古代ローマの軍制
軍隊の編制は時代や国で大きく変わります。
古代ローマの軍団legioは定員六千人で、十個のコホルスcohorsに分かれ、コホルス自体は三つのマニプルスmanipulusに分かれ、マニプルスは二つのセンチュリアcenturiaによって成立していました。
センチュリアは十人十列の百人の兵士で構成され「百夫長centurio」が束ねていました。
百夫長には等級があり、第一級の百夫長は軍団に六人しかいない第一コホルスの指揮を任され、その他は順次等級が下がりました。
なお最も名誉ある百夫長はプリミピルスprimipilusと呼ばれ、第一コホルスの第一マニプルスの第一百夫長とされ、訳語を百夫長頭とする場合があります。
古代ローマの軍団は密集して盾を並べる重装歩兵が主力になり、整然と前進する戦法を採用していました。陣列の最前列右端が百夫長でしたので、戦死する確率が極めて高かったようです。
指揮系統は『ガリア戦記』に依ると、指揮官Proconsulには副将legatusが直属し、指揮官であるカエサルCaesarが不在の時は代将として部隊の指揮を執っています。
また「千夫長tribunus militum」と呼ばれる参謀が一個軍団に六人いて、その他に財務官をカエサルは部隊の指揮に使うことがありました。
騎兵は一部の資産階級、或いは傭兵としての異民族で構成され、更に軽装歩兵とされる弓兵や投擲兵を遊撃、偵察に用いていたようです。
古代ローマの軍団は土木工事や建築工事もお手の物で、戦場で攻城兵器を組み立てて攻め寄せたので、驚いた敵が刃を交えることなく降伏したこともありました。これを表して「ローマ兵は鶴嘴で勝つ」と言ったそうです。
後年のように明確な軍隊階級は未発達でしたが、その後のヨーロッパの軍制は古代ローマの軍制を参考にしている場合が多いです。




