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藤原秀郷

 俵藤太こと、藤原秀郷は平安時代のスーパースターです。

 藤原北家、魚名流の出自とされますが、実際には違うようです。

 また百足退治でも有名ですが、こちらの話も他人の話が秀郷に附会されたようです。

 その理由は、無類の強さで関東を席巻し、独立宣言までした平将門を討ち取った功績があるからでしょう。

 承平天慶の乱と言われた平将門の乱と藤原純友の乱は時をほぼ同じくして、関東と瀬戸内海で勃発しました。

 朝廷は将門征伐に官軍を派遣します。

 この時、将門調伏の為に創建されたのが成田山新勝寺です。

 将門と敵対していた平貞盛は、下野(しもつけ)国の押領使(おうりょうし)に任じられていた藤原秀郷と結び、官軍が到着する前に戦を仕掛けます。

 序盤は南風を背に迫る将門側が圧倒しますが、中盤以降は北風に変わり、秀郷側が優勢になります。

 陣頭指揮を執っていた将門の眉間に矢が突き立ち、勝敗が決しました。

 この功績で秀郷は下野国と武蔵国の(かみ)に転任し、更に鎮守府将軍に任命され、名実共に武家の頂点に立ちました。

 秀郷の元々の官職は下野国の(じょう)で、官位相当は従七位(じゅしちい)上という下級官吏で、押領使は武芸に通暁している者を選んで任じられる役職でした。

 任命された中で最も官位相当が高いのは武蔵国守と鎮守府将軍で、共に従五位上の殿上人となります。

 実際の叙位は従四位下に越階(おっかい)していますので、官職相当は陸奥出羽按察使(あぜちし)になります。但し当時の陸奥出羽按察使は藤氏長者の藤原実頼(さねより)ですので、代官として勤務した可能性も考えられます。

 この措置は西で藤原純友の乱を平定した小野好古と等しくする人事でもあったでしょう。

 小野好古は近衛少将正五位下として出立し、乱の平定後に従四位下に転位され、左中弁に遷任しています。

 中央官人の小野好古と、下野国の在庁官人である藤原秀郷が同等の官位と相当官職に就任するのは、当時の慣習としては異例の抜擢と言えるでしょう。

 秀郷が以後は加級しない一方で、小野好古は従三位(じゅさんみ)参議まで進んでいますので、差は歴然です。

 それでも下級官吏から殿上人にまで昇った藤原秀郷が民衆や武家のスーパースターとなったのは、当時の人々の期待を一身に集めていたからと言っても過言ではないでしょう。

 ですので、秀郷流を名乗る武家が関東を中心に数多あります。

 有名な武家としては、奥州藤原氏、比企氏、小山氏、結城氏、波多野氏、佐藤氏、龍造寺氏、立花氏辺りでしょう。

 いづれも武家の名門です。

 この藤原秀郷の前例があったからこそ、後に武家の棟梁が征夷大将軍に任官する機会ができたと言えるかもしれません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 現在でも官僚は「前例がありません」の一言で拒絶しようとするとか。 減点式でなく加点式にしないとファーストラビットになろうとする役人は現れないのかも。
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