エーテルの日常
レント村での震魔討伐から数日、ようやく訪れた休日をルフェンは宿舎のベッドに寝転がりながら少しだけ持て余していた。
あれからフォルテに言われた言葉が何度も頭をよぎる。
彼女の口ぶりからすると、どうやら彼の力の秘密を掴んでいるらしい。だが、それを知ってしまうと二度と正しい道に引き返せないような気がしていた。
「僕は立派な冒険者になって、もっと大勢の人を救うんだ……もうあんな悲劇を繰り返さないために」
故郷の村の惨劇が頭をよぎる。
家族も何もかもを失ったはじまりの日、ルフェンにとっての冒険者としての原動力はそこにしかない。
遠い過去に置き忘れたモノを取り戻すことはできないだろう。ならば、あの時失われた命より多くの命を救うことでしか、彼が心から満たされる方法はなかった。
そのための手段をフォルテが知っているなら……堂々巡りの思考が少年の心を蝕んでいく。
「……やめやめ!」
何度考えても答えは出ない。
これ以上時間を無駄にしても仕方ないと悟ったのか、ルフェンは気分転換に街へ繰り出すことにした。
休日はなんだかんだ理由を付けて街を連れまわす姉弟子は、あいにく依頼で遠くの町へ出掛けているため数日は戻ってこない。
仕方なく独りで街をぶらついていると、通りの向こうに見慣れた後ろ姿が目に留まった。
「アンナさん!」
「あら、ルフェン君。一人でお出かけ?」
声を掛けられて振り向いたアンナは、いつもの制服姿に何やら大荷物を抱えている。
「休日なのに仕事ですか?」
「そうなのよ。平日は通常業務で忙しいから、備品の買い出しとかはどうしても休日に済ませたくて」
荷物の一つを代わりに持ちつつ、ルフェンは彼女の話を聞きながら、そういえば、いつ冒険者ギルドに顔を出してもアンナを見かけるな、と何とはなしに気付いてしまった。
目の前の女性は超人か何かだろうか。あるいは冒険者ギルドが超絶ブラックか。
「休まなくていいんですか?」
「大丈夫よ、こう見えて毎日冒険者の相手をしているから体力には自信があるの」
言いながら彼女は空いた片手でガッツポーズをしてみせる。見た目は華奢でとてもそうは見えないが、冒険者ギルドの受付嬢というのはやはり只者ではないのかもしれない。
そんなやりとりをしているうちに、二人はかつて知ったる冒険者ギルドに辿り着く。休日なので普段と比べて閑散としているが、それでも当直の職員の姿はチラホラと見かけることができた。
彼等の仕事が冒険者を陰から支えていると思うと頭が下がる。
「あれ? ルフェンさん?」
「エイミー? 何やってるの?」
不意に声を掛けられ振り向くと、見知った神官の少女がギルドに入ってくるところだった。いつもの戦闘用の神官服と違って普段着ではあったが、見慣れた大きなベレー帽だけは変わらず自己主張している。
休日なのに冒険者ギルドに何の用だろう。
「ちょ、ちょっと先生にうちの治癒術を見てもらおうと……」
「先生?」
「このギルドの救護室長がエイミーさんの治癒術の先生なんですよ。たまに修行してます」
アンナが補足説明してくれたが、彼女は時間があれば先生とやらに治癒術の訓練を受けているらしい。とは言え相手も忙しい身なので、休日くらいにしか時間が取れないのだとか。
さいわいルフェンは一度も緊急転送を使ったことがないので面識はなかったが、腕前こそ確かなものの気難しい変わり者だと聞いていたので、あまり厄介になりたくはなかった。
なんとなくではあるが、彼の師匠と同じ匂いがするのである。
「うち、サラトガさんやスイッチさんやルフェンさんみたいに強くないので、少しでも近付けるように特訓しないと」
「なるほど……でも、エイミーのお陰でみんな助かってるんだよ。いつもありがとう」
「そ、そんな……」
言われて少女は顔を真っ赤にしながら慌てふためいていた。
「うーん、ルフェン君は将来何人の女の子を泣かせるんでしょうね?」
それを見ながら、アンナは複雑な表情を浮かべながら小声で何事か漏らす。先程自然に荷物を持ってくれたのもそうだが、正義感から来るまっすぐな性格がそうさせるのだとわかっていても、無自覚に女の子の弱いところを突いてくるのは何かの才能だろうか。
まあ、一番身近な少女の気持ちに気付いてないあたり、間違いなく天然なのだろう。
この状況を見られたら確実にひと悶着起こしそうな人物のことを思い出し、アンナはホッと胸を撫で下ろす。
