帰還
あの事件が起こった後、黄金の魔女エルドラは勿論、鉛の魔女フォルテの行方もようとして知れなかった。
しばらく街中には国家騎士の姿が目立っていたが、今は少しだけ落ち着きを取り戻している。
仮面の男の目的は何もわからない。しかし、少なくとも襲ってきた理由はわかる。
「父さんが……何か関係してるのか?」
念のためスイッチにも確認してみたが、詳しい情報は知らないようだった。いずれにせよ、自分の因縁にカティナを巻き込んでしまったのは間違いないだろう。
もしかしたら、フォルテなら事情を知っているかもしれないが、こちらから接触を図るのは躊躇われた。
そうこうしているうちに、エーテルへの帰還の日が訪れる。ルフェンはまだ自力では動けない姉弟子と共に馬車に乗り込もうとして気付く。
あの時、仮面の男から奪い返したペンダントを返しそびれていたことに。
「あ……これ……」
直接会うことはできなくても、スイッチに託すべきだったと後悔する。だが、懐から出てきたのはそれだけではない。
「手紙……いつの間に?」
見覚えのない手紙には、差出人としてSのイニシャルが刻まれていた。こういうことができるのはスイッチくらいだろう、馬車に揺られながら手紙を読むと、そこには彼が調べてきたらしい情報が綴られていたのである。
「ルフェン、お前の父親の情報についてわかったことだけをまとめる。
ディオス・トルーガーは元々震魔戦争で四人の英雄に協力した技術者の一人だった。その後の震器研究では第一人者と呼べるような人だったらしい。現在の王都の設計などにもかかわっていたらしいから、本来なら名前が残ってもおかしくない人物だったんだろう。
……父さんが? そんなこと、一度も言わなかったのに」
ルフェンの父親はどこからどう見ても普通の村人だった。確かに物が壊れたりすると近隣の村人が彼に頼っていたことはあったが、多少器用なくらいでごく平凡な一般人にしか見えなかったのである。
とても名前を残せるような人物には見えない。
「だが、ある日を境に彼は変わってしまった。震器の実験中に妻を失ったことをきっかけに、より高度な自律型の震器を作ろうとしたらしい。当然そんなことは無理だと言われたし、実際に何度も失敗してある時とうとう城を追い出されてしまった。その後の記録は残っていないが、もし、それからも研究を続けていたとしたら……すまない、今のは忘れてくれ。とにかく、エルドラの狙いはディオスの遺物かもしれない。くれぐれも注意してくれ」
注意しろと言われてもルフェンにはディオスが遺した物について心当たりはなかった。
当然、彼の故郷には何も残っていない。
馬車に揺られながら故郷の村の事を思い出す。真っ先に脳裏に浮かぶのはあの日の惨劇だったが、楽しい思い出もあったはずである。
だが、何故かもやがかかったように記憶がおぼろげになっていた。
父親は勿論、母親の事も妹のことも少しずつ薄れていっている。片時も忘れたことはなかったはずなのに、歳月がすべてを押し流していく。まるで最初からそんなものなかったかのように。
「ルフェン……」
「カティナ、起きたの? 寝てていいよ」
頭を押さえていると、目を覚ました少女が心配そうに少年の裾を掴んでいた。時折起きては彼の姿を見付けてしばらくすると安心して眠る……そんなことを何回繰り返しただろう。
万が一のために治癒師も同行しているが、ルフェンの姿が見えないと落ち着きがなくなるため、片時も離れることができなかった。
いつも強気な彼女がこうまで弱々しくしているとことさら不安が募る。
もしカティナに何かあれば、彼はどんな手段を使ってもエルドラを殺すだろう。それが例え冒険者としての道に外れることになっても。
それから数日、ようやく風の商都エーテルに帰還したルフェンは、そこで意外な人物と再会することになったのである。
冒険者ギルドの救護室、そこには震魔戦争の英雄の一人である天輪の癒し手レギーナと、もう一人、褐色の肌に黒髪の美女……黒曜の魔女ルワンダの姿があった。
「あんたが人里に出てくるなんて珍しいね」
「まーね、弟子のピンチだもの。連絡を受けて飛んできたのよ。それにしても、手ひどくやられたわね」
見た目は壮年の女性と若年の女性、かつて共に戦った二人の英雄が、今再び一つの目的のために力を合わせようとしている。
これほど頼もしいことはない。
「ルワンダ、僕……」
「あなたもめそめそしないの。ま、魔女の身体に関してはレギーナよりは詳しいつもりよ。大船に乗ったつもりで任せなさい」
普段は吞んだくれているくせに、こういう時だけは師匠らしく振る舞うのはズル過ぎる。
