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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
9/292

探偵の南條

県警、捜査一課。

傷害事件を一つ片付けた押塚おしづか警部は、報告書を回送し、自分のデスクへ戻ってきた。


「ふぅい、と。」


ギシっと椅子に身を落とすと、パソコンのキーボードに付箋紙が貼られていることに気付いた。


『まだですか?赤羽根』


と書かれていた。

押塚は両の手を上着のポケットに突っ込み、右ポケットから携帯電話を、左ポケットから微糖の缶コーヒーを取り出すと、缶コーヒーをシャカシャカと振りながら、崎真さきま警部補に電話を掛けた。


「はい、崎真です。」

「おう、特査の件だ。マルタイ2はもういい、切れ。マルタイ1、どうなんだ?」


マルタイ1とは、徳田将司とくだまさしの息子、南條義継なんじょうよしつぐのことである。


「自宅、兄の探偵事務所、学校、三ヶ所を周りましたが、接触出来ていません。張りますか?」


押塚は少し考えてから、プシッと缶コーヒーのプルトップを開けると、


「もう一度探偵事務所だ。兄を口説け。」


と言い、電話を切った。


…不登校、だが引きこもりでもない、か。

…おおかた、娯楽施設で友人と過ごしている、といったところだろう。

…とすると、小遣いの出どころは、たった一人の身内である兄。攻め所はそこだ。


押塚は缶コーヒーを一口飲むと、赤羽根の付箋紙をクシャッと丸め、くずかごへ投げ入れた。


喫茶店で戸籍更新データを洗っていた崎真は、ノートパソコンを閉じると、レモンティーを飲み干し、席を立った。


崎真浩二さきまこうじ警部補、41歳。

細身の長身で、捜査一課の激務にさらされていながら、身だしなみにはよく気を配り、清潔な白系のワイシャツと、ピシッと線の通ったスラックスが、外回りの刑事には見えない。

今年60歳になる、クタクタのスーツにヨレヨレのパーカーコート姿の押塚警部とは、対照的であった。


「兄を口説け、か。」


崎真は、小細工はやめ、直球勝負とすることに決めた。

私立探偵のガードの固さは半端ではない。

何も、犯罪容疑で弟を差し出せ、といった話ではないのだ。


…まさか、兄の南條治信なんじょうはるのぶも特殊な能力を持っているということはないよな。


南條治信の初対面の印象は、人への猜疑心を、実直そうな仮面で隠すクールな男、である。

実際、気質は実直なのかも知れない。

だが、その職業柄か、全てを疑ってかかるような様相を垣間見せる。

そして、タダでは情報を出さない、相手から何かしらの有益な情報を出させるか、或いは利用価値を見出すかをしないと、門前払いをするタイプの私立探偵だ。

言い換えると、金だけでは動かないタイプ。


崎真はタクシーを拾うと、南條探偵事務所へ向かった。


住宅街の中にある、入り口からオートロック式のマンション。

崎真は手元の手帳を見ながら4桁の番号をコールすると、自動的に開いたガラス張りのドアを入っていった。


エレベーターを5階まで上がり、廊下を右へ進むと、突き当たりにある一室が『南條探偵事務所』である。

コールブザーを鳴らすと、


「はい。」


と、男性の声が返ってきた。


「県警の崎真です。」


と言うと、


「アポ無しは困ります。お引き取りを。」


と返事が返ってきた。

だが、このような対応には、崎真は慣れていた。


「では、今ここでお約束を。どのくらい待てば宜しいですか?」

「一ヶ月後に。」

「お話は3分で済ませましょう。南條さんのお仕事がキリの良い時に、インターフォン越しの会話で結構ですよ。」

「ご相談料を頂きますが、宜しいですか?」

「参りましたね。警察の給料は安いもので、1分100円くらいにまけてもらえませんか?」

「ふ。面白い刑事さんだ。どうぞ、中へ。」


…よし、口説きの方向性はあっている。


崎真は、治信の性格分析は間違えていない、という感触を感じつつ、ドアを開け、中へ入った。


清潔なマンションのロビーや廊下とは打って変わり、探偵事務所の室内は書類や書籍などが床にまで山積みされ、様々なガラクタも転がっており、足の踏み場にも困る雑多さであった。