「そ、それで、ルフェンさんはどうして?」
「さっきそこでアンナさんに会って、ちょっと手伝いを……用は済んだからもう行くよ」
「あら、どうせならお茶くらい飲んでいけばいいのに……さっき運んでもらったお茶菓子もあるし、お礼くらいするわよ?」
その誘いはありがたかったが、ルフェンは他に用があるからと断っていた。あまり長いこと話をすると、先日のことを漏らしてしまわないかと危惧したのもある。
サラトガが違法震器を持っていたことや、紐なしであるフォルテと出会ったことは冒険者ギルドには報告していない。彼の正義感はそれが良くないことだと告げていたが、黙っている以外に穏便に済ませる方法もなかった。
それが皆で出した結論なのである。
そうして冒険者ギルドを後にしたルフェンは、街をぶらつきながら罪悪感に駆られていると、またもや通りの向こうに見知った人物を見付けていた。
彼なら相談に乗ってくれるかもしれないと声を掛けようとして。
「サラ――」
「おっと、静かに。騒ぐんじゃない」
いきなり背後から口をふさがれてしまう。寸前まで気配すら感じさせない手際、只者ではないと抵抗しようとした彼の目に飛び込んできたのは、やはりこちらも見知った人物だった。
「スイッチ? なんで……」
「いいから、声を出すな、気付かれる。ったく、ホントお前は目障りだな」
どうして彼がこんなことをするのかはわからなかったが、私服だろうか、いつものラフで派手めな装備と違って、かなり地味な格好に違和感しかない。
さすがに状況を把握できなくて混乱する。
「こんなとこで何してるの?」
「…………。
隠すと余計面倒なことになりそうだから言うけど、サラトガの旦那をつけてるんだ」
「尾行ってこと? どうして?」
やや躊躇いながらも小声で事情を話すスイッチに、ルフェンも思わず囁き返す。
なんとなく思い当たる節もあるのだが、あまり仲間を疑いたくはなかった。
「俺の正体には気付いてるか?」
「……たぶん、政府側の人間。実力的には青紐程度だと思うけど、そんな人間が偽装して冒険者やってるって事は、おそらく国家騎士の内偵者とか?」
「天然だと思っていたが、勘はいいのな。正解、国家騎士第16席、ジェイク・ハミルトンが俺の本名だ」
「二桁!? しかも十番台なんて、なんでそんなのがうちのチームに……」
心当たりは一つしかない。前々からサラトガを違法震器の出どころとして目を付けていたのだろう。
先日の時点で行動を起こさなかったということは、泳がせて主犯格の連中をまとめて一掃するつもりだったのだろうか。
ちなみに国家騎士はその実力に応じて順位が付けられており、ベルフラウなどの一桁は紫紐以上、二桁も青紐以上の実力者らしい。
あくまでも冒険者だったら、の話で参考程度にしかならないが、十番台ともなると相当な腕前なのは確かだった。
「僕たちに隠してたの?」
「じゃなきゃ内偵にならないだろうが。ったく、お前がいると本当に計算が狂う」
それをここで話してしまうということは、このあとルフェンを口封じするつもりか、あるいは事件解決の目途がついたのか。
「とにかく、お前は大人しく帰れ」
少年を追い払い尾行を続けようとするスイッチことジェイクだが、案の定というべきかルフェンもこっそりとあとからついてくる。
それをうんざりした表情で眺めながら。
「ついてくるなって言ってるだろ」
「そんなことを言われても……」
彼なりにサラトガのことが心配なのだろう。
尾行自体は素人とは思えない動きだから問題ないものの、結局最後まで追い払うことはできなかった。
やがて街を出たサラトガが街道から逸れて郊外の森に入り、そこにある人気のない廃墟に入っていくのを見届けてから、スイッチは謎の道具に合図を送る。
「それは?」
「通信機。一応国家機密なんだから詮索するな」
年下の少年に説明しながら崩れかけの廃墟の中を見通せる場所を探すが、先にルフェンが良さそうな樹上に陣取っていた。
「ここならよく見えるよ」
「はぁ、お前な……」
色々言いたい顔をするスイッチだが、半ば諦めたように太い枝に飛び乗る。確かに監視場所としては悪くない。
崩れた屋根から中の様子が見える。どうやらサラトガと数人の男が言い争っているようだった。
「やっぱりこんなことやめないか?」
「いまさら何を……お前も分かってるんだろ? このことが国家騎士にでもバレれば、俺たち全員冒険者資格を剥奪されてもおかしくないって」