それでも、彼女の実力は間違いなく本物だった。
「さ、ルフェンさん……」
エイミーに促され、治療室を出る。
かつてスイッチがそうしたように、彼女もまた治療が終わるまで無言で傍にいてくれた。話したいことはいっぱいあったのに、今はただカティナの回復を祈ることしかできない。
治療は夜通し行われた。時折エイミーが手伝いのために走り回っていたが、それ以外は基本的に二人だけで施術している。
やがて朝が来る頃にはルフェンもここ数日の疲れからかうとうとし始めていたらしい。
肩を叩かれ慌てて飛び起きると、そこには先程まで施術していた二人が並んで立っていた。
「カ、カティナは?!」
「安心しな、あの様子なら元通り動けるさ」
レギーナの説明にホッとするが、続くルワンダの言葉には不穏なモノが滲み出ている。
「ただ、ちょっと体内に不純物が混じってたんだけど、完全に取り除くことはできなかったわ」
「それって……」
エルドラの攻撃の影響だろうか。ルフェン自身にも何か施されたような気がするが、それらしい痕跡はない。
「まあ、念のため対抗措置を施しておいたから、安心しなさい。むしろ強くなってるかも……まあ、使いこなせるかは本人次第だけど」
「ありがとう、本当にありがとうございます!」
いずれにせよ、カティナが助かったのは間違いなかった。
ルフェンが二人に礼を述べていると、両者は顔を見合わせ話を切り出す。
「さて、それじゃエルドラの事について話を聞かせてもらうかね」
「ここまで落ちぶれるとは、あいつも焼きが回ったわね」
「二人ともあいつのこと知ってるの?」
話しからしてイーゼルとも面識があるようだったが、どういう関係なのだろう。
三人はギルドの応接室に場所を変えて話を進める。
「奴とは震魔戦争時代の仲間さ。四人の英雄、その最後の一人、だった」
「だった?」
「震魔戦争終了後、あいつとイーゼルは袂を分かったの。あいつが黄金の魔女になったのはそのあとよ」
そして、それまでに何があったのかも事細かに教えてくれた。
「元々、あいつは旧王国の出身でね……聖灰の騎士と呼ばれていたの。イーゼルとは反りが合わなかったけど、戦場に出ればいいコンビだったわ。あの事件が起きるまでは」
「事件?」
「元々、あいつには仕えるべき主君がいた。旧王国の唯一の生き残り、エステル姫。だけど、当時はイーゼルもあんたみたいに青臭い若造だったからね。ちょっとしたピンチから仲間の制止を振り切って無茶をして、結果として彼女を死なせてしまった」
「そんなことが……」
イーゼルの若い頃の話は何度か本人からも聞かされていたが、その話は初耳かもしれない。
しかし、それはルフェンの置かれている境遇とも似ている。
無茶をして突っ走って、それで周りにいる誰かを巻き込んで傷つけてしまう。だが、少年にとっての憧れの人物さえも同じような取り返しのつかない失敗をしていたとは知らなかった。
「まあ、あれは私から見たら全滅の危険もあった状況だから責められないわね。でも、あいつはそれをいつまでも根に持ってたの。世界滅亡級震魔は何とか倒せたのだけど、その後の復興の途中、あいつは姿を消したわ。イーゼルは自分は王の器じゃないからって、エルドラを王にしようとしていたのだけど」
「あいつが王様?」
復讐の鬼と化した仮面の男の憎悪のこもった目を覚えている。今の状況では考えられないが、もしかしたら、彼が王になっていた未来もあったのかもしれない。
でも、そうはならなかった。
「まあ、私等もあいつを止めようとしたんだがね……今のあいつは全盛期のイーゼルの力を上回っている。三人の力を合わせて、ようやく勝てるかもしれないってところさ」
かつての英雄が三人集まらないと勝てないとすると、ルフェンの力では到底追い付けないかもしれない。
それをわからせるために、あえてこの話をしたのだろう。遠回しにこの件から手を引けと言われているらしかった。
不意にフォルテの顔が脳裏に浮かぶ。彼女ならあるいは……そう思ってしまう自分を戒めながら、納得したように頷いてみせる。
「ま、私としては好きにすればって思うんだけど、こんなことがあった後だから仕方ないわね」
「あんたは単に放任主義なだけだろうに……あんたに比べたらこの子は大人しい方さ」
イリーナが頭を抱えながら苦言を呈しているが、ルワンダは一切反省した様子はない。この二人も普段は反りが合わないタイプなのだろう。
その後、しばらくして目を覚ましたカティナと軽く会話を交わしてから、ルフェンは安心したようにギルドを後にし、久し振りにゆっくりと眠りに就くことが出来たのだった。