第5話 旅立ちへの第一歩
「魔物だ! イビルドール型の魔物が出たぞー!」
「村の中心近くへ逃げろ! 手の空いてる奴は先導を頼む!」
「戦える奴は武器を持ちな! 相手は魔物だ、手加減なんて考えるんじゃないよ!」
農業区へとたどり着くと同時に、俺と入れ替わるようにして住民たちが村の方へと逃げていく。すでに人もまばらになった畑の向こう側に向かう、村付きの用心棒やディーンさん直属の私兵さんたちに紛れて農業区の最奥へと向かうと、すぐに異音の原因を視界にとらえることができた。
「――グオオオォォアァァアアアァァァ!!!」
どす黒い瘴気めいた煙を口元から吐き出し、鮮血を連想させる、粘つく紅に輝く瞳で周囲を睥睨するのは、いびつな人型。半身が獣と肉塊を足して二で割ったような、醜悪極まりないシルエットを作っていたそれを人型と形容していいのかははなはだ疑問だったが、ともかくそんな奇怪な化け物が、目算でも5体ほど、農耕地の土を踏みながら雄たけびを上げていた。
そいつらの背後に、ねじ切られたような跡を残す切り株と、滅茶苦茶にひしゃげた木の幹が無数に転がっていることから、先ほど聞こえた倒木の音の正体も、こいつらの仕業とみて間違いないだろう。
「大丈夫か、お前ら!」
「ディーンさん!」
化け物たちの様子を観察していた俺の背後から聞こえた声に振り向くと、そこには俺が世話になっている恩人である、ディーンさんの姿。
普段から彼が着用している、サイズ感の狂う白いタンクトップではなく、前裾が短く後ろ裾が長い上着に、ぴったりとした長ズボンとブーツという、外行き用と思われる服装に着替えた彼の手には、鞘に納められた剣が握られていた。
俺のすぐそばまで駆け寄ってきた彼が、その手に持っていた鞘入りの剣を俺に投げてよこしながら口を開く。
「あいつらは「イビルドール」っていう魔物だ。人間が魔力溜まりの魔力に中てられて、魔物になっちまった存在だ。……見たとこ、まだ若かったんだろうな。おおかた、魔力溜まりのことを知らずにやってきた、よその冒険者だったんだろう」
魔力溜まりに中てられた人間、という言葉を聞いて、俺は人知れず背筋を凍り付かせた。
ディーンさんに助けられていなかったら、今頃は彼らと同じ存在と成り果て、こうして人里を襲う怪物になっていたのかもしれない、と考えると、怖気が走る。
「こうなっちまった以上、もうあいつらは討伐するべき魔物の一体だ。……不謹慎な話ではあるが、あいつらは元が人間だからそうそう強いわけじゃあない。お前さんの初陣相手には、おあつらえ向きかもしれないな」
そう聞いて、俺はようやくディーンさんの寄こした剣の意味を理解する。つまるところこれは、ディーンさんから俺に課せられた「卒業試験」なのだ。
ディーンさんが言う以上、イビルドールとは魔物の中でも弱い部類に入る魔物。こいつら相手に通用しないようであれば、冒険者としての道は限りなく遠のいてしまうだろう。
むろん、戦って旅をする以外の道もあるのかもしれない。だが俺は、己が身一つで戦えるようになるために、わざわざディーンさんに懇願して教えを乞うたのだ。その成果を発揮する機会を、みすみす逃すつもりはない。
「……やって、みます」
「おう、お前さんならやれるさ。――無事に倒せたら、祝いにその剣をくれてやる。頑張って来い!」
「はい!」
ディーンさんの激励に毅然と頷き、俺は受け取った剣を音高く鞘から引き抜く。
俺の掌中で無機質に輝くのは、相対するものの命を奪う、冷徹な刃。それを初めてこの手に握ったことに、俺は少しの興奮と恐怖を覚えた。
なにせ、俺の記憶の中に真剣の使い方なぞ存在しなければ、そもそも握った記憶すら存在しない。そもそも、人や生き物の命を奪うことなど、いち一般人として日本で生活している限り、そうそう経験することは無いのだ。
ゆえに俺は、命を奪うための武器の重さを、冷たさを、しっかりと身に刻み込むことにする。この先、幾度となく存在するであろう抜刀の機会を、その目的を、その意味を、決して違えないように。
この日俺は、戦う力を手に入れた。ならば後は、後悔と間違いをしないように、進むだけ!
