鉛の魔女
サラトガの手に握られていたのは、間違いなく違法震器のようだった。
震魔の核が嵌った赤いナイフ、だが、それを使って抵抗するわけでもなく、がっくりとうなだれている。
それを心配そうにのぞき込むエイミーもオロオロすることしかできない。
「さ、サラトガさん?」
「力が欲しかったんだ……もっと強くなって、多くの人を守れるようになりたいと」
気持ちはわからなくもない。ルフェンも命と引き換えに魔女の力を手に入れている。
それに、彼は不必要に震器を振るうこともしなかった。違法は違法でも、あの大男のように短絡的ではないと少年は思う。
だが、どんな理由があっても許されるとは思えない。
「これは返す。だから、今回のことは見逃してくれないか?」
震器を差し出しながら、サラトガは少女に懇願する。だが、彼女は感心なさそうに長い黒髪を跳ね上げながら。
「そんなゴミどうでもいいのよ。そもそも、あそこは不要になった震器の保管場所だったし。まあ、あたし等にも面子はあるから、襲撃に関わった人間はこの場で八つ裂きにしてもいいんだけど……ここで殺してもあんたたち生き返るだけだから、面倒なだけなのよね」
紐なしの少女は心底面倒くさそうに吐き捨てる。死なずの冒険者に本気になっても仕方ないことは嫌というほど知っているらしかった。こちらから攻撃でもしない限り、本気で争うつもりもないらしい。
だが、そうなると問題点が一つ。
「じゃあそれ、どうすんだ?」
こちらもめんどくさそうにスイッチが言葉を切り出す。例の三人組がそうだったように、違法震器を仲間が持っていることを知っていれば、そちらも罪に問われることになるだろう。
彼は厄介事には関わりたくないというスタンスだったが、知ってしまった以上見逃すこともできない。
「そもそも、紐なしの倉庫を襲撃って……いったい誰と?」
紐なしは冒険者ギルドの後ろ盾を必要としない連中である。必然的に生き残れるのは相応の実力者ばかりだろう。
そんな連中から震器を盗み出そうとすると、当然ながら冒険者側も実力者を揃えなければならない。
「私も襲撃自体詳しく知らなかったんだ……ただ、黄紐の先輩から上手くいけば震器を手に入れられると言われて。でも、今にして思えばただの囮にでも使われたのかもな」
自嘲気味にサラトガが苦笑してみせるが、それが本当なら首謀者の尻尾は簡単に掴めないだろう。
あまり深入りしたくないのか、スイッチはそれ以上追求しようとはしない。ただ、何事か考え込んでいる。
一方、謎の少女はというと、パーティ内の揉め事など意に介することなく眼下のルフェンの方に関心を寄せていた。
軽やかに屋根から舞い降りると、くんくんと匂いを嗅ぎながら近寄ってくる。
「そっか、この気配……あなたも魔女ね? 珍しいわね……男の魔女なんて。でも、この感じ……」
彼女は訝しげな表情を浮かべているが、その発言に少年も食い付いていた。
「あなたも、って事は君も魔女なの?」
「そうよ、鉛の魔女フォルテ・マイン。あなたは?」
「黒鋼の魔女ルフェン・トルーガー」
「トルーガー? その名前、どこかで聞いたような……」
震器砕きの噂が紐なしにまで伝わっているのだろうか。
いずれにせよ、聞いていた印象より話の通じる相手のようだった。
「ちょっと、ルフェンさん! 相手は紐なしなんですよ!」
二人の会話を聞いていたエイミーがやたら警戒しながら少年の背後に隠れていく。当局からすれば間違いなく犯罪者である、あまり関わり合いになりたくないというのも無理はない。
だが、どういう経緯で冒険者ギルドに所属しない道を選んだのか気にはなる。
ただでさえ震魔との戦闘では命の危険があるのに、命綱である紐も付けずに震魔と戦うメリットは感じられなかった。
「君はどうして紐なしなんてやってるの?」
「紐付きにはわからないわよ。でも、その飼い犬みたいな生き方を否定するつもりはないわ……あの女の存在以外は」
そう言ってフォルテと名乗った少女は歯噛みする。誰の事かと聞こうとしたが、それを訊ねて答えてくれるような雰囲気ではない。
