第3話 現状確認
自己紹介の後、俺は拾ってもらったことに感謝を述べるとともに、どうしてあのような深い森の只中に居たのか、といういきさつを、正直に話すことにした。
彼らから聞く話の中には聞かない単語もいくつか入っていたため、信用させるためと言って嘘をついても。どこかで必ずボロが出る。それに、死地から生還して初めて出会った人間である彼らの信用を損ないたくないので、俺は知りえる現状を、洗いざらい全部告白することにしたのだ。
自分が日本と言う国で生まれ、日本で育った、日本人であること。
気が付くと、全く覚えのないあの森の中で倒れていたこと。
森の中の光景も、二人がちょくちょく挟んでくる単語にも、心当たりがないこと。
何が在ったのかを考えているうち、森の中でオオカミに遭遇し、必死に逃げた結果あの場に倒れ伏していたこと。それをすべて、彼らに話していた。
二人は興味津々、と言った感じで俺の話に聞き入ってくれた。そうして、一通りの経緯を聞き終えたディーンさんの口から出た言葉は――
「なるほどな。お前さん、異世界人ってことか」
という、正気を疑うような一言だった。
異世界。言葉通り、自分の知っている世界とは、異なる次元に存在しているであろう世界のことを指す言葉だ。
基本的には量子力学だのを専攻している人間が使うような単語だが、それ以外にも古くから異世界を題材にしている分野がある。いわゆるアニメや漫画、ライトノベルなどの創作物だ。
異世界を題材にした作品はたくさんある。剣と魔法のファンタジーに召喚されて、仲間と共に世界征服を企む悪の魔王を打ち倒したり、SF世界に迷い込んで、人型ロボットを操るエースパイロットとして名を馳せたり、はたまた荒廃した未来の世界に放り出され、過酷な世界で仲間たちと共に生き抜いたり……例を挙げれば枚挙にいとまがない。
そういった題材を扱う作品は、ことライトノベルと呼ばれる中高生向けの小説に多かった。俺もまた、高校二年生と言う身の上なこともあって、暇を見つけては近所の図書館に入り浸り、蔵書してあるライトノベルを片端から読み漁るのが趣味だったのである。
だからこそ、目の前の二人がさも当然のごとく「異世界人」という単語を繰り出したことが、衝撃的でならなかった。創作は所詮創作であり、現実にかなうものではない。現実にそんなことを宣うのは、空想と現実をごっちゃにしてしまったような可哀想な人だけだろう――そう考えているからだ。
しかして実際、本当にこの世界が異世界だったらと考えると、つじつまの合う部分はいくつも生じてくる。
俺があんな森の中で倒れていたのは、何らかの超常的な力がはたらいて、この世界へと引き込まれたから。
森の中の木々が、広葉樹とも針葉樹ともつかない種別のものだったのは、世界が違うがゆえに根本的な成り立ちが異なるから。
あれほどに森が広大だったのは、大手の伐採業者もおらず、危険な生物たちが闊歩するが故手つかず、ないしは入り口付近だけを伐採しただけで放置されていたから。
発見できたのはこの位だったが、それでもここが「地球とは違う場所」だということは、中の中な成績である俺の頭でもよくよく理解できた。
で、なんでそうすんなりと「異世界人」なんて単語が出てきたのかと言うと、どうやらこの世界――ディーンさんらの言葉を借りれば、この世界は「エルフラム」と言うらしい。かつて、この世界を破壊せんと君臨した存在、こと邪神を打ち倒した英雄の名を取って、そう呼ばれているそうだ――には、そう言った「異世界からの来訪者」という現象は珍しくないのだそうだ。
老若男女の区別も時期季節の区別もなく、本当に唐突に、何の前触れもなくこの世界へと現れるのが、異世界人の大きな特徴らしい。だからこそ、いきなり森の中で俺が倒れていたところを発見した時、うすらとその可能性には思い当たっていた――と言うのは、ディーンさんの弁だ。
都合がいいことこの上ないな、と一瞬考えてしまったが、世界が違えば理屈も常識も違うのは当たり前。なので、異世界人云々の下りに関しても、「そういうこと」と言うことで流してしまうことにした。あんまりあれこれ考えるのは性分じゃないのである。
そんなこんなで、一通り俺の身の上についてを話した後、今度はディーンさんの口から、この屋敷に厄介となることになった経緯を聞かされる。
なんでも、俺を見つけてくれたのはディーンさん本人ではなく、彼の狩っている猟犬――狩人が狩りに赴く際、獲物を追いたてたり、連携して獲物をしとめるために使用される、狩猟用に調教された犬のことだ――だったらしい。