そして、タバコ臭い。


リビングを客室兼事務所としているようで、3台のパソコンモニターが並ぶデスクと、中央に低いテーブルと向かい合ったソファが置かれている。


「どうぞ。」


南條治信は崎真へソファを勧めた。

事務所には、治信一人であった。


「先日はどうも。失礼致します。」


崎真は軽く頭を下げると、ソファに腰をおろした。

治信が、缶紅茶をテーブルに置き、


「こんなもので恐縮ですが、どうぞ。今日はどういったご相談です?」


と言った。

崎真は、缶紅茶を見て、


「これは、私がコーヒーを飲めないこと、覚えていて下さったんですね。」


と、関心するフリを見せた。

治信は、


「そういう仕事ですから。」


と言い、内心、刑事のあんたが見え見えのお世辞はよせ、と思った。


「弟さん、義継よしつぐさんの捜査協力の件です。」


治信は崎真を見つめたまま黙って聴いている。


「どうか、県警までご同行願えないでしょうか。」


しばしの沈黙の後、治信は言った。


「先日お断りしたと思いますが。」


こういうタイプには直球、と内心つぶやき、崎真は言った。


「事情聴取とは少し違いますし、取調べの類いでもありません。

私も詳細は知らされておりませんが、義継さんには、ある現象を見てもらい、見たままの所見を頂きたい、という内容です。どうかご協力下さい。」


崎真は頭を深く下げた。

治信は少し考えると、


「すみません、一本、いいですか?」


と、タバコを取り出した。

頭を上げた崎真は、


「どうぞ。」


と言い、口説きがまた一歩進んだ感触を感じた。

次は、おそらく条件提示だろう。


治信は、フゥ、と煙を吐くと、言った。


「条件があります。まず、私も同行すること。

そして、基本的にこちらの個人情報や個人事情に関する質問を一切しないこと。それと…」


灰皿の角にトンっとタバコを当てて灰を落とすと、治信は崎真の目を真っ直ぐ見て言った。


「…我々が警察に同行し、その中で起きた出来事全て、一切記録しないこと。」


治信の鋭い眼光に、崎真の洞察力が読み取ったものは、弟を守りたい、という強固な意志であった。

記録しない、という約束を守るのはかなり困難である。

建前的な約束は、この探偵には無意味であろう。

警察の極秘データと言えど、その記録が活用されたあらゆる末端現場の動向を知れば、漏洩はしないまでも、当事者であれば気付くものだ。

記録を残しているな、と。


崎真は、自分で判断できることではない、と考えた。


「南條さん、ここで電話を掛けても?」

「ええ、どうぞ。」


崎真は携帯電話を取り出し、治信の目の前で押塚おしづか警部に掛けた。


「警部、今、兄の治信さんと面会中です。…ええ、目の前にいます。彼の条件は…」


治信はソファの背もたれへ身体を倒し、目を閉じた。


「…はい、ええ、…そうですか、わかりました。」


崎真は電話を切ると、真剣な表情で言った。


「南條さん、ご存知とは思いますが、警察署来訪者は、必ず何かしらの書類に名前を記載することになりますし、監視カメラも常時作動しています。ですから、一切記録を残さないというのは、まず不可能です。」


治信も真剣に聴いている。

崎真が続ける。


「…ですから、南條さんの条件を飲むために、警察署への同行ではなく、そちらで面会場所を指定してもらう、というのはどうでしょう?」

「3つの条件、全て約束して頂けるのですね?」

「はい。」

「ある現象を見ての所見、とおっしゃいましたよね。その『現象』というのは、どこでも再現できるのですか?」


実は、崎真はその『現象』というものを知らされていない。

だが、任意同行に応じてもらえない場合は特査の出張面会とする、という指示書の文面から、可能だということなのだろう、と考えた。


「はい。」

「ここ、でも?」

「はい、可能のはずです。」


治信は右手の人差し指でトントン、とこめかみを軽く叩くと、


「了解しました。」


と言った。

崎真は胸を撫で下ろした。


「ところで、」


治信が、まだ話は半分だ、という表情をし、続けた。


徳田将司とくだまさしの勾留中の面会者、ということで義継の名が上がったとのことですが、なぜ、私ではなく、義継なのです?」


崎真は正直に答えた。


「それについては、私も知らされておりません。」


治信は崎真をジッと見ている。その鋭い眼光は勢いを弱めない。


「ふん。ではもう一つ、清州朋代きよすともよの面会者も、同様に探っていましたよね?」


崎真は身構えた。

清州朋代の件は、この南條治信には一言も話していない。


「どこで、それを?」

「情報の出所は企業秘密です。清州朋代の面会者の中から、誰に白羽の矢が立った?」


この目は、知っていてあえて聴いている目だ。

崎真は、極秘情報は守らなければならない立場にある。


「それは私の管轄とはならず、知らされておりません。」

「崎真さん、こっちも協力するんだ、腹を割って頂きたい。義継と、清州朋代の面会者には共通点があったからこそ、二者の追跡に至ったはずです。警察が目を付けた、その『共通点』とは、何です?」