「まあ、あなたたちはせいぜい冒険者ごっこでもしてなさい。じゃあね」
「待って!」
嫌な事でも思い出したのか、機嫌を悪くして踵を返す彼女をルフェンが制止する。
「何よ、あんまり紐なしと関わってもロクなことがないわよ?」
「そうじゃなくて……さっきはありがとう。助かったよ」
「……ふん」
礼を言われることに慣れていないのか、フォルテは少しだけ気恥ずかしそうにしながら、ゆっくりと立ち去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、少年の背後に隠れていたエイミーも、それほど悪い人ではないのかなと思い始めていた。
一方、サラトガはというと、自分の隠し持っていた違法震器を眺めながら何事か考え込んでいる。そうして、何事か決意したように。
「ルフェン、こいつを砕いてくれ」
「……サラトガ?」
違法震器を差し出しながら、自分より年下の少年に頭を下げる。どうしたものかとスイッチを見ると、やれやれといった様子で肩をすくめてみせた。
ある意味証拠隠滅の共犯者になることも含めて、彼自身の判断に任せるということだろう。
「いいんですね?」
念を押すように確認する。
しかるべきところに流せば安くても家が建つ程度の代物、そう簡単に砕いていいものではない。
だが、サラトガの決意は固かった。
それを受け、受け取った震器を地面に置く。そこに、ルフェンの黒鋼の刃が抵抗もなく突き刺さる。
バキッと不快な音を立てて震魔の核が砕け散っていた。最初の時と同じく、欠片すら残さず消滅していく。
あとに残ったのは震器の残骸のみ。他に目撃者もない中、これだけなら証拠にもならないだろう。
「本当に震器を砕けるんですね……」
それを見ていたエイミーも、驚きと羨望が入り混じった表情で呟いていた。震魔の核を砕ける人間など初めて見たに違いない。
普段は敵対心を隠さないスイッチも素直に感心している。
問題があるとすれば……。
「今、何をしたの?」
「うわっ!? フォルテ……どっか行ったんじゃないのか?」
先程立ち去ったはずの少女が誰にも気配を悟られることなく傍らで覗き込んでいた。震器の残骸を眺めながら、何事か考え込んでいる。
「答えなさい! あなた、震器に何をしたの?」
「く、砕いただけだよ……」
「砕いた? 震魔の核を? どうやって?」
「魔女術の剣で……」
息がかかるほど顔を寄せて矢継ぎ早に質問を繰り出すフォルテにしどろもどろになりながら、ルフェンは辛うじて答えを返す。
さすがに紐なしにとっても珍しい現象なのだろう。
「噂の震器砕き……なるほど、あなたが」
やはり噂はギルド外にも届いているらしい。
だが、少女は腑に落ちないといったように。
「でも、あたしでもやれるかどうかわからないのに、この子程度の力で砕けるものかしら? そっか、あの時感じた気配……だとすると厄介な……いえ、面白いことになりそうね」
くすくすと笑いながら、彼女は目の前の少年の耳元に唇を寄せる。
「あなた、冒険者にしておくには勿体ないわね。どう? あたしのモノにならない?」
「な……?」
見た目の割には妖艶な……いや、魔女だから見た目通りとは限らないが、突然の口説き文句にルフェンは戸惑うことしかできない。
「それは僕も紐なしになれと?」
「まあ、そうなるわね」
「……断る。僕は真っ当な方法で強くなって、もっと大勢の人を救わなきゃいけないんだ」
少年の答えを目の前の少女は見越していたのか、少し不満そうにしながらも。
「そう、残念ね。でも、いずれあなたの力は連中じゃ扱いきれなくなる……そうなる前にあたしのところに来なさい」
そう言って鉛の魔女は再びその場から立ち去っていくのだった。
どういう意味かと尋ねる暇もない。
「ルフェンさん、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫、だけど……」
エイミーが心配そうに顔を覗き込んでくるが、フォルテの言い残した言葉は鉛のように重く、いつまでも彼の心に残り続けるのだった。