使い手
自分の抱える傷害事件で聞き込みに出ていた押塚は、一度県警本部に戻った。
崎真警部補の進捗報告を特査に伝えるためだった。
特査……特殊査定班との連絡において、電話やメールは禁止されている。
盗聴等による情報の漏洩を防ぐためである。
特査とは、各種捜査機能を持つ部署から集められた情報の査定を基本任務としており、特査が直接外部捜査を行うことはない。
また、査定結果を本部に提出するまでが仕事であり、所見は付け加えるものの、容疑者の特定等をすることもない。
正確に言えば、他部署で一度検証され結論の出た案件の再査定、である。
その部署機能ゆえに与えられている権限は、再捜査の指示権限である。
特査から出された調査指示、捜査指示は、必ず実行されることとなる。
部署目的は、再犯の抑制、防止。
一般には公にされていない部署の一つである。
その特査が、報告に『物理学的に説明のつかない』と記したこと、それが異常な事態であった。
なぜなら、仮説の立て方、実証の仕方におけるスペシャリストであるからだ。
押塚は、『特殊査定班』と表示されているドアを、コンコンコン、と三回ノックした。
この三回ノックは、第一関門の合言葉のようなもので、二回では駄目、四回でも駄目、やり直しても、絶対に開かない。
カチャリと鍵を開ける音がし、ドアが開き、白い研究服を羽織った神経質そうな女性が顔を出した。
ゆるい天然パーマの髪はあちこちにクセを飛び散らせ、まるで寝起きの様相である。
「えっと?」
女性は目をギョロリと押塚に向けた。
「捜査一課の押塚だ。」
「ああ、どぞ。」
声の若さや首筋の細さから、やっと20代女性だと判る。
無精な頭髪、猫背、遠目で見たら中年女性に見えるだろう…そんなことを、ふと押塚は思った。
「赤羽根です。」
そう名乗ると彼女は、押塚にパイプ椅子を進めた。
ドアの中は四畳半くらいの狭さで、デスクが二つ、左右の壁に向けられて置かれている。
ドアの向かい側の壁に、もう一つドアがある。
第二関門のドア。
押塚はあのドアの向こうへ入ったことがない。
押塚は後手にドアを閉め、椅子はいい、という意味で右手の平を赤羽根に向けると、
「いや、いい。ちと進捗を伝えに来ただけだ。」
と言い、立ったまま話し始めた。
「まず報告だ。徳田の実子の身元だが、名前は南條義継、17歳、住民票は後で回す。で、使徒天使という女性だが…」
「戸籍が無い、かな。」
押塚の言葉に被せるように、赤羽根は言った。
押塚は口元を歪めた。
報告をさえぎるな、この若輩女が…。
「いや、登録の履歴はあった。実在する女性であることは間違いない。抹消されている。」
「実在する、ねぇ…見つからないかもね、天使ちゃん。」
不愉快な物言いだ、と押塚は思ったが、特査の若輩女と言い合うつもりはさらさらない。
赤羽根伊織、28歳、医学及び心理学の博士号を持つ。
つまり、年齢からすると最短で博士号を取ったことになる。
「洗わせてるよ。あと二日くれ。」
「お時間使わせるの、悪いので、あと一日調べて出なかったら、天使ちゃんはいいです。」
「そんなに急ぐのか?」
「無駄なことは、なるべくやめましょ。」
いちいちカンに触る言い方をする女だ。
赤羽根は特査の班長ではないが、指示書の起票者欄にあった名は赤羽根だ。
もちろん指示書には本部承認印もある。
従わざるを得ない。
押塚はため息をつくと、
「それと、徳田の実子の聴取、立ち会わせてもらえるな?」
と念を押した。
赤羽根は表情を締めると、こう答えた。
「トップシークレット扱いです。押塚警部だから許可するんです。そのおつもりで。」
「解っている。」と言うと、押塚は特査の部屋を出ようとドアノブに手を掛けたが、ふと調査指示書の気になっていた一文について、聴いた。
「そうだ、任意同行に応じない場合、特査班の出張面会とする、とあったな。君が出張るのか?」