崎真は額にジワリと脂汗をにじませたが、きっぱりと言った。


「申し訳ないが、それは私の口からは言えません。お察し下さい。」


治信は、崎真を凝視していた目を緩めると、またタバコに火をつけ、言った。


「あなたは良い刑事さんだ。機会があったら、呑みに行きませんか?」

「ああ、是非。」


二人は、義継と警察を面会させる場所をこの南條探偵事務所と決め、日時を打合せた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


城下桜南高校、体育館。

女子バスケ部がメニューを終え、解散すると、鈴原千恵すずはらちえが2年リーダーの高島遙香たかしまはるかに呼ばれた。


「鈴原さん、今日、あの美人ちゃんは?房生ふさおさん、だったっけ。友達だよね?」

「ああ、えっと、別の部を見学に行くとかなんとか…悪虫あくむしさんが知ってるかも…」


千恵は辺りを見回し、悪虫愛彩あくむしいとあの姿を見つけると、


「いとあさーん!」


と、ピョンピョン跳ねながら手招きし、呼んだ。

愛彩いとあは駆け寄り、千恵と高島の顔をキョロキョロ見比べながら言った。


「なに?なんでしょうか?」


愛彩は、先輩の前では特に、標準語で話そうと気を遣っているようだ。

高島が聴いた。


「アクちゃん、美人ちゃんは?」

「舞衣さんなら、今日は書道部に行きました。」

「書道部!?書道もやるの?あの子!」

「あれ、舞衣さん、書道するのかな、なんか、すごく書道上手な友達いで、一緒に。」

「ぬわにぃい!?」


高島は左手を腰に当て、右手をビッと伸ばして、千恵と愛彩を交互に指差しながら、


「あんな逸材を書道部には渡せん!鈴原!アクちゃん!美人ちゃんに入部届けをキッチリ書かせて、明日から首に縄付けて連れてくること!じゃないと二人、校庭100周っ!」

「ええええ…」

「わかったの!?」

「は、はい!」


時間は少し遡り……部活の始まる前。

1年A組の教室に、房生舞衣ふさおまいがズカズカと入ってきた。


「京子!まだ書道部、行ってないんだって!?」

「あ、うん。」

「ジャンケンが無敵くらいで調子に乗るんじゃないのよ!今日こそ首に縄付けてでも連れてくからね、書道部!」

「あ、自分で行くから…」

「行く行くって、全然行かないじゃない!信じられんわ!ほら!」

「だって、いろいろあって、わわ…」


舞衣は京子の腕を掴みグイッと引っ張ると、そのまま京子を引きずって教室を出た。


「わわ、歩けるから、放して…」


京子は嬉しかった。

こんなにも自分のことで一生懸命になってくれる舞衣。

心が読める、と告白しても、何も変わらず接してくれる舞衣。


「ね、舞衣さん、私が心を読めるって知って、嫌じゃないの?」

「んー、正直言うとね、あんまり覗かれたくないかな、心。」

「だよね…。」

「だってさ、人に話したくないこともあるし、私だってエッチなこと想像してることもあるし。」


舞衣は、顔を少し赤らめた。


「でもね、京子なら、嫌じゃない。」

「…どうして?」

「んーと、上手く言えるか判らないけど…心を見られて嫌だなって思う人は、意地悪しようとか、私の弱みを知りたがってる人。」

「…」

「京子さ、私のこと、本当に大切に思ってくれてるんだもん。別にいいよ、ちょっとくらい心を見られても。」


京子は、あの三年生の思考を思い出していた。


『信頼で繋がっている友人は簡単には離れていかない』


そして、改めて考えてみた。

もし、逆に舞衣がテレパスだったら、自分は離れていくだろうか?

気味悪いと思うだろうか?

自分が何を考えていても、何を想像していても、きっと舞衣なら、困っていれば助けてくれるし、触らない方がいい気持ちには、そっとしておいてくれるだろう。


京子は、初めて解った気がした。

これが、友達というものなのだ、と。


書道部の部室。

墨汁の匂い、畳、落ち着いた空気…京子は、久し振りに故郷に帰ってきたような気持ちに包まれていた。

京子と舞衣は、最後まで書道部の活動を見学した。

舞衣は、時折眠気に襲われウトウトしたが、京子は、自分も書に向っていることを思い描きながら、凛とした空気を堪能していた。


部活が終わり、二人が書道部の部室を出ると、鈴原千恵と悪虫愛彩が真っ青な顔をして走ってきた。


「ちゃむぅー!」

「舞衣さーん!」


千恵と愛彩は息も絶え絶えに、口を揃えて言った。


「今すぐ女子バスの入部届け出してぇ、お願いっ!」

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