「わかっている。わかっているが……ここに隠した大量の震器を売りさばくルートも確保できてないんだろ?」
「そのことはあの人も考えてくれてる。お前は黙って仲間に引き入れられそうな冒険者を見繕っていればいい」
「……いやだ、これ以上誰も巻き込みたくない!」
それでも食い下がろうとするサラトガに、相手の男が震器を向ける。どうやら仲間割れらしい。
殺されても死なないとはいえ、傷を負えば痛みもする。それに、冒険者同士で争うことに少年が憤ることは容易に想像できた。飛び出そうとするルフェンを抑えながら、スイッチは小声で説得を続ける。
「まだ動くな、あれだけじゃ決定的な証拠にならない」
「だけど……」
仲間が危険な目にあっているのに何もしないことなんてできない。
「せめて、増援が来るまで待て」
「……やっぱり、行きます!」
止める暇もあればこそ。
ルフェンが樹上から一瞬で男達の前に舞い降りる。そうして、サラトガを痛めつけようとした震器の一撃を黒鋼の刃で弾き飛ばしていた。
「な、なんだてめぇ!?」
「ルフェン!? どうしてここに?」
背後から驚いたような声が聞こえる。
目の前の男達も、突然の闖入者に目を丸くしていたが、すぐさま気を取り直し、震器を構えて襲い掛かろうとしていた。
「こいつ、確か震器砕きの……」
「所詮赤紐だ。構わねぇ、殺さない程度にやっちまえ!」
相手の男達は見たところ黄紐も混じっている。その上震器持ちとなれば、普通なら赤紐には勝ち目はない。
手に手に震器を構えて襲ってくる男達に、しかしルフェンも一歩も退かなかった。黒鋼の刃で震器を弾き飛ばし、あるいは直接核を打ち砕く。
やがてボロボロの床に膝をついたのは男達の方だった。
「こいつ、本当に赤紐か?」
「まずいな、このままじゃあの人に……」
言いかけた男の言葉が詰まる。殺気を感じて咄嗟に飛び退いたルフェンの立っていた場所に、次の瞬間、巨大な斧が突き刺さっていた。
「誰だ!?」
「今のを避けたか……確かにこいつらじゃ震器があっても勝ち目はないな」
「が、ガノフさん……」
ガノフと呼ばれた太った男は、しかし見た目に似合わぬ機敏な動きで斧を拾い上げると、容赦のない追撃を開始する。
防戦一方になりながらもルフェンが見たのは、その首に嵌った青い紐だった。
「青紐が違法震器取引に関わってるのか……」
少年が思わず歯噛みする。自分の憧れた冒険者の中でも上位側の人間、そんな人物が本来の役目も忘れて犯罪行為に手を染めているとなれば、憤るのも無理はない。
だが、実力的には相手の方が上、しかも手にした斧は震器らしく、当たれば致命傷は免れない。
「ははは、どうした? こちらを殺すつもりでかかってこい!」
「……くっ」
目の前の少年が人間相手に直接武器を振るうのを躊躇っているのを即座に見抜き、ガノフは無防備に懐を開ける。その瞬間を見逃さず斬り込んでいれば、あるいは一太刀くらいは浴びせられたかもしれない。
だが、ルフェンの心中には一瞬だけ迷いが生じていた。大男と戦った時はカッとなって腕を斬り落としてしまったが、相手が弱かったから辛うじて手加減が出来たのである。これだけの実力の相手に本気を出せば、どちらかが緊急転送されるのは間違いないだろう。
その隙を見逃さず、ガノフの斧が大上段から振り下ろされる。
「まったく、世話が焼けるな」
スイッチの呆れた声と共にガノフの右腕が吹き飛んでいた。放たれたのは只の矢ではない、おそらく震器の力によるものだろう。
だが、それでも。
「ちっ、他にもいたか!」
即座にもう一方の手で斧を握り直し、もう一度上段から振り下ろす。おそらく青紐ともなれば身体が欠けても戦える死なずの冒険者の特性を熟知しているのだろう。しかし、一瞬の間と利き手でないことの不利益は、ルフェンとの力量差を埋めるには充分だった。
刹那の斬撃が、斧に嵌った震魔の核を容赦なく粉砕する。そうして力を失った震器なら、対処法はいくらでもあるだろう。
「ちっ、拙いな……」
得物を失ったガノフだが、まだどこかに余裕を残していた。油断せず追い詰めようとするが、それよりも早く。
轟音と共に廃墟が揺れる。このままでは崩れ落ちるのも時間の問題だろう。
「な、なんだ?」
「あれは……」
ルフェンとサラトガが崩壊する廃墟から慌てて飛び出すと、そこにはM6級に達するだろう巨大な震魔が待ち受けていたのである。