす。同僚の他愛ない雑談にも笑顔で相槌を打ち、当たり障りのない返答をする。
周りからすればいつもの、いや…いつも以上に機嫌のいい渡辺に見えたであろう。
少人数を除いては…。
最初に異変に気づいたのは小野だった。5年も一緒にいれば渡辺の異変などすぐに気が付いた。
しかしとても話し掛けれる雰囲気ではなかった。
渡辺は他の同僚の話に笑ってはいたが、どこか苛立っていた。小野にはそれが解っていたのだ。
お昼も近づき、小野は昼飯に渡辺を誘おうと渡辺のデスクに駆けよった。
その時、渡辺のデスクの電話が鳴った。電話に出る渡辺。
30秒ほど話して電話を切り、どこか向かおうと席を立つ渡辺。そこで小野に気が付いた。
「おう。タカ」
「おうハルキ。どうだ昼飯?今日は俺が奢ってやるぜ?」
小野が言うと、渡辺は指を立て謝った。
「悪いな…。課長からの呼び出しだ。ちょっと行ってくるわ」
ばつの悪そうに、避けるようにして去っていく。小野も余計な事もいわずに見送るしかなかった。
昼休みが終わっても渡辺は姿を見せなかった。
「どうしたんだろうな?」
小野が近藤に聞く。
「さぁ…。彼女にでもフられたんじゃないの?」
「アイツに彼女いないの知ってるくせに…。って前も同じような会話しなかったっけ?それにしても妙にピリピリしてなかったか?アイツ…」
「そうね…。顔は笑ってたけど何か違ってたわよね…」




