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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
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変色

県内、民間総合病院。

赤羽根あかばねが身を寄せ、湖洲香こずか雅弓まゆみの治療を始めてから12時間以上が経過していた。


…ディプリバンか。


雅弓に点滴投薬された麻酔薬は、基本的に小児には用いないタイプのものであった。

成人でも酸素吸入と循環管理を慎重に行わなければならない溶剤であるが、雅弓は注入後放置状態にあり、その使用深度も管理がなされていたかどうかは疑問であった。


…よく呼吸困難を起こさずに耐えたわね、マユミ。


赤羽根は未だ眠り続けている雅弓の寝顔に優しく手を当てた。


…起訴出来るかは判らないけど、この検査結果は必ず突き付けてやるわ。


昨夜から一睡もせず二人の看病に当たっていた赤羽根は、雅弓の検査が一段落し、うとうとしながら南條義継なんじょうよしつぐのことを考えていた。

治信はるのぶは彼を首尾よく連れ出せたであろうか。

自分の報告書は佐海さかい警視監の手元に届いただろうか。

義継の怪我の具合はどうなのだろうか。

雅弓を助けてくれた彼に、お礼を言わないと…


「…は!」


不意に、背後に人の気配を感じた赤羽根は眠気から覚め、後ろへふり返った。


「あ、コズカ…」


左腕を三角巾で吊った湖洲香が、静かに立っていた。


「義継さん、怪我をされて、捕まったんですね。」

「あ、え、ええ、でも、治信さんが迎えに行ってるわ。大丈夫よ。」


…しまった。


彼女に無防備な思考を読ませてしまったことを赤羽根は悔いた。

湖洲香は穏やかな表情でいたが、その瞳はクッ、クッ…と時折左右に揺れている。


…クレヤボヤンスを放っているんだ。


「コズカ、大丈夫よ、落ち着きなさい、ね。」


湖洲香の瞳がフッと中央に据わった。


「博士、行ってきます。」

「え、ちょっと、どこへ?」

「義継さん、『白楼はくろう』にいます。肩に大怪我をしている。」


赤羽根は血相を変えた。


「待ちなさい、ね、待って、コズカ…」


湖洲香は無言で腕の三角巾を外し、病衣を脱ぐと、下着を着け、自分のスーツに着替え始めた。

時折見せる辛そうな表情から、左肩がまだ完全ではないことが伺えた。


「コズカ、私達は今指名手配されている。外に出ては駄目よ。」


湖洲香はレディーススーツのジャケットに腕を通そうとしたが、左肩が痛みで上手く上がらない。


「博士、肩にキツめのテーピングお願いします。」


右腕だけジャケットを引っ掛けた状態で、彼女は赤羽根に左肩を差し出した。

赤羽根はしばらく湖洲香を上目遣いで見ていたが、医療用のテープを取ると、湖洲香のブラウスのボタンを外した。

肩の包帯を解き、湿布薬の上からテーピングを巻いていく。


「どう、痛くない?」

「はい。有難うございます。」


赤羽根は湖洲香のブラウスのボタンをとめ直し、ジャケットの袖を背中から通してやった。


「私も行くから、待ってなさい。」


すると湖洲香は、子供のような笑みを浮かべて、赤羽根に抱きついた。


「博士、温かい。…雅弓ちゃんにとって、博士はお母さんですよ。」

「え、ちょっと…」


数秒間抱きついた後、湖洲香はスッと赤羽根から身体を放し、病室の窓へ向かった。

窓を開けると、湖洲香は赤羽根に振り返り、そして寝ている雅弓をチラッと見た。


「義継さんは私の希望。…博士、特査のお仕事、とっても楽しかった。」


そう言うと湖洲香は、窓から外へフワッと飛び降りた。

ここは三階の病室である。


ガタンッ…


赤羽根は音を立てて椅子から立ち上がり、窓へ走った。

人気の無い住宅街の路地に、フワリと降り立つ湖洲香の姿が見えた。


赤羽根は叫ぼうとしたが、声が出なかった。

小雨がやみ涼風に揺らめいている窓のカーテンを掴み、全身から力が抜けていくのを感じながら、ズルズルと床に沈んでいく身体をどうすることも出来ず、彼女は窓辺に座り込んでしまった。