「――行くぞッ!!」
力を込めた腹で押し出した、たった一言だけの自分への発破。それを皮切りに俺は地を蹴り、イビルドールめがけて走り出した。
ディーンさんから受け取った剣は、刀身の片側にのみ刃が付いている、いわゆる片刃の剣だ。近いところで言うならば、山賊や海賊といった野盗たちが物語の中でよく使っているサーベルが当てはまる。
しかし、俺が持っている剣には、そう言った粗野な趣は見られず、どちらかと言えば物語の正義サイドに位置する人間が携えているような、落ち着いた色調を持つ剣だった。一見すれば、古代日本で使われた武器である刀のようにも見えるが、どことなく流麗さをうかがわせる細身の刀身に反りはなく、どちらかと言えば直刀と形容する方が正しいだろう。
そしてこの剣は、見たところ刀身をはじめとした全体に、傷らしい傷が見受けられなかった。恐らくは、冒険者となる俺の為に、ディーンさんがわざわざ新品を宛がってくれたのだろう。
後でお礼を言わないといけないな、と胸中で苦笑をもらしつつ、俺は目前に迫ったイビルドールめがけて、挨拶代わりの一撃を叩き込んだ。
「ハッ!!」
自慢じゃないが、ディーンさんのもとで鍛錬を積んでいたこの一週間のおかげで、俺の剣術レベルは新米としては十二分のレベルにまで鍛え上げられている、という自覚がある。それだけ自分のうちに才覚があったのか、はたまたディーンさんの教えが良かったのかは不明だが、ともかく俺は一週間の鍛錬の分、確実に強くなっているのは明白だった。
だが、流石に魔物というのは、そんな付け焼刃程度の腕前で軽くいなせるような代物ではなかったらしい。
俺の目から隠すようにして持っていた槍の柄を、俺が振るった剣の軌道にすべり込ませて、イビルドールが俺の剣を受け止める。そのまま腕力に任せて槍が振るわれると、俺の一撃は事もなげにいなされてしまった。
続けざまに、今度は俺の腹を貫かんとイビルドールの槍が迫る。ぎらつく切っ先を目前にして、しかし俺は努めて冷静に捌いた。二度、三度と繰り出される刺突を、足さばきと上体反らしを駆使し、最小限の動作で攻撃を回避して、俺は一度仕切り直すために、大きく後方へと退避する。
――もっとも、余裕があるのかと聞かれれば、その質問には否と答えなければならない。鍛錬のうちに慣れたと感じていたのは単なる思い込みだったとまざまざ実感するその攻撃の鋭さに、俺は内心で冷や汗をかいていた。
目の前の異形の怪物が発する、無音の圧迫感。殺気とも、プレッシャーともとれるその強大な存在感に、俺は半ば呑まれかけ、気おされていた。
だけど、ここでたじろいでいては始まらない。所詮雑魚、と形容されるこいつらに気迫で負けるようでは、この先一人で旅することもままならないと、自分を鼓舞して食い下がる。
「ガアアァァアアァァァ!!」
「っ、ぅお?!」
直後、イビルドールが身の毛もよだつ雄たけびを上げたかと思うと、握りしめていた槍を掌中でくるりと回転させ、まるで陸上選手がやるかのごとき挙動を以て、俺めがけて槍を投擲してきた。
突然のことに反応が遅れ、あわや直撃コースか――と肝を冷やしたが、どうにか寸前のところで回避に成功する。が、わずかに回避が遅れてしまったらしく、身に着けていた布服が胸元付近の布を喪失してしまった。
「ガアァァッ!!」
「っぐ……!」
切り裂かれた部分を気にする暇もないままに、今度はイビルドールが拳――異常発達した鋭利な爪を振りかぶりながら、俺めがけて突進してくる。体勢を崩したままの俺に受け止めるだけの余裕はなく、そのまま無様に地面を転がる羽目になってしまったが、おかげでイビルドールの爪を回避することはできた。
「このッ!」
そのままゴロゴロと地面を転がってイビルドールの懐へともぐりこみ、槍と爪のお返しに、胸ぐら付近へと蹴りをお見舞いする。鈍い衝撃にたたらを踏んで後退するそいつめがけて、今度は俺が攻勢に入った。
「はああぁぁぁッ!!」
呼吸に合わせて、右へ左へ鋭く剣戟を繰り出す。
ディーンさんに教わった戦術は、回避と攻撃の動作を同時に行い、相手の攻撃をかわし、受け流しながら、的確な一撃を以て相手を打ち倒す、いわば柔の剣だ。必要以上の力を用いずに、最小限の動作と力だけで戦うそれは、今だ腕力に乏しい俺の戦闘スタイルには、十分に合致してくれている。
非常に有用な技を惜しげもなく伝授してくれたディーンさんに、何度目かわからない感謝を心の中で呟きつつ、俺は攻勢をさらに強めた。
「ハッ!」
再び、今度はケンカキックの要領で放った蹴撃。それはイビルドールの肩口付近へとヒットして、相手の重心を崩す一撃となった。