「私と、もう一人、二名の予定。」
「誰だ?蓮田班長か?」
「班長じゃないです。その時になったら言いますよ。」
「ふん…。」
押塚は特査の部屋を出た。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
1年A組の教室。
蛍光灯が破れた音を聞きつけた生徒が呼んだA組担任教師が、散らばった破片をほうきで掃きながら、小林京子に言った。
「あちこちに飛んでまあ…小林さん、怪我は無かったのね?」
「はい…。」
窓際に立ち、身をすくめていた京子は、か細い声で答えた。
「どうして破れたのかしらね、何か当たった?見なかった?小林さん。」
「いえ…」
…見ました。
…青白い『光の帯』を。
だが、京子は半信半疑だった。
『光の帯』が破った瞬間は見ていないのだ。
破れた音に驚き、見ると、『光の帯』が蛍光灯の周りを揺らめいていた。
「野球のボールかしらね?窓は開いてたの?」
「いえ、もう下校だったから…。」
「そう…硬い虫でもぶつかったのかしら?」
身を硬くして下を向いている京子に、担任は優しく言った。
「あと、片付けておくから、もう帰りなさい、ね。」
京子は頷くと、鞄を取り、教室を出て行った。
廊下を歩いている途中で、京子は見られている気配を感じた。
後ろを見たが、誰もいない。
「!」
青白い『光の帯』が、自分のすぐ目の前を漂っていることに気付いた。
京子は恐ろしくなり、走り出そうとした。
すると、
『あんたにも出来るだろ?自分で闘えよ。』
という言葉が、頭の中に聴こえた。
聴こえた、と言うのは正しくないかも知れない。
無音の声……それは自分が何かを『思った』時と似ている。
思ったことをしゃべろうとして言葉に置き換える時に思い描く、それ。
それが、自発的ではなく、外から入ってきた言葉。
京子は恐怖心を振り払い、『光の帯』を出した。
誰!?
追い掛けてやる!
だが、すでに青白い『光の帯』は消えていた。
同じ『使い手』である京子には判る。
『光の帯』は一瞬で引き戻せるのだ。
戻そうと考えた瞬間、0.1秒の時間差もなく、消せるのだった。
正確に言えば、迷いや躊躇が、引き戻す時間差を左右する。
冷静であれば、その時間差は0に等しい。
精神力の強弱が時間差を決める、と言えた。
京子は、おぼろげながら、青白い『光の帯』の使い手の意図が見えた気がした。
そして、この使い手が男性であろうことも感じた。
『声』のニュアンスが、男性のそれであったからだ。
『あんたにも出来るだろ』
彼は、私にも蛍光灯が壊せる…テレキネシスが使える、と思っている。
或いは、今は使えなくとも、『光の帯』には物と物理接触できる使い方がある、と伝えようとした。
…だから、蛍光灯を壊して見せた。
『自分で闘えよ』
『闘え』の言葉の背景にビジョンが薄っすらと見えた。
そのビジョンは、詐欺師と接触した私と三年生の人を客観視しているものだ。
…この青白い『光の帯』の使い手は、あの出来事を『見て』いたのだ。
「…てことは、あの三年生の人じゃ無い。」
京子は考えた。
…私に危害を加える気はない、のかな。
…なぜ、こんな、お節介なことを。
…あの三年生の言っていた『知り合いのテレパス』かな?
京子に恐怖心は残っていたものの、別の感情が現れ始めていた。
…私は、独りではないのかも。
…隠し事の必要ない、仲間がいるのかも知れない。
京子は意を決し、中央階段を二階へ上がった。
二階には二年生の教室が並んでいる。
廊下にはまだ、何人もの学生が立ち話していた。
どう捜せばいいのだろう?
中央階段の前で立ち尽くす京子を、下校の生徒達が通り過ぎていく。
その中の一人に、詐欺師を追い払った直後の紅河淳の目の前に突然現れ、すれ違った少年の姿があった…。