もう二度と湖洲香には会えない…そんな予感が赤羽根の脳裏を過ぎった。

涙で滲む先には、雅弓が静かに寝息を立てていた…。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


東京医科大学病院。

紅河くれかわ橋石きょうせきが到着した頃、ちょうど京子の診察が終わり会計を待っていたところだった。


「京子!」


会計カウンターの前の長椅子で、呼ばれた京子は驚いて立ち上がった。

横には舞衣まいと、刑事局の枝連えづれも座っていた。


「紅河さん。」


息急き切って走り寄ってきた紅河と橋石に、京子はおどおどしながら診断書の封筒を差し出し、


「私は大丈夫でした。」


と言った。

封筒を受け取ろうとした橋石の横から、紅河が手を伸ばした。

『異常なし』と締められている診断書に安心すると紅河は、


「刑事局の、こいつか?」


と言って、枝連を睨んだ。

枝連が立ち、頭を下げた。


「刑事局捜査第一課の枝連です。」


ガッ!


彼が言い終わるや否や、紅河は枝連の襟元を掴んだ。


「ちょっと来い。」


枝連は襟を掴んでいる紅河の手を掴み返す。


「私は公務中だ。小林京子さんの診察結果を刑事局へ持ち帰るまで、彼女達から離れられない。」


紅河の声のトーンが更に低くなる。


「関係ねぇな。表へ出ろ。」


枝連は囁くように言った。


「公務中だと言った。執行妨害を適用するぞ。」

「してみろよ。」


橋石が紅河の腕を掴み、強引に振り解かせた。


「紅河、落ち着け。気持ちは解るが、ここを出てからにしよう。」


紅河は無言で振り解かれた腕を振った。

枝連を睨み続け、一瞬たりとも目を離さない。


京子はおろおろし、舞衣は座ったまま真剣な表情で成り行きを見ている。


「小林さん、小林京子さん。」


重苦しい空気の中、枝連が会計を済ませ、5人は病院を出た。


駐車場で、舞衣と京子を刑事局の車に乗せると、紅河は枝連の肩を掴んで言った。


「あんたらが京子に行った行為、今ここで全て説明しろ。」

「説明する義務は無い。」


紅河の右脚が動いた瞬間、橋石が彼を枝連から引き離した。


「馬鹿!頭冷やせ!お前が問題を起こしたら城下桜南のサッカー部全員が出場停止だぞ!」


枝連を転ばせようとした紅河は、寸前で思いとどまった。

紅河は大きく息を吐いた。

車の中で外の様子を見ていた舞衣が、ドアを開けて降りてきた。


「紅河さん、私も京子もサッカー部の活躍楽しみにしてます。だから、暴力とかやめて下さい。」


紅河は枝連を一瞥すると、


「わかったよ。」


と言い、再びハァッと大きなため息をついた。

橋石が枝連に言った。


「俺達は南條義継なんじょうよしつぐの件で、不可解な情報を得ています。知っていることを教えてもらえませんか?」

「悪いが、捜査情報は漏らせない。」

「もしかしたら、枝連さん、あなたも知らされていない情報かも知れない。聴くだけ聴いてください。」


枝連は少し考えると、


「私も暇では無い。移動しながら聴こう。」


と言い、全員車に乗るように促した。

枝連の運転で車は走り出した。助手席には橋石、後部シートに京子、舞衣、紅河である。

橋石が『不可解な情報』について話し始めた。


「義継が喜多室きたむろ刑事の運転で、土蔵西高校から霞ヶ関へ向かう途中、灰色の『光の帯』に襲われています。彼らの車は分断され、炎上したそうです。」


これは喜多室から崎真さきま治信はるのぶと経て橋石達にもたらされた情報だ。


「これ、人命に関わる凶悪犯罪だと思いますが、犯人について知りませんか?」


枝連は知っていた。

