鎌倉幕府と室町幕府の違い
同じ武家政権でも、鎌倉幕府と室町幕府は性格が違います。
鎌倉幕府は平安時代の半ばぐらいから育まれた「弓馬の道」で結ばれた主従関係を前提に成立していました。
その主従関係は鎌倉殿を中心に、全ての御家人が平等かつ対等な家来衆という位置付けです。
ところが室町幕府では各家に家格を付与して序列を作りました。
この序列があった為に、政治基盤が軟弱な室町幕府も十五代まで何とか存続したと言えます。
また軍勢の数え方も大きく変化します。
平安時代から鎌倉時代は、騎乗している侍のみを数えました。従者までは数えませんので、例えば承平の乱では「百の軍勢」と言っても「百騎とその三倍ぐらいの歩兵」がいました。
室町幕府以降では歩兵も数えるようになります。
鎌倉幕府の成立に多大な寄与をした武士団は、騎射戦闘を得意としていました。それまで政権を握っていた平家が海戦や歩兵戦闘を得意としていた状況と対比されます。
室町幕府の成立にも武士団の力が大いに貢献します。
鎌倉時代には常設の部隊がなく、御家人は領地経営に勤めつつ武芸の訓練を行っていました。
そして号令が掛かると「いざ鎌倉」とばかりに馳せ参じる様子が『鉢木』でも語られています。
これに対して室町幕府では南北朝の争乱の影響もあり、洛中に常設軍を置いて、将軍親衛隊としました。
この将軍親衛隊は強力な部隊で、二千を超える騎馬武者で編制され、幕府を支える有力守護の軍勢と力を合わせて多くの不遜な守護大名を征伐しました。
鎌倉幕府は将軍の権威で御家人を従わせていましたが、室町幕府は実力で守護大名を従わせています。
ですから応仁の乱の後、管領細川家の叛逆で十代将軍が罷免されると、この常設軍は解散状態に陥ってしまい、後代の将軍が大名たちの思惑一つで右往左往するようになってしまいます。
自前の軍隊を持たないと、将軍でさえその身が守れない事実は、後世の戒めと見るのが良いと思います。




