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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
48/292

眠れる使い手

警察庁、刑事局局長室。

佐海さかい警視監は受話器を取っていた。

相手は捜査第一課の司令塔、伴瓜ともうり警視正である。

佐海警視監の前には、特査の蓮田はすだ班長が立っていた。


「私の捜査方針自体が歪められているとは言いません。ですが、県警の特査が通常業務から完全に逸脱した行動を取り始めた要因があの南條義継なんじょうよしつぐ確保であり、不当拘束だと騒ぎ立てるその火元は何なのか…私の納得出来る報告を至急上げたまえ。」


口調は淡々としているが、その目に苛立ちをたたえている佐海警視監の手元には、

仔駒雅弓こごままゆみ線路鉄鋼分断容疑』、

南條義継なんじょうよしつぐ警察車両損壊及び殺人未遂容疑』、

南條義継なんじょうよしつぐ公民館及び警察車両損壊罪』、

赤羽根伊織あかばねいおり器物損壊教唆及び傷害教唆容疑』、

若邑湖洲香わかむらこずか器物損壊罪及び傷害罪』という報告書が5部、

それに赤羽根から上程された『仔駒雅弓及び南條義継の状況心理分析と防衛行動』報告書があった。


そして、佐海警視監は、赤羽根の報告書が彼女の上司である蓮田を通らずに上がってきたことを、当の蓮田にはまだ明かしていなかった。

更に、その赤羽根の報告書は既に伴瓜警視正に降ろされ、介して県警捜査一課の押塚おしづか警部への共有を指示している。


受話器を置いた佐海は、蓮田を静かに見た。

彼に対し、能力者ラボの遠熊とおくま所長との関係を利用して、刑事局配属となる『使い手』捜査員に何かしらの『呪縛』を植え付けているのではないか、という疑念をぶつけたい衝動に駆られていた。

だが、佐海から発せられた言葉は、問題の核心を遠巻きに眺めたものであった。


「蓮田班長、赤羽根博士の『教唆容疑』について、動機はどう見ていますか?」


蓮田は冷静であった。

今の佐海警視監は、自分がどのような所見を述べようとも、それに疑いを持つであろう。

状況がそうなるように動いて行ったからだ。

事実など問題ではない。いや、事実があるとすれば、それは…『緑養りょくようさと』からの因縁が、佐海警視監の権限を持ってしても蓮田を特殊査定班から解任させることは出来ない、という事実だけだ。


「報告書は拝見致しました。容疑、ということは、まだ状況証拠しか無い、ということなのでしょう。赤羽根博士は被験者の精神状態や体調の管理を一身に担っている立場上、若邑や仔駒の『不安定さ』を彼女達の内的問題だけではなく環境的問題からも分析をします。動機、というなら、そうですね…情、でしょうか。研究者が捨てなければならない『情』が、赤羽根君の判断力を鈍らせているのではないかと見ております。」


…最もらしいことを言う。


佐海は、刑事局長という重責を担う立場にありながら、人事という伝家の宝刀が及ばないダークゾーンを抱えている現実に葛藤していた。


赤羽根伊織を解任することは簡単である。

同じ様に、赤羽根の報告書を握り潰すことも、造作も無いことだ。

だが、赤羽根に預けた若邑湖洲香と、押塚に預けた喜多室祥司きたむろしょうじは、そのダークゾーンへ投じた石の礫なのだ。


「情、ですか。彼女が県警に配属する前の功績は、冷徹な犯罪心理鑑定マシーンそのものでしたが、ね。」


蓮田は、もう一歩踏み込んで悪役面をしても問題なかろう、と考えた。


「警視監、言うまでもありませんが、赤羽根君には『光の帯』は見えないのです。その『能力者の能力媒体』をオフィシャルに公表となった立証根拠は、南條義継による『第三者の認知』でした。