ひょっとすると、俺は蹴り主体で戦った方が強いのかもしれない。そんなことを考えてしまうレベルの脚癖の悪さに内心でひきつり笑いを浮かべながら、俺は腰だめに構えた剣を、イビルドールめがけて振り抜いた。
「らああぁぁぁぁッ!!」
バランスを崩した相手めがけて叩き込んだ、全身全霊の一閃。ナナメ右上へと袈裟懸けに振るわれた鋼色の軌跡は、吸い込まれるようにイビルドールの腰あたりを捉えて、そのまま肩口までを一文字に切り裂いた。
声とも音ともつかない、形容しがたい断末魔の悲鳴を上げて、イビルドールの身体がぐらりと揺らぎ、切り裂かれた場所から真っ二つになり、やがて緩慢な動作で地に倒れ伏した。
土煙を巻き上げて倒れたイビルドールは、やがてその身体をどす黒い瘴気に変えて、空気へ、大気へ、大空へと溶けていく。
その光景を見つめながら、俺はゆっくりと血払いの動作を行ってから、初陣を共にしてくれた愛剣を、音高く鞘へと叩き込んだ。
***
緊張の糸が切れ、俺は細くため息を吐き出す。ふと手元に目を落とすと、少しばかり剣を握っていた手が震えているのが分かった。
弱い部類の敵だったとはいえ、俺にとっては初めての魔物であり、初めての戦闘。そして、初めて命の駆け引きを行った相手である。緊張に身体が硬直しているのもむべなるかな――なんてことを考えていると、不意に背中をばしこんと叩かれた。衝撃の強さと叩き方ですぐに予想できた通り、振り向いた先に居たのはディーンさんである。
「よう、お疲れさんエイジ。見物させてもらったが、中々いい戦いっぷりだったじゃないか。正直言って、期待以上だったぜ」
「ありがとうございます。ディーンさんの指導のおかげですよ」
ねぎらいの言葉に感謝の言葉を返し、俺は小さく頭を下げる。
こうして戦える力を振るえるようになったのは、ひとえに鍛錬に付き合ってくれたディーンさんのおかげに他ならないのだ。だからこそ、俺は最大限の感謝を言葉にしたためる。
「それと、この剣もありがとうございました。……わざわざこんなものまで用意してもらって、本当になんてお礼を言ったらいいか」
「うん? あぁ、気にするな。特訓もその剣も、俺がやりたいと思ったからやったんだ。むしろ、暇つぶしになったから逆に感謝したいくらいだぜ」
そう言って、再びがははと豪快に笑うディーンさん。その笑いや表情から一切の邪気が感じられない、まるで純粋な子供の様に見える彼が、俺の目には少しだけ輝いて見えていた。
「まぁ、礼を言うんならお前さんの目的が達成されたときにでも取っておいてくれ。――ともかく、ここからが本当の出発なんだ。せいぜい気張って行けよ、エイジ!」
「はいっ!」
そう言って再び背中を叩いてくる彼の言葉を受けて、俺――エイジ・クサカベは、改めてこの世界で生きる覚悟を決めるのだった。
***
「……よし、こっちは準備できてるぞ。エイジ、服はどうだ?」
「ばっちりです。……本当、何から何までありがとうございます」
イビルドールの騒ぎがあってから、丸一日が経って。
結局のところ、報告書の作成や村の後始末に追われることとなった俺たちは、一日遅れでグレセーラへと出立することになった。その間、ディーンさんは俺がイビルドールによって服をダメにされたことをきっかけに、冒険者としてふさわしい格好になるべく、新たに服を見繕ってくれてることとなったのである。
各種のダメージに強い糸で織られた、普段着としても使えるチュニック型の布鎧に、上着と同じく丈夫な素材で作られたインナーシャツとズボン。そして鞣した皮で繕われた、滑り止め効果もある指ぬき手甲とブーツが、俺にあてがわれた新たな服装だ。チュニックが翻らないように巻かれた腰のベルトには、ディーンさんからもらい受けた愛剣が、鞘に収まった状態で取りつけられている。
「動きやすさ重視で、ある程度保険が効くような構成」という要望を受けて、ディーンさんが用意してくれた一品だ。値段はあえて聞いてないが、流石に消耗品である以上値が張ることは無いだろう。無いと思いたい。
「では、我々はこれよりグレセーラへと帰還する! 兵団員諸氏、各々の最善を以て任に着くように!」
『はっ!』
私兵さんたちに交じって、俺も威勢よく返事を口にする。取り決めの通り、俺はいち護衛としてディーンさんと共にグレセーラへと赴くのだ。
「それじゃ、しっかり頼むぜ、エイジ!」
「はい、任せてください!」
どこか挑戦的な笑みでサムズアップを送ってくるディーンさんに、俺もまた笑みとともにサムズアップを返して、ゆっくりとヘルトミアを出るのであった。