戦国時代の役職
順序が前後しますが、軍制の説明には着到規定を先に紹介した方が理解が早いと思いました。
軍団の統率は主将となる大将や総大将が執行しますが、代理人として「軍奉行」を任じる場合もあります。
源九郎義経が、兄の三郎頼朝に代わって軍奉行を務めていたとも言われます。
後世には兵種別に奉行を置き、「旗本軍奉行」「武者奉行」「槍奉行」「弓奉行」「鉄砲奉行」「船奉行」「幕奉行」「旗奉行」「具足奉行」「諸道具奉行」「御膳奉行」「兵粮奉行」と細かくなっています。
残念ながら「鍋奉行」はおりません。
「旗本軍奉行」はいわゆる親衛隊長で「馬廻りの軍奉行」とも呼ばれます。
「武者奉行」は旗本以外の武者を統率します。この下に「侍大将」や「武者大将」が所属します。
「槍奉行」は陣中の槍の管理を担う係で、「槍組足軽」の頭の中から任命します。「長柄大将」「槍大将」とも呼ばれます。
「槍組足軽」は槍衾を作って、敵軍の侵入を阻みます。突くよりも叩き合うのが主流で、騎馬武者に対しては座り込んで石突きを地面に刺し、しっかりした槍衾を形成するのが戦い方の基本でした。同じような戦法をスイスのパイク兵団が採用して騎兵の突撃を阻んでいます。
「弓奉行」も同じく陣中の弓の管理を担い、「弓組足軽」の頭から任命されました。
元来、弓は武士の主要兵器でしたが、槍が主要兵器に取って代わり、室町時代以降は大量の矢を放つ「矢衾」で敵軍の進出を阻む戦術となりました。合戦開始に「矢合わせ」を行っていたのも室町時代までです。
また箭箱持が随伴して矢の補給を行いました。
「鉄砲奉行」もまた陣中の鉄砲や玉薬の管理を担います。
「鉄砲組足軽」は十五人から三十人を一組として、「鉄砲奉行」の合図で一斉射撃を行いました。
「戦端の火蓋を切る」という表現は、この火縄銃を放つ様子から来ています。
玉薬箱持が随伴して、火縄や玉薬を補給しました。
指揮系統を整頓すると、総大将がいて、各奉行が兵種を統括し、「物頭」と呼ばれる隊長がいて、組頭、足軽へと命令が伝わります。この命令伝達を担うのが「使番」です。
「船奉行」は渡河、渡海などの時に船を手配する責任者です。物資輸送や兵員輸送、水軍が編制されると、その指揮も担いました。
「幕奉行」は陣幕の管理、運搬と設営の責任者です。
「旗奉行」は旗と馬印の管理を行います。旗持は往古、豪勇の士が担当していましたが安土桃山時代以降は足軽の務めとなり、更に旗が増えた影響で総大将は馬印を用いるようになりましたので、これらを管理する役職が増設されました。
「具足奉行」は甲冑の管理をする役職です。臨時雇用の足軽たちに具足を貸し出す関係から、その管理と修繕なども職掌となります。
「諸道具奉行」は主将の日用品や衣類を監理する役職です。
「御膳奉行」は主将の食事用具一式を揃え、調理人、食材の監理を担っていました。調理人は「台所頭」と呼ばれます。
「兵粮奉行」は全軍の兵粮を監理し、時には買い付けもするなどの役職です。荷駄隊を指揮し、糧秣を狙う敵軍や山賊などの襲撃から物資を守る必要もありますので、大変な役です。何故なら、「任務を完全に遂行して当たり前。手落ちがあれば責任追及」というブラック企業も顔負けの苛酷な職種でしたので。
この他にも、太鼓や鐘、貝、銅鑼などを監理する役職や、偵察任務を担う「物見」、主将秘書官ともいうべき「右筆」、憲兵の役割を担う「軍目付」などがいました。
「荷宰領」というのは民間人で、荷駄隊を率いました。荷駄隊は徴発された農民たちで編成されていましたから、「兵粮奉行」の指揮下で最前線にまで物資を輸送する苛酷な事業を担っていたと言えます。
この歴史的経緯から旧軍では輜重を軽視し、補給を疎かにして敗北を招いたとも言われています。古今東西、補給に失敗した軍隊は悲惨な末路を辿っています。