いつものように、仕事の息抜きとして趣味にしている狩りへ出かけたところ、急に何かを感知して走り出した猟犬を追いかけていた結果、「魔力溜まり」と呼ばれる場所で、俺が倒れていたのを発見。足を中心に酷い怪我を負っていた俺をそのまま救助して、この屋敷まで運んでくれた――というのが、事の真相だそうだ。
魔力溜まり、というのは、空気中に存在している「魔法」を使うためのエネルギーであり、魔物と呼ばれる凶暴な生命体の力の源となっている「魔力」が、人体に毒となるレベルで密集し、特異な領域に変化した場所のことらしい。
魔力は普段、そのエネルギーを生かして道具の動力にしたり、はたまた魔法を行使するためのエネルギーとして活用され、古くから生活を豊かにするために使われているらしい。
だが、許容量を超える魔力を浴びた生き物は、「魔物」と呼ばれる異形の姿となり、人をはじめとした生き物を襲う怪物になってしまうそうだ。特に、魔力溜まりの影響を受けたとなると、その症状の進行も異常なレベルで早まってしまうらしい。
そんな魔力溜まりの中で倒れていた俺を救い出し、治療を施してくれたディーンさんの人の好さに、改めて敬服してしまう。
何せ、一歩間違えれば自分だって生命の危機に晒されるような場所に、自ら踏み込んでくれたのだ。感謝こそすれ、バカと笑う無礼を働くようなことは、俺にはできなかった。
「……本来、魔力溜まりの中には行っちまった人間は、元々の生命力の弱さもあって、まず助かることは無いんだ。本当に、お前さんが助かったのは奇跡っつっても過言じゃないかもしれんな」
「ディーンさんが行動してくれたおかげです。本当、ありがとうございました」
「人として当たり前のことをやったにすぎんさ。ちょっとでも助かる確率があるんなら、助け出すのが俺の信条だからな。……ところで、足以外の身体の方はなんともないか?」
言われ、はてと首をかしげる。特に異常がないことを伝えると、ディーンさんが何やら神妙な表情で顎をさする。
「なにせ、魔力溜まりから生還したって言う前例がほとんどないからな。もしかしたら、俺たちも知らん後遺症が出てる恐れがあるんだ。……本当に、なんともないな?」
「はい、身体の方は何も。……あ、顔とかは何ともなってませんか? 自分じゃ確認できなくって」
「うん? あぁ、見た限りじゃ問題はないな。……シリウス、手鏡はあるか?」
「はい、こちらに。どうぞ、エイジ様」
「ありがとうございま――――」
シリウスさんが差し出してくれた鏡を受け取って、その中をのぞき込みつつを言おうとして――俺は言葉を詰まらせた。
鏡の中に居る俺の容姿は、記憶に残っていた俺のそれと、「ほぼ」すべてが一致している。少々不健康そうな顔色と、平均かそれを下回る程度に肉のついた、標準的な日本人男子の背格好。墨をしみこませたように真っ黒な髪の毛は、没個性的「だった」俺が持つ、数少ない俺のトレードマークだと言っても過言ではないだろう。
しかし、俺の覗く鏡の向こうに居る俺。その「瞳の色」だけは、記憶の中に居る自分とは、決定的に異なっていた。
「……あの、ありました。影響のあるところ」
「ん、何処だ?」
「目です。――俺の目の色、変わってます。感情的な意味じゃなくて、物理的、虹彩的な意味で」
そう、本来ならば髪の毛と同じように、墨のしずくの様な漆黒に染まっていた俺の瞳は、全く見る影もないほどに鮮やかな「緑色」へと、変色していた。それも普通の緑色ではなく、鏡に反射する天井のライトに照らされ、淡く輝く宝石の様な、非常に美しい翡翠色に変色していたのである。
狐につままれたような顔をする二人をしり目に、俺は目の錯覚ではないのかと疑問に思いながら、色々なことを試してみる。が、瞬きをしても、手で隠しても、強く目を瞑ってみても、瞳の色は変わろうとしない。ずっと変わらず、輝く緑色のままだった。
「……本当に、変わっているのか?」
「は、はい。黒から、緑色に変わってます」
はっきりしている事実を端的に告げると、ディーンさんは再び顎に手を添えて、うーむと唸り始める。
「……前例がないからはっきりしたことは言えんが、不思議なものだな。まるで元からそうだったみたいだ」
「確かに、変化があったとは思えないほどに綺麗です。魔物の温床である魔力溜まりの影響を受けたとは、とても思えませんね」
シリウスさんの送ってくれた賛辞に、ちょっと照れくさくなって俺は再び鏡に目を落とす。
確かに、俺の瞳の鮮やかさは、ちょっとした宝石と比べても遜色ないレベルだ。まさしく宝石をはめ込んだ、という表現がよく似合う、どことなく人ならざる光を持ったその瞳に、しばし俺は見惚れていた。……いや、ナルシストというわけじゃない。断じて違う。
「むぅ……いや、考えても仕方ないことだ。お前さんが魔物にならずに生きているのならば、それで良しとするか」
