テレキネシス
「戸籍の抹消?」
押塚警部は、携帯電話を肩と首に挟み込み、両手でタバコを囲むように火を着け、眉をひそめた。
今日は風が強い。
「ええ、清州朋代の面会者、『使徒天使』という20歳の女性は、昨年11月、清州との面会の二日後に戸籍を抹消しています。」
電話の向こうで、崎真警部補が淡々と答える。
「抹消ったってよ、死んだ訳ではなかろう?変更先があるだろ。」
押塚はライターをカチンと閉じると、左手に携帯電話を持ち直した。
崎真が答える。
「消えています。忽然と。『使徒』という苗字を追いかけましたが…」
「日本全国、北から南まで洗いまくれ。同時期に戸籍登録のあった20歳の女性全てだ。氏名変更もあり得る。」
「…はい。」
途方もない調査だ…崎真は下唇を噛んだ。
「で?徳田の息子は捉えたんだな?」
「あ、ええ、見つけました。現在、氏も名も変えています。南條義継、17歳、年齢も一致、現在、県立高校に通う学生です。」
押塚は深く煙を吐いた。
…名前を丸ごと変えてる?
…母を殺され、父親がサイコじゃ無理もないか。
「よし、その学生だけでも任意同行だ。」
「特査に引き渡し、ですか?」
「お前も立ち会えるようにしてやるよ。」
「は、恐れ入ります。」
押塚はタバコを地面に落とし、踏みつけると、携帯電話を切った。
「そこ、あなた、ここは歩きタバコ禁止区域ですよ!」
どこかの巡査が押塚に大声で注意した。
押塚は頭をかきながら吸い殻を拾い、携帯灰皿へ押し込み、独り言ちた。
「やれやれ、住みにくい世の中になったもんだ…。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
小林京子は、舞衣と愛彩が出て行った教室で、これから自分が失うであろうものの大きさに耐えられずにいた。
京子が小学一年生の時だ。
ドッジボールを教室内で投げていた同級生の男の子が、先生の机の花瓶に当ててしまい、破った。
その様子は、男の子とその友達の二人しか見ていない。
彼は『花瓶が風で倒れた』と言い張った。
だが、二人が嘘をついていると見抜いた京子は、それをクラスの皆の前で指摘した。
男の子二人は認めず、結果的に、先生に怒られたのは京子だった。
また、クラスの皆も、二人を悪者にした意地の悪い嘘をつく女の子、と京子を避けるようになった。
小学校6年間、京子には友達が出来ず、二年生の時に母の勧めで始めた書道だけが、京子の全てとなっていった…
…それが事実であっても、指摘してはいけないのだ。
…その人が困ることは、決して表に出してはいけないのだ。
…どうして私だけ、こんな力を持っているのだろう?
…どうして皆、嘘ばかりつくのだろう?
…事実とされた、その半分は、嘘で出来ている。
…そして私も今、舞衣に隠し事をしている。
京子は、必死に自分に言い聞かせた。
私は、友達など持ってはいけないのだ。
もともと、ずっと独りだったではないか。
大丈夫、これからも独りで、誰にも迷惑を掛けないよう、
生きていけばいい。
舞衣の笑顔が思い浮かぶ。
楽しかった。
短い間だったけど、中三の夏から今まで、
とても楽しかった。
私の、心が読める能力を知れば、誰だって私とは会いたくなくなる。
当たり前のことだ。
「…あ。」
ふと、昨日助けてくれた三年生の言葉を思い出した。
『知り合いにテレパスがいる。』
『辛かったろ、今まで。』
あの人は、私がテレパスだと知ったのに、なぜ平気でいたのだろう?
あの時は気が動転していて、深く考えなかったが、テレパスの知人と普通に過ごしているのだろうか?
心が読まれて、嫌ではないのだろうか?
「名前、聞いてなかった…」
無性に、あの三年生に会いたくなった。
何組の人だろう。
親しい知人なら『意識の手』で探せるのだが、一度会ったくらいでは、思念の特定が難しい。
探そうにも、『意識の手』で一人一人当たっていては、こちらが参ってしまう。
…と、その時だった。
パンッ!バラバラバラ…
教室内の真ん中辺りの蛍光灯が、音を立てて弾けた。
驚いて見上げた京子は、青白い光がヌメヌメと明滅する帯のようなものを天井近くに見た。
誰!?
その青白い『光の帯』は、スウッと天井へ消えた。
上の階?
今、自分の『光の帯』で追えば、誰だか分かるかもしれない。
だが、京子は恐ろしくて追うことが出来なかった。
「物を、壊すなんて…」
京子が『意識の手』と呼んでいる自分の黄色い『光の帯』は、物質を透過する。
どういう原理なのか、自分でも解らないのだが、壁や物に触れられず、すり抜けるのだ。
今の青白い『光の帯』は、二階の床…この一階の天井を透過し、蛍光灯を破った。
物理的な接触も出来る、のだろうか?
しかし、何の目的で、この教室の蛍光灯を…
京子は恐怖に震え、動けなくなっていた。
※使徒天使…『少年の秘かな決意』参照
※南條義継…『少年の小さな迷走』『少年の秘かな決意』参照