平安期の軍制
今回は平安期の軍制です。
平安期の軍制は大化改新後の大宝律令から、養老律令に改定された官僚組織改革に伴い、上級機関が変わりました。
それまで五つだった衛府を改組して、左右近衛府、左右兵衛府、左右衛門府の六衛府体制としました。
諸国の軍団は国司の直属に変わりありませんが、徴兵制を廃止して有力者の子弟で編制されるようになります。
太宰府の防人司や東北方面の鎮守府なども健児や舎人で編制されるようになり、職業軍人ともいうべき武士団の萌芽となりました。
更に嵯峨天皇の『弘仁格式』、清和天皇の『貞観格式』を経て、醍醐天皇の発せられた『延喜格式』に於いて増補、完成した律令は以後、明治維新まで存続します。
鎌倉幕府成立後には有名無実化する律令制ですが、その栄光の一端を見ていきましょう。
律令制の官職の基本は四部官で、これは武官も変わりありません。
軍事に関する役所は、「兵部省」「隼人司」「近衛府」「衛門府」「兵衛府」「馬寮」「兵庫寮」「押領使」「追捕使」「鎮守府」などがあります。
兵部省は諸国の兵士、軍事に関する一切のことを掌るとされますが、報告書の整理や軍事行動への考課を行うばかりで軍事行動は行いません。
隼人司は薩摩・大隅から徴発した兵士を管理し、宮城守衛の任にあたりました。
近衛府は左右あり、禁中を警衛する役所で内裏の内部を所管します。
長官は「近衛大将」、次官は「中将」と「少将」になります。
大将は左右一人ずつ、中将は二人ずつ、少将は四人ずつ任命されます。
「将監」は各十数人で、役所の内部監査や書類監理を行います。
「将曹」は各二十人程度、文書作成を行います。
「近衛舎人」各三百人は、位階ある者の子や、勲位ある者を試験して採用しました。現代でいうところのSPと似たような職務を行います。この近衛舎人から番長や府生を経て、上記の四部官へと昇叙されました。
兵衛府は内裏の内側、近衛の外郭を所管します。左右あり。
「督」は各一人ずつ。
「佐」各一人、「権佐」各一人。
「大尉」「少尉」各二十数人。
「大志」「少志」各一人。
「兵衛」各二百人。
衛門府は内裏の外側、兵衛府の更に外郭を所管します。こちらも左右あります。
「督」は各一人ずつ。
「佐」各一人、「権佐」各一人。
「大尉」「少尉」各二十数人。
「大志」「少志」各二人。
「衛士」各六百人。
馬寮は御所の厩の馬、馬具、諸国の牧場の馬を管理する役所です。
御厩馬の管理は、「御監」を近衛大将が兼帯して総裁しました。
兵庫寮は兵器の管理と、軍で使う楽器の管理を行います。
押領使と追捕使は似たような官職で、地方での犯罪者の逮捕や悪党の追討を行いました。
鎮守府は陸奥国に設置され、南下して来る蝦夷を防ぐ役所でした。
以上、簡単に紹介しました。