アクバルの世界史っ子教室(ハーレム編)
やあ。みなさん。
こんちくわ。
更新頻度サイト1のアクバルです。
突然ですがみなさん。
デリー=スルタン朝はご存知?
そうインド発のイスラーム王朝ですね。
僕なんかは、
「するたん」
と呼んで親しんでいるのですがみなさんはどうでしょうか。
ゴール朝が滅亡して、奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝が順にできましたが、この5つはすべて、インドのデリーにおかれたため、総称してデリー=スルタン朝と呼ばれるようになりました。
ところで最初の奴隷王朝、なんか変な名前ですね。奴隷が王朝を立てたみたい。
でも実際そうなのです。アラビア語で奴隷はマムルークといいますが、こいつらが立てたのです。
と言っても、マムルークは正確には元奴隷、という感じでしょうか。
マムルークといえばマムルーク朝を思い出します。13世紀ごろから16世紀まで長くカイロを支配した王朝です。
ホッカイロではなく、エジプトのカイロです。
この王朝はアイユーブ朝出身の女奴隷と、その夫が立てたのですが、女奴隷ってなんだかぞくぞくしますね。
僕も欲しいです。
マムルーク朝では君主が軍人に土地をまかせるイクター制などが知られます。
十字軍というキリストを掲げた盗賊と戦い防ぎましたが、結局はオスマン帝国の支配下となってしまうのでした。
さて、ではオスマン帝国とは何かというと、そうです。
「ハーレム」ですよ。みなさん。
ハーレムには大勢の女性がいましたが、基本的にはみな女奴隷とされていました。
くーっ。うらやましい。
で
「するたん」が夜な夜なその肉棒で貫くわけですよ。ひゃーっ。
しかしハーレムは変な部分がありました。トルコ人の国にあるのに、トルコ人が一人もいなかったのです。
理由は、昔、するたんのトルコ人の妻が
敵国の捕虜となったとき、
「全裸」で給仕、いや奉仕させれた恨みがあるからなのでした。
トルコ人の妻はリスクがあるってことかね。
しかし、僕もハーレム、作りたい……。
というわけで、ひとまずこれにて終了。