第2話 闇の先の邂逅
2017/10/21…一部の文字数を削って、読みやすくなるよう改稿しました。ストーリーに関する変更はありませんので、ご理解とご了承をお願いします。
「……っつ、ぅ…………?」
うめき声が、自分の耳に届く。まるで他人のものかと思えてしまうほどに弱弱しく、低い唸り声だったが――それは間違いなく、自分の声だった。
そうして、俺は初めて、瞼の向こう側から視界に届く光に気が付く。うすらと目を開けて、柔らかな光を視界の向こうに見とめると、それはどうやら人工物らしい、角柱型のライトだということが分かった。
幾ばくかの間を置いて、疑問が鎌首をもたげる。
俺は確か、見たこともない森の中で目を覚ました後、狼と思しき生物に追いかけまわされて、倒れてしまったはず。なのに、どうして俺の視界には、人工物らしきライトが映っているんだろうか?
疑問を抱いたまま、ゆっくりと身を起こした俺の視界に入ったのは、一面樹木だらけの森林の只中――ではなく、板張りの天井と、それを支えるシックな色合いの壁。そして俺の身体にかぶせられていたと思しき、清潔感あふれる真っ白い布団という光景だった。
「……あ、れ?」
そこでようやく、疑問が言葉となって漏れ出る。
周囲をぐるりと見渡してみるが、周辺にあったものと言えば、何処も同じ色合いの壁と天井に、落ち着いた色合いのカーペットが敷かれた床。漆塗りと思しきいくばくかの調度品がいくらか置かれてはいたが、それ以外に特筆するものは、何もなかった。
目線を下へと落せば、そこに在るのは先ほども見えた、真っ白い敷布団。俺が起き上がったことでぱたりと二枚折になっているが、汚れらしい汚れは一つも見受けられなかった。
部屋らしい内装と、敷布団。二つのキーワードを掛け合わせて――ようやく、俺は「どこかの家で寝かされていた」という事実を、認識するに至った。
幾ばくかの後、俺の口から細く、安堵の息が漏れ出る。これがもしハリボテで、扉の向こうはまだ森でした、とかいうたちの悪いドッキリだったら、俺はショックで死んでしまうかもしれないな……なんて余裕たっぷりな思考を展開しつつ、俺は改めて周囲の状況を伺った。
木造らしき部屋の内装は、持ち主の趣味が多分に反映されているのか、落ち着いた渋みを帯びる色合いに統一されている。シンプルながらも質の良さそうな調度品や、俺が寝かされていたベッドなんかを見るに、ただの山小屋などではなく、少なくないお金がかけられた家――それも屋敷の様な、そんな雰囲気を感じ取れた。
ベッドの頭側に存在した窓の様子を伺うと、外はすでに茜の色に染まっている。光も和らいだ夕日を取り込む部屋の中は、白色蛍光灯の無機質な明かりとは何処か異なる、ほのかな温かみを持ったライト共々、ゆったりとした光に照らされていた。
「……どう見ても、人の家だよな」
ぐるりと視界を回し、現状の確認を終えた俺は、誰に聞かせるでもなくぽつりとつぶやく。その胸の内には、少なくない疑問があった。
そもそも、俺が居た場所と言えば、人の手も入っていない広大な森林の只中である。野生の狼が住んでいることを考えると、そうそう近くに人の住む場所はないはずだ。しかして実際、今俺が居るのは間違いなく人の手で作られた家屋の中。……常識的に考えるならば、倒れていた俺が誰かに助けられた、と考えるのが妥当か。
もしかすると、俺が気付かなかっただけで、案外と近くに人里はあったのかもしれない。ともあれ、ベッドの上でのんびりと考え毎ができていることから、命の危機からは脱したと言ってもいいだろう。
しかし、それで問題が解決したかと言われれば、そうではないのが現状である。もう一つ、俺のいるここがどこなのか、という疑問が残っているのだ。
もっとも、そちらに関してはすぐに確認ができる。目の前に存在しているベッド付近の窓から、外の様子を覗いてみればいい。ついでに、俺が森の中で考えていた疑問にも決着がつくはずだ。
そう考えて、俺はベッドから抜け出そうと行動を開始した――その直後。
「い、つつつ――ッ!?」
動かそうとした足から走った痛みが、俺の行動を阻害した。万力か何かで締め上げられたかの如き、軋むような強烈な痛みに上半身だけで悶えていると、暴れたせいか掛け布団がめくれ上がって、俺の足が外気に晒される。
めくれ上がった寝間着らしきズボンから覗く俺の足は、幾重にも撒かれた真っ白い包帯で、びっしりと覆い尽くされていた。ほのかに漂ってくるツンとした刺激臭から察するに、何らかの薬か消毒液がしみこんでいるらしい。
確かに、俺の足は酷使したおかげでボロボロの状態だった。悪路をひたすらに走っていたことに加えて、障害物などつゆほども気にしていなかったのはよく覚えている。ということは、足全体が打撲だとか、下手をすれば足全体裂傷まみれだとか、そんな可能性もあるかもしれない。なんにせよ、この状態では多分に見積もっても数日は身動きがとれないだろう。
