表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

パパラ、撃ち抜きます

 妖艶に、挑発的に、蠱惑的に。

 女は微笑んだ。

 男を惑わし虜にする、砂漠の悪霊ジンのように。

 あるいは人に天啓を与えて導く、至高天使ジブリールのように。


 誰もが息を呑む。不可能だ、無理だ、とうめき、悲鳴すら漏れる。


 シークだけが静かだった。

 この砂漠の美男子はいついかなる時も冷静なのだ。


 圧倒的理不尽がパパラになろうと、魔油嵐になろうと、大差ない。

 ただ、彼は考える。

 より、砂漠の民のためになるはずの選択とは、何かを。


「その作戦が失敗したら――私の出力した術式が不完全だったり、指示した位置が違っていたり、あるいはそなたが狙い通りに当てられなかった場合――この遺跡は、砂漠の民はどうなる?」


 王が金色の目の奥で忙しく考えを巡らせている様子に、女はうっとり表情をとろけさせた。


「まずこの場の全員が死ぬでしょうね。遺跡は崩壊し、人々の生活は立ち行かなくなります。魔油のない時代の生活に戻れればよし、最悪砂漠の全てが滅び去るでしょう。いえ、東西の周辺諸国とて無事では済まないやもしれませんね」


 すらすらと述べられる台詞に、周囲の人間が色めき立った気配がある。しかし人々の反論よりパパラの次の言葉の方が早かった。


「ですがそれは。我が王が殉死なされても同じ事なのでは? この方の優秀さ、まさか臣であるあなたがたが知らないとは言わせません」


 女の声はよく響く。思わず手を止めて聞き入ってしまいたくなるような、魅力的な抑揚を伴う。


「たぐいまれな忍耐力。人の話をよく聞き、望むものを与え、分けることのできる会話力と思いやり、交渉事の巧みさ。加えて不審者の猛攻を一度も通らせなかった、武芸、魔術、そして剛運にも恵まれて。ああ、これほどの逸材の出現と育成に、一体今後何年かかりましょう? 十年? 百年? ご冗談を。あなたがたはそんなに長く待っていられない」


 金糸雀が囀るのに似ていた。

 けれど小鳥の音楽にはない、人を鼓舞させる力がそこにはあった。


「今回はわずか三年で王の代替わりがあったとのこと。では次はいつ? 年々魔油の利用は増している、つまり暴走の頻度が増すことはあっても減ることはない、そうでしょう。わたくしは、無遠慮で無礼で無体な部外者ですからこそ、重ねて問います、砂漠の民達よ。このままでいいと……この方を殺して幸せになれると、本当にあなたがた、思っていらっしゃるの?」


 人々は思わず互いに目をやり、視線が合うとはっと恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いた。


 ただ男のみが。

 真っ直ぐ見つめ、見つめられる男のみが、背筋を伸ばし、凜と立ち、女の声に耳を傾けている。


 ぐるりと見回し、言い聞かせるように喋っていたパパラの目がふっとチョーシークに戻ってきた。


「信じなさい。できるできないの問題ですらない。わたくしが、やると言っているのです。この嘘の吐けぬあまり故郷をたたき出されることになった女は、今まで何度だって口に出してきたはず――わたくしの前で何者にも、愛しい人を奪わせるものか!」