ご存知のように、遠熊所長の能力者ラボでは『万人が認知出来る立証』が成立するまで『能力媒体』の存在は不確定とされ続けてきました。

この状況が急展開を見せたのは仔駒雅弓の窃盗、『南土蔵駅コンビニ強盗事件』です。ラボで検証が重ねられていた『超常現象』が犯罪というかたちで世に現れた。

その被告である仔駒雅弓が、保護観察という処遇で赤羽根君に預けられたわけですが、直後、仔駒は再び凶悪犯罪の被疑者となった。

冷徹な犯罪心理鑑定マシーンが壊れても、無理からぬことではないかと考えます。」


…遠回しに私を責め立てるか、蓮田。


仔駒雅弓は『逃亡者リスト』に入っていた、言わば遠熊所長の手からこぼれ落ちた『能力者』である。

その責任の所在と、あまりにも急進的過ぎた特殊査定班の『光の帯の存在仮説』認可、そこから派生した刑事局への『使い手』配備…赤羽根を振り回したのはあなたでしょう、と蓮田は言っているのだ。


…だが、肝心な部分をはぐらかしているな、蓮田。


「そうでしょうか。振り回されない赤羽根博士だからこそ、状況証拠だけで被疑者確保に動く我々の浅はかさを指摘している、とも取れますね。」


蓮田は口元を緩めた。

それは、一理あると認めたとも、軽蔑の笑みともとれる表情だった。


「管轄外、いや、越権行為ですね。我々特殊査定班の任務は、査定による事実の炙り出しです。刑事局管理となった仔駒雅弓を警察庁に乗り込んで連れ帰るなど、私の指導不行き届きです。申し訳のしようもありません。」


…逃げるか、蓮田。


佐海は手元の赤羽根の報告書を指先でなぞった。

赤羽根博士の要求は南條義継を一旦外へ出せ、である。

だが、罪状が付いた以上それは出来ない。


「蓮田班長、事態の収拾には手を貸して頂く。」


蓮田は頷いた。そして、


「妻に会ってから、県警に戻ります。」


と言い、刑事局長室を出て行った。

佐海はその言葉を聴き、硬く目を閉じた…。


佐海の目に届いていない報告の改竄が一件あることを、佐海自身はもちろん、蓮田も知らない。

それは喜多室の報告である『警察車両損壊及び殺人未遂容疑』の中にある、『喜多室運転の車両が灰色の光の帯により分断された』の部分である。

佐海の手元に届いている報告書は南條義継が容疑者となっているが、喜多室の報告書には『灰色の光の帯』と明記されている点である。

この報告書は、喜多室から崎真へ提出され、押塚を通り、県警の刑事部長及び公安から刑事局の谷元たにもと警視に上がっている。

改竄者は谷元である。

たった三文字…『灰色の』が消された報告書。

このほころびが解けない仕組みが、ある意味、府県警公安と国家公安の距離、と言えた。

そして、この改竄が、この後に起こる大惨事の火種であることは、誰にも予想出来なかった…。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


蓮田は刑事局長室を出ると、地下4階へ降りた。

エレベーターを降り、ICカードでロックされている扉を開ける。

このロックを解除できるカードを持つ者は、旧特殊研究班の研究員及び刑事局長の佐海だけである。


扉の先は、監視カメラが設置されていない。

『特殊研究班 備品室』と表示されたドアを、再びICカードで開ける。

薄暗い室内は綺麗に清掃され、デスクにパソコンが一台と生花が飾られており、部屋の中央に四方をカーテンで囲まれたベッドが置かれている。


蓮田はカーテンを開け、ベッドの横へ立った。

ベッドには点滴や呼吸器に繋がれた女性が横たわっている。

その女性は蓮田の妻…旧特殊研究班に所属していた蓮田喜美はすだよしみである。


…喜美。


呼んでも、身体に触れても、彼女は全く反応しない。

機器によって呼吸と循環器だけが活動させられている…植物状態であった。


湖洲香が昨夜の潜入で知覚した『無色透明の帯』の『使い手』は、この蓮田喜美である。


そして、蓮田喜美をこの状態にしてしまった加害者は…蓮田忠志はすだただし本人であった。


それは研究中の事故と言うにはあまりにも痛ましい出来事だった。

17年前、当時蓮田忠志は25歳、児童福祉施設『緑養の郷』で佐海藤吉さかいとうきち院長の鑑定により素養有りとされた児童を受け入れていた刑事局の特殊研究班は、念動力の科学的分析に着手するべく、その様々な現象記録を取っていた。


