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運ぶ背中


 今でも覚えている。

 あれは幼稚園に通っていた時分だ。

 ある日、当時住んでいたアパートで、隣の部屋に住んでいたアイちゃんが僕に話しかけてきた。

 アパートの中庭で、買ってもらったばかりの三輪車をキコキコ漕いでいた僕は少しどぎまぎしながら、アイちゃんを見る。

 傍らに立ち、彼女は目元を真っ赤にして泣きながらお願いした。


 「後ろに乗せて?」


 僕は彼女にどう答えたのか覚えてないけれど、とにかく僕の後ろにアイちゃんを乗せ、三輪車を漕いだのは覚えている。

 やはりというか、幼い脚力では2人乗りはとても大変で、僕は顔を真っ赤にして漕いでいたとアイちゃんが教えてくれた。

 あまり細かいところは覚えてないけれど、僕は後ろに乗ってけらけらと笑うアイちゃんの笑顔は覚えていた。



 小学生になり、両親と自転車に乗る練習をしてやっとこさ自由に乗り回せるようになった時、アイちゃんはまた同じように、


 「後ろに乗せて?」


と頼んできた。

 少しだけ得意げな僕は、二つ返事でOKした。

 が、急に重くなったペダルにバランスを崩し、最初は何度かこけて二人で泣いた。

 慣れてくると二人乗りで2つ向こうの街くらいまでなら自転車で走り回ったり。

 坂道は降りて押してもらったり。

 お互い友達はいたけれど、1週間のうち半分くらいはアイちゃんと一緒に自転車に乗っていた気がする。



 中学生になると、なんだか周りの目を気にして……というよりお互い恥ずかしくて、なんとなく二人乗りはやめていた。

 なんとなく、二人一緒にいるのが。

 なんとなく、体を寄せ合うのが。

 なんとなく、お互いの家を行き来するのが。

 どれも恥ずかしく思えて仕方なかったし、友達に見られたらと思うと無性に怖かった。


 でもそのことでアイちゃんと大喧嘩して、大喧嘩して、仲直りしたらどうでもよくなって、また二人乗りするようになった。

 背が伸びて買い替えてもらった空色のママチャリは、今まで乗った中でもすごく安定していて、後ろの荷台に彼女のための安いクッションをいつも乗せていた。

 長い時間乗っているとお尻が痛いとアイちゃんは愚痴っていたけれど、僕らのお小遣いで買える範囲じゃその薄いクッションが限界だった。


 アイちゃんとキスをしたり、手を握ったり、身体を預けあったり……夜を一緒に過ごしたのは中学3年生になったころだ。

 背中にかかる彼女の重みが、子供ながらにすごく尊くて愛おしく感じるようになった。



 高校生になり、僕はアイちゃんを驚かせたくてこっそりオートバイの免許を取った。

 バイトしてお金を貯め、なんとか買えたクロスカブを見せたとき、アイちゃんは喜ぶどころか「こそこそ隠し事しないで!」なんて怒っていたっけ。

 自転車よりも速くなって、もっと遠くへ行けるようになって、あの背伸びした時間は僕の中で今も大切な思い出だ。

 高校へはこっそり乗り付けて、土日は出掛けの足に。

 喧嘩した日もあったけど、僕とアイちゃんはなんとなく二人乗りを続けた。

 

 それから大学生になり、社会人になり……僕はずっとアイちゃんを後ろに乗せて走った。


 それも今日で終わりかもしれない。


 「はい。家、着いたよ」

 「ん。ありがと」


 僕はいつものようにアイちゃんを彼女のアパートまで送り届けた。

 季節はすっかり秋めいて、走っていると肌寒い。

 空冷エンジンを乗せたリッターバイクに乗る身としてはありがたい季節ではあるが、アイちゃんが凍えるのはもどかしい。現に、オートバイから降りた今、アイちゃんは手をこすって指先を温めていた。


 「……寄ってく?」


 鼻先が少し赤いアイちゃんが、うるんだ瞳で僕を見つめる。

 寒さのせいか、はたまた。

 僕は彼女の誘いに首を横に振って応えた。


 「遠慮しとく。いくら幼馴染だからって、ダメだよアイちゃん」

 「……ん」


 ほっとしたような、がっかりしたような。

 複雑な表情でアイちゃんは頷いた。


 「じゃあ、僕は帰るよ」

 「うん……」


 僕は踵を返して、アパートの前に止めたバイクに向かおうとして、彼女に後ろから抱きしめられた。


 「ねえ、少しだけこうしてていい?」


 抱きしめる腕に力が込められて、僕はそっと彼女の手に自分の手を重ねた。すこしだけ寒さが和らぐ。


 「アイちゃんさ、今はちょっと不安になってるだけだから。大丈夫だから」


 ぽんぽんと彼女の手を軽くたたいて、抱きしめてきた腕をほどく。


 「本当につらくなったら、また何時もみたいに後ろに乗せて走ってあげる。だから、ね?」

 「……なんで?」


 まだ優しくしてくれるの?と彼女は僕の目を、その奥の真意をのぞき込もうとするように、真っ直ぐ僕を見た。


 「アイちゃんは覚えてないと思うけど……昔、小さいころ、そう約束したから」


 朧げな記憶の中、泣きじゃくる彼女に僕は宥める様に伝えた。僕にとって、原点みたいな記憶。


 「……悲しくなったら、僕の後ろに乗せてどこへだって連れて行ってあげる」

 「あ、覚えてたんだ」

 「当たり前でしょ」


 ふん、と鼻を鳴らして自慢げに腕組みする。少し気分が上向いてきたらしい。


 「だから、また。ね? ほら、楽しかったでしょ今日」

 「うん……」


 こくんと頷き、つられて揺れたアイちゃんの髪を見て、僕は無性に触れたくなる心を押し殺した。

 僕は、ちょっとだけやせ我慢みたいに顔に力を込めて笑顔を作った。


 「……アイちゃん、結婚おめでとう」


 祝福の言葉に、彼女はなぜか泣きそうな顔で小さくありがとうとこぼした。

 口の端をゆがめるように笑って、僕はまた踵を返してそそくさと愛車にまたがる。

 ヘルメットをかぶり、バイザーを下ろして。

 吐息で曇ったバイザー越しに彼女を振り返って見た。

 ぽつんとアパート前に立つアイちゃんへ、別れの言葉を告げる。


 「お幸せに!」


 キーをオンにして、僕はたまらず走り出した。もう振り返らない。

 背中に、まだほんの少しだけ残るぬくもりを乗せて僕は夜道を駆ける。

 明日は仮病を使おう。

拙作をお読みいただきありがとうございます。

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