刑事局捜査第一課に配属されている『使い手』によるもので、直接指示したのは谷元たにもと警視、目的は義継が喜多室を殺傷するように見せかける『未遂工作』であった。

だが、訓練を受けている枝連は、その事を思考しない。


「君達の狙いは、私にあらぬ詰問をし、房生さんや小林さんに読心させることか?」


舞衣が不機嫌そうに言った。


「そんなことしない。見損なわないで下さい。ね、京子。」

「うん、心読んだりしません。」


確かに彼女達の『光の帯』は影すら現れない。

『光の帯』には影など無いのだが…。

枝連は答えた。


「車両火災の報告は入っているが、加害者は特定出来ていない。」


紅河が言葉を挟む。


「その報告を上げたのは状況から見て喜多室さんでしょ。犯人の『光の帯』の色はどう報告されてる?」


枝連は間髪入れず答える。


「色の報告は受けていない。」


紅河は小さくため息をついた。


「あっさり結論が出ましたね。枝連さん、あんたは大嘘つきで、俺たちの敵だ。」


枝連は表情を変えず、黙っている。

京子が口を開いた。


「あの、枝連さん、私と舞衣さんは、その義継さんの事故、知らないんです。だから、今紅河さんが言った、枝連さんが敵っていうのも、なんかよく判らないの。本当のこと、知りたいですね。」


紅河は思った。

京子という子は、ものの見方が自分と似ているな、と。

確証が無いことについて、他者の判断に安易に乗っからない。

事実を見ようとする目は、もしかしたら自分より淀みがないかも知れない、と。


枝連が言った。


「私が言えることは、刑事局としては南條義継の自演ではないかと見ている、ということ。だがこれも裏付けが無い。」


紅河はニヤッと笑い、言った。


「なんだ、意外と簡単にケリが付きそうですね。喜多室さんの報告を関係者全員に一字一句全て開示すれば終わりでしょ。だってさ、喜多室さんが『色』を報告していない訳がない。」


橋石が続けた。


「それにね、もし車両を破壊した『光の帯』が義継固有の色だったら、喜多室さんが現行犯逮捕してますよ、義継のことをね。」


枝連が冷静を装いながら問う。


「君達はその情報をどこから入手したんだ?」


橋石は、治信を真似て答えた。


「それは企業秘密だ。」


紅河がクスクスと笑った。

舞衣と京子は、心なしか不機嫌そうな表情を浮かべている。

舞衣が言った。


「なんか、上手く言えないけど、探り合うんじゃなくて、あの、ヨシツグさんが本当に悪いことしてないのかどうか、もっと知ってること言い合って、確かめなきゃって、思いませんか?」


それは枝連だけでなく、紅河や橋石にも向けられた言葉であった。

京子も続いて言う。


「うん、最初、枝連さんが凄く怖くて、でも、警察の部屋でちゃんと謝ってくれて、少し良い人なのかなって思いました。義継さん、悪い事なんか絶対出来ない人なのに、なんで警察に疑われちゃったのかな、って考えると、枝連さんも考えてみて?それって、えっと、『光の帯』が使えるからっていう理由だけじゃないんですか?」


…確かにその通り、なのだが。


枝連の心象が揺れる。

舞衣や京子の言葉には偏見から来る疑いが無く、逆に利他心すら感じる。


『枝連さんも考えてみて』


京子の言葉が枝連に突き刺さる。


『自分で判断するなかれ』


能力者ラボの教育指針がそれを押し戻す。


彼はハンドルを握る右手から『光の帯』を滲み出させた。


…!


驚いたのは枝連自身だった。

その『光の帯』の色は……灰色が薄い紫に変化しつつあり、白もはっきりと混ざっていた。

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