若邑湖洲香、当時2歳の『睡眠に入りかけた時に起きた母親の心臓を潰す現象』がまだ仮説の段階であった時、『能力者』であり『明滅する帯状の媒体』が視認できる蓮田喜美は、人体にそれを透過させた時に何が起こるのか…という実験を繰り返していた。

『明滅する帯状の媒体』が実際はこの三次元空間には存在していないということも発見されていない時代である。

不慮の事故を懸念した蓮田喜美は、自らの『帯状の媒体』を自分の身体に透過させていたが、心臓のような一部の臓器だけを掴むという動作には至れず、『他者の媒体であれば可能なのではないか』という仮説を立てた。


同じく『能力者』であり『帯状の媒体』を視認できる夫、蓮田忠志に、自分の身体に忠志の『媒体』を透過させる実験を要求した。

精神感応しか出来ない…つまり三次元空間に『媒体』を出現させる術を知らない…蓮田忠志は、その実験の最中、喜美の身体に複雑に透過させた状態で、突然『媒体』を三次元空間に出現させるに至った。

喜美の身体中に音もなく切れ込みが入り…彼女の身体はバラバラになった。


その手術の名残りとして、ベッドに横たわる蓮田喜美の身体中には縫合で繋がれた跡が残っている。

手術は奇跡的とも言える神業で、壊死したカ所は右脚の膝から下のみであり、他の部位は繋がった。

だが、血液の総入れ替えという困難な処置が、二度と意識の戻らない身体にしてしまった。


今、彼女はどんな刺激にも全く反応しない。

だが、一つだけ反応を示すものがあった。

それは、蓮田忠志の銀色の『光の帯』に対して、である。


テレパシーではない。

言葉や思考は全く返ってこない。

だが、彼の『光の帯』で喜美の身体に触れると、それに着いて『無色透明の帯』を出してくるのである。

どんな気持ちで、何を考えて、忠志の銀色の『光の帯』に着いて出てくるのかは解らない。


…喜美、仔駒雅弓の勾留、済まなかった、ありがとう。


自分から全てを奪った『能力』への嫌悪。

蓮田忠志のそれは、他者の想像を超えていた。


『能力者』を絶滅させ、自分も喜美と一緒に行く。

その為であれば、どんな苦境も耐えられる。


蓮田忠志が『使い手』であることは、赤羽根や湖洲香はもちろん、佐海警視監ですら知らない。

今や知っているのは遠熊所長のみである。

隠し通す為に蓮田は、クレヤボヤンス対策も続けてきた。

『使い手』は高次元クレヤボヤンスで観ると魂が明滅して見える。

その明滅を止めるのは…バルビツール酸の投与である。

連続投与は副作用が激しく、関わる被験者がクレヤボヤンス試験を行う時のみ、最小限にとどめて投与していた。


…霊体が身体から出て行くなど、健全な人の在る姿ではない。

…私と喜美がしていることは、人類を健全な姿に戻す正しい行いだ。

…必ずやり遂げる。待っていてくれ、喜美。


刑事局を手の上で転がす為に、何年を費やして来たことか。

蓮田の意志は、誰にも砕くことの出来ない強固な塊となり、それは日本全体を吸い込んで消滅させてしまうようなブラックホールを形成しているかの様だった。

光さえ脱出できない暗黒の意識。

精神感応の及ばない反物質の意識。


その蓮田の闇に引っ掛かる一点の懸念、反物質を更に高次元反転させてしまいかねない邪魔な要素…

それは皆月岸人みなづききしとであった。


…テレポーテーションの謎を解かなくては。


蓮田の思考宇宙を超え、今尚行方を掴めない『能力者』、その存在は許せない。


…テレポーテーションを超え、『光の帯』の最終スペックへ辿り着くのは私でなくてはならない。


蓮田の黒い目的と、物理学者としての意地と気質は、皮肉なことに彼が否定する『光の帯』を追求するというパラドックスへ彼を堕として行くのだった…。

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