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江戸時代の軍制

 戦国時代の軍制は各大名家で異なるのが常で、大坂夏の陣で獅子奮迅の活躍を見せ、「日本一(ひのもといち)(つわもの)」と称賛された真田源次郎信繁の軍制は、誰も知らないままになっています。

 また徳川二郎三郎家康も甲斐の武田家を攻略した後は軍制改革に努め、重臣の石川与七郎数正が秀吉方に出奔したのを機に、武田流の軍制へと切り替えています。

 この戦国時代の軍制を経て、江戸幕府は身分や禄高に応じて用意する武装や人員を細かく定めました。

 百石級の武士は徒歩で槍一筋を持ち、槍持と草履取の二人の供を連れ歩くのが義務でした。

 これが武士の最下限で、これより禄高の少ない者は幕府や藩から武器を貸し出されます。

 騎馬武者は二百石級からで、槍持一人、侍一人、馬の口取り一人、甲冑持一人、小荷駄一人と供回りの者が増えます。

 この後、百石ごとに供回りが二人ずつ増えるのですが、武装に変化はありません。変化が現れるのは六百石級の武士からです。

 六百石級の武士は、侍三人、甲冑持一人、槍持一人、馬の口取二人、草履取一人、小荷駄二人、挟箱持一人、立弓一人、鉄砲持一人となります。

 弓も鉄砲も主人用で、戦力は侍三人のみになります。

 この侍の給与が「三両一人扶持」で俗に「サンピン」と呼ばれた存在です。

 以後、漸次供回りが増えます。

 三千石級の武士になると、侍十人の内、二人が騎馬武者になります。更に数弓二人、鉄砲二人が戦力となります。他の供回りは槍持五人、甲冑持二人、立弓一人、長刀一人、馬印二人、草履取一人、挟箱持二人、雨具持一人、馬の口取四人、沓箱持二人、押足軽三人、二騎の口取二人、若党二人、具足持二人、槍持二人、箭箱一人、玉薬箱一人、小荷駄四人と手替三人となります。

 一万石を超えると大名になるのですが、幕閣であれば幕臣として規定の人数を編制するよう求められていました。

 一万石級では総員二百三十五名と、文字通り大名行列に近くなります。


 手元資料では五万石級までの詳細が記載されています。

 馬上侍七十人

 弓組足軽三十人、手替十五人、小頭二人

 鉄砲足軽百五十人、手替五十人、小頭六人

 槍足軽八十人、手替二十七人、小頭四人

 旗差三十人、宰領二人、侍四十人

 立弓二人、手筒二人、手替一人、長刀持二人、甲冑櫃持六人、馬印持三人、宰領二人、小馬印持三人、挟箱持四人、蓑箱持二人、茶弁当持二人、坊主一人、雨具持二人、草履取一人、馬の口取六人、沓箱持三人、手替三人、押足軽八人、箭箱持四人、宰領一人、玉薬箱持四人、宰領一人、五十六騎の口取五十六人、若党五十六人、槍持五十六人、具足櫃持五十六人、手替二十八人、諸士の小者四十人、長持二棹八人、宰領二人、家老一人、供人十二人、用人二人、供人十四人、旗奉行二人、供人十四人、長柄奉行三人、供人二十一人、物頭六人、供人四十二人、小荷駄三十匹と三十人。

 総勢千人近い行列です。これらに医者、書役、勘定役、大工、金堀、陣夫・夫丸らを加えるとかなりの人数になります。更に乗替馬も連れて行きますから、その馬の口取も増員する必要があります。

 五万石以下の大名も多いですので、このような人員で大名行列が行き来していたと思えば、ほぼ間違いありません。

 宿場町が栄え、大名が窮乏してゆくのも当然ですね。

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― 新着の感想 ―
[一言] 上田秀人氏やその他の作家の時代小説にも書かれていますが、時代が下ると各大名も窮乏して人を抱えられなくなってきます。 その為、宿場や江戸の手前だけ人を雇い面目を保ったそうです。 また殆どの譜代…
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