そんなことを考えていると、不意に俺の背後――ベッドの足元側にある窓とは正反対の、足元側に在った木製の扉が、トントンと控えめなノック音を室内へと伝えた。直後、木材と金具の古めかしい軋みを響かせながら、ゆるりと扉が開かれる。
廊下と思しき扉の向こうから入ってきた人物は、穏やかな表情と小ジワの目立つ顔に、銀髪をオールバックに纏めた、初老の男性。黒地にあしらった金の装飾が優雅さを引き立てる燕尾服を着用しているその様は、誰がどう見ても「執事さん」を連想させる、そんな立ち振る舞いだった。
その初老の執事さんらしき人物は、俺が起き上がって自分のことを伺っているのに気付くと、わずかに驚きの表情を見せたものの、すぐに柔和な笑みを浮かべる。
「おや、お目覚めになりましたか。……お体の方は、なんともありませんか?」
問われ、俺はとっさに頷きかけたのを止め、小さく自分の足を指さした。
「え、っと、足が動かせないくらいに痛いです」
「ああ、まだ完治しておりませんからね。……少々お待ちくださいませ。治療具を取ってくるついでに、旦那様を呼んで参ります」
それだけ言い残すと、初老の執事さんは小さく頭を下げて、再び扉の奥へと引っ込む。遠のいていく足音と、彼の言葉から察するに、旦那様――要するにこの家の持ち主である人間のところに行ったのだろう。
だが、今重要なのはそのことではなく、俺が相対していた人物の容姿だ。紛れもなく「執事さん」と形容できるような格好の人が居ることを鑑みても、どうやらここは俺の推察どおり、どこかに存在する屋敷の一角だったらしい。
知らずのうちに、俺の口からは安堵のため息が漏れる。どうも、ここがもしまだ森の中で、扉一枚隔てた向こうはまだ緑の世界なのではないか……などと、自分でも無意識のうちに不安になっていたようだ。ともかく、あの好々爺然とした執事さんの態度から察するに、取って食われる訳ではないだろう。無いと思いたい。
しかし、彼の存在を鑑みるに、寝込んでいた俺の世話をしてくれたのは、あの人かあの人に近い人間なのだろう。見ず知らずの行き倒れにそこまで気を回してくれる人は、いったいどんなお人よしなのだろうかと思う反面、そこまでやってくれる人情に、ひっそりと温かさを感じていた。
そんな一人問答を胸中で繰り広げていると、不意に再び扉が開く音が部屋に響き渡る。もっともその音は、先ほどの静かなものとは打って変わって、ドバン! という効果音が付きそうな大音響だったが。
「気づいたってのは本当か! おぉ、本当だ!」
そうして入ってきたのは、人の良さそうな執事さんとは対照的な、眼力だけで人を殺せそうな強面の男性。丸太みたいな、という形容がよく似あう、分厚い筋肉を纏った太い腕をはじめとする、筋骨隆々としたその体躯。あまり手入れをしているとは言い難いボサボサの短い茶髪と、伸び放題な顎髭を蓄えたその姿は、胸板の自己主張が激しい白いタンクトップも相まって、いわゆる建築業の人の様な、そんな雰囲気を感じさせた。
ただ、そんなパワー系な見た目とは裏腹に、俺を見て破顔するその瞳には、不思議と知性を感じさせる光が灯っている。この屋敷のことと言い、連れている執事さんのことと言い、ひょっとするとこの人は相当高い立場にいるんじゃないだろうか――なんてことを考えていると、にかりと白い歯を見せて笑みを作った男性が、これまた渋みを醸し出す声音で俺に話しかけてきた。
「いやぁ、良かったよかった。魔力溜まりの中でお前さんが倒れているのを見つけたときはどうなるもんかと思ったが、魔物になることは無かったみたいだな。なんにせよ、生きていて良かったぜ」
言いつつ、男性は太い腕を組んでうんうんとしきりにうなずく。その隣では、にこやかに笑う執事さんの姿もあった。
会話の端に妙な単語を聞いた気がしたが、どうやら警戒すべき人物、というわけでは無いらしい。そう認識を改めてから、俺は口を開く。
「……あの、ここは何処なんでしょうか? それに、お二人は一体?」
「おお、そういえばまだ目覚めたばかりだったか。悪いな、いきなり押しかけて」
そう言い、がっはっはと豪快に笑う男性が、丁寧に自己紹介してくれた。
「俺はディーン。ディーン・グレッセル。この屋敷の持ち主でもある、グレッセル家の現当主だ。こっちは俺つきの執事で、シリウス・バートランドっていう」
ディーン、と名乗った大柄な体躯の男性に紹介され、シリウスと呼ばれた執事さんも鮮やかな動作でお辞儀を見せてくれる。
「ご紹介にあずかりました、シリウス・バートランドです。以後、宜しくお願いいたします。……僭越ながら、貴方様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
シリウスさんの言葉で、俺も慌てて形ばかり向き直り、名前を告げる。ディーンさんの言葉尻から察するに、二人の間では名字を後ろに置く英語圏の様な名乗りが一般的なようなので、俺もそれに習うことにした。
「――エイジ、って言います。フルネームは、エイジ・クサカベです」
エイジ。日下部瑛司。それが、俺の名前だ。