しきりに独り言を呟き、何ごとかを考えていたディーンさんが、不意にがしがしと頭を乱雑に掻いてから、そう結論付けた。どうやら、俺の身に起こった変化については、最終的に気にしないことにしたらしい。俺としてもわからないことだらけなので、その方が色々と助かった。
「……さて、エイジ。ちょっと気になっていたんだが、お前さんは異世界から来たんだよな? だったら、住むところも無いんだろう?」
すっぱりと切り替えたディーンさんの質問に、俺は面食らいつつも、はっきりこっくり頷いた。
俺の容姿変化だとか、魔力溜まりの影響だとかのゴタゴタですっかり忘れていたのだが、現在俺が抱える問題の一つに、保証されていない俺の身柄という物がある。
ここがファンタジーな世界だということは、先ほどディーンさんが話してくれたこの世界に関する情報や、それ以前に見てきた出来事、それに「魔力」という単語から、ある程度の推察はできた。しかし、だからといってこのまま浮浪者として過ごしていけるかと言われれば、そうは問屋が卸さない。
世界として回っている以上、この世界にもこの世界なりの秩序は存在しているはずだ。その秩序から外れて生きるのは、すなわち当たり前に存在する、人としての人権や、身の安全が保障されないということに他ならない。元の世界へと帰還するための手立てもない以上、この世界で生きていくうえで、それだけはあまり好ましくないのは明白だった。
とはいえ、現状俺が頼れる人間と言えば、目の前にいるディーンさんたち以外に存在しない。そのことを彼らもわかってくれているようで、ディーンさんが白い歯を覗かせてニカッと笑ったかと思うと、俺に質問してきた。
「お前さんさえよければ、この国の王都へ行かないか? 一人で行かせるわけにもいかんし、この国での俺の仕事が終わってからだから、すぐに行ける訳じゃない。一週間ほど待ってもらうことになるし、その間はここに居てもらうことになるがな。王都なら、斡旋できる職はいくらでもあるし、俺もお前さんの身柄を保証してやることができるが……どうだ?」
そうして持ちかけられた提案は、俺の予想をはるかに超えて、要望を満たしてなお余りあるようなものだった。あまりにも親切が過ぎるその提案に、助けてくれたことを踏まえても、不審が募る。
「……提案はすごくうれしいです。でも、そこまでするメリットは貴方にあるんですか?」
確かに、俺は足を怪我していることに加えて、この世界のことを何も知らない身の上。右も左もわからない異世界で、今すぐ身一つで生活していけるかと言えば、とてもじゃないができない、というのが現状だ。なので、保護を受けられるのは願ったりかなったりと言ってもいい。
しかし、口ぶりから推察するに、彼はこの国の中でもかなり高い身分を持っていることは明らか。そんな人間が、これほどまでに俺のことを気にかけてくれるなど……と、どうしても裏を勘繰らずにはいられなかった。
何かあるんじゃないか。そんな不安と不信を勝手に募らせていると、不意に俺の背中めがけて、ばしこーん! という豪快な一撃が飛んできた。思わずむせてしまいそうになるその一撃は、、間違いなくディーンさんのぶっとい腕から放たれた一撃。
「げふっ!?」
「がっはっは! まあ、そう疑う気持ちは分からんでもない。だがな、これは俺の純粋な厚意、っていうかただのおせっかいだ! お前さんみたいな森の中を裸足で走る大馬鹿野郎には、ちょっとばかりこの世界の常識を教えてやらなくちゃならんからな! ここに泊めるのは、そういう意味もあるのよ!」
がっはっは、がぐわーっはっは、になりそうな、そんな豪気な笑い声をあげるディーンさんにあっけに取られていると、こっそりとシリウスさんが俺に耳打ちしてくる。
「申し訳ありません。旦那様は非常に奔放なお方でして、何かにつけてやりたいことをやらないと気が住まない性分なのです。きっと今回も、エイジ様がお考えの様な感情は、まったく考慮していないのかと……」
その表情は申し訳なさこそあれど、俺に対する悪感情といったものは、全くといいほど存在していなかった。
きっとこの二人は、貴重な検体を保護できるだとかいう打算などは無く、本当に、純粋に、俺のことを想ってくれているのだろう。豪気に笑うディーンさんと、優しくはにかむシリウスさんの瞳が、何よりもその事実を雄弁に物語っていた。
「――――ありがとう、ございます。それじゃあ、お言葉に甘えて、お世話にならせていただきますね」
「おうよ。お前さんみたいな礼儀正しくて物分かりもいい奴なら、いつでも歓迎するぜ、エイジ!」
ひょっとするとこの世界は、俺が思っているほど複雑な世界ではないのかもしれない。そんな感想を小さく抱きながら、俺は差し出された大きな手を、がっちりと握り返した。