 身振り手振りを交え、熱っぽく語っていたせいだろう。

 いつの間にか女を覆っていた黒い布は剥がれ、その顔が露わになっていた。

 ああ、目元だけでも窺わせたが、実物が想像を上回るとはこれいかに。

 人間かと疑いたくなるほど整った顔立ちは、魔性の者より美しく、天から遣わされる御使いよりも神々しかった。


 誰からだろう。実力を身体で知らされることになったあの警備隊長だったろうか。

 男が一人、膝を折った。床に手を突き、頭を垂れた。ジブリール――口々にその名を唱え、人々が平伏していく。


 伏す人の群れと、ただ一人残される王。それは奇しくも、初めてこの不審者が姿を現した時の情景に似ていた。


 黄金の瞳で女を見据えていた。

 瞳で射殺さんと言わんばかりの強い視線。

 しかし不意に、彼の口元がふっと緩んだ。


「わかった。私はそなたに賭ける。我が望みを叶えよ、ジブリール――いや、これは違うな」


 もはや誰も否を唱えようとはしなかった。男は一歩踏みだし、女に向かって手を差し出す。朋友に、握手を求めるように。


「私に協力してくれ、パパラ」


 女はぽかんと、目どころか口までぱっくり開いて驚愕した。

 しばし間抜け面を晒してから、さっと口元を覆い、はにかむように小さく呟く。


「ダーリ……我が王にお名前を呼んでいただいたのは、これが初めて……」


 一瞬まるで年頃の少女のような恥じらいを見せた彼女は、けれどすぐにまた自信過剰――否、実力通りの自信をまとった笑みを浮かべ、優雅に膝を折った。


「ではもちろん、この時を最後にするわけには参りませんね?」


 そして、今度こそ、幾分か迷いを見せるように手を差し出し、がっしりとした褐色の手に小さな女の手を握り返されたのであった。




 それから二時間程度時が過ぎた。


 関係者の避難は既に完了している。


 残って見届けると申し出た忠義熱い臣と侍従達が数名、それからチョーシークとパパラの両名。


「こちらの準備はできた。まだ予測時間に少し余裕はあるが……」


 シークはパパラに渡された弾丸に、呪文を唱え術を込め続けていた。

 最後の一つを渡した彼の額には玉のような汗の粒が浮かび、ぽたりぽたりと顔を伝って落ちていく。


 本来直接目標に刻めばいいものを、圧縮して命中したら展開するようになんて無茶をしているのだから疲労もやむを得ないと言えよう。

 更に彼は、狙撃役のパパラに極力負担が行かぬよう、彼女の手に術式を描く事で防御陣を拡張しているし、この後まだ扉を開いて撃ち抜く場所を指示して、という仕事も残っているのだ。


 過労に慣れている砂漠の王であっても、なかなかしんどい現場である。

 周囲で声援を送る忠臣達が心の癒やしだ。


 顔を拭う褐色の手を熱の籠もった眼差しで見送ってから、パパラははっとよだれを拭き取り、真面目な顔に戻って答える。


「もう逃げ遅れた方の確認まで全て済ませて参りましたのでしょう? 魔油は魔力の塊の渦、そのうねりの渦の暴走など、長引かせて良いとは思えません。さっさと決着をつけてしまいましょう」

「……そうだな」


 目標を狙うには、二人が直接現場に赴く必要がある。

 本来シークのみが立ち入れる場所にパパラもなんとか立たせるまではなんとかしたシークだが、それ以上連れて行くわけにはいかない。


「ご武運を、我が王よ、至高のお人よ!」

「ジブリール様、王にお力を!」

「逮捕するのは帰ってきてからにしてやる!」


 一部負け惜しみが混じっている気もする声援にふっと力が抜けた笑顔で応じて、二人は死地に向かった。


 照りつけていた午後の日は沈んで、西日の赤が砂漠を、遺跡を染め上げている。


 目指す建物まで、無言で外を歩いた。

 いくつかの扉を開き、最後の一つに手を置いて、シークは隣のパパラに振り向く。


「……気分はどうだ?」

「とても素敵」


 女は微笑で返したが、声は震え、手汗でも滲んだか、滑らないようにさりげなく拭っているのが目に留まる。

 最大限できる対策はしてきたとは言え、体中がいわば魔油仕様に魔改造されている王とはやはり異なり、多少の影響は免れないようだ。

 顔色はかつてないほど真っ青、気絶せず立っているだけでも褒められるべき偉業なのだろう。


「ご安心下さい! こんなこともあろうかと、あらかじめ吐いてきましたから!」


 ぐっと握りこぶしを作る、その手も震えが止まらないようだった。

 王は一度扉から手を離し、そっと女の強がりを包み込む。


「弾丸と、場所は私が。狙い定め、撃ち抜け――いつもしている通りに」


 囁くように彼が言えば、女の身体の不調は全て飛んだ。

 実際になくなったわけではない。だるく気持ち悪く重たい。

 けれどそれを、そうと認識しなくなった。


(そうか――いつもと同じ、なのですね)


「開くぞ」


 合図の声と共に、ついに重たい扉が軋みながら動き、魔力を含む油の渦が二人の前に姿を現す。

 シークは今日二度目、パパラは人生初。

 彼はまだ、手を握っていた。

 彼女が銃を構える、その直前まで、ずっと。




 永遠にも思えたし、刹那のようでもあった。


 ただ、彼を見ていた。彼だけを聞いていた。

 正確に目標の場所を伝えるため、互いの感覚を共有する。

 呼吸どころか心臓の音すらも、一緒になれと念じた。


 後はそう、いつも通り。

 狙い定め、呼吸を止めて一直線、思い込めて弾丸を放つ。


 絶対に生きて帰す、こんな所で終わらせたりなんかしない。

 自分はきっと今、このために生まれてきた。

 届け。胸の内に溢れるこの想いよ、ほんのわずかでも。


 声にならない叫びを、魂をありったけ込めて、乙女の弾丸を射出する。

 否。叫んでいたかもしれない。


 何度でも言おう。何度だって撃ち抜こう。



 ああ、だけどどうしても人の身には限りがあるのか。

 次第に視界がぼやけてきた。

 指に力が入らなくなってきた。

 姿勢は今、保てているのか?


 朦朧とする。誰かが自分を支えてくれている気がする。大丈夫、と背中を撫でてくれている。

 ならば大丈夫だ。だんだん意識が失せていくけれど、この人がそう言うなら絶対に大丈夫なのだ。


(あと一撃――これで確か、最後のはず――!)


 指に力を込める時、気合いのために血の滲む喉を震わせた、


「お慕いしています、チョーシーク様」


 バキュン。音が鳴る。反動はもう、感じない。


 隣の彼が、照れくさそうに笑って言った。


「今は、案外悪くない気持ちだ」


 そんな夢を、見た気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