小雨の霞門
崎真は刑事局の刑事企画課員に連れられ、地下一階駐車場で車に乗ると、その車は警察庁の外へは向かわず、車両用エレベーターに入った。
エレベーターは下降していく。
…なんと、地下で白楼に繋がる車道があるってことか?
警察庁に繋がる地下車道の存在など、崎真はもちろん、押塚警部でも知らない事実だろう。
そのこと自体は取り立てて問題視する様なことではない。
崎真が不審に思ったことは、押塚警部が任された『能力者』喜多室祥司の使用権限と管理義務が、このような刑事局のシークレット事項に触れる機会を発生させることだった。
現に、県警の一兵卒である自分に、この秘密のルートがあっさりと開示されている。
…警部は佐海刑事局長直々の通達で喜多室を預かった、と言っていたが。
刑事局は押塚警部個人に極秘事項へアクセス出来る鍵を手渡したことになる。
これは、考えようによっては、下からの突き上げによるヘルプを求めている、とも見えないか?
…佐海警視監は敵だとばかり思っていたが…
児童福祉センター『緑養の郷』の院長、佐海藤吉は佐海警視監の父親である。
佐海藤吉は既に故人であり、藤吉の逝去とともに『緑養の郷』は閉鎖されていた。
その佐海藤吉院長はテレパスであったとの記録が、南條治信の調査で明らかになっている。
『緑養の郷』では佐海藤吉院長の手によって『能力者』鑑定が行われており、『能力者』と断定された孤児達の処遇は、情報通信局でファイル化された後、刑事局へ身柄が送られていた。
当時の刑事局には特殊な能力を持つ人間の受け入れ部署は無く、その受け皿として『特殊研究班』という非公式の部署が設置された。
それが…特殊医療機関『白楼』の前身である。
そして2年前…2012年4月、崎真の所属する県警に『特殊査定班』という非公式部署が設置された。
刑事局の『特殊研究班』から蓮田忠志が、外部の医療研究員から赤羽根伊織が辞令を受け着任、その1年後、2013年4月、『特殊研究班』の被験者であった若邑湖洲香が班員としての辞令を受けた。
そして今年、過去の履歴の全てを『NO DATA』として、喜多室祥司が押塚の部下として辞令を受けている。
その喜多室は、未だに自身の経歴を押塚や崎真に明かしていない。
…蓮田は若邑湖洲香を捜査一課へ押し込もうと、佐海警視監へ提言している。
…だが佐海警視監はそれを受け入れず、か。
もし、仮に、佐海警視監が若邑湖洲香の戦闘力や感情コントロールの甘さから、彼女自身を失態から守ろうとしているとしたら…
佐海警視監が父藤吉から受け継いだ意志は何なのか?
蓮田は旧『特殊研究班』でどういったポジションに在ったのか?
喜多室は旧『特殊研究班』とどう関わっていたのか?
…肝要なことは…佐海警視監は若邑や喜多室に何を託して県警に送り込んだのか、という点か。
若邑湖洲香はもちろん、喜多室祥司も、『能力者』であるが故に隔離され、警察組織の意向など情報をもたらされていない可能性は充分にある。
本当に何も知らないまま現場投入されたのであれば、刑事局のコントロールは不可欠のはずだ。
…だが実際には、若邑は赤羽根博士が、喜多室は押塚警部がコントロール権限を与えられている。
…そして、赤羽根博士も、押塚警部も、腹黒い画策は何も持っていない。
…博士も警部も、若邑や喜多室が暴走した時の責任の所在、捨て駒に過ぎないのだろうか?
崎真は刑事企画課の課員が運転する車の助手席で、刑事局の『使い手』に読心される危険性も忘れ、『能力者狩り』の実態、その構造を紐解こうと思案を巡らせていた。
車は警察庁の地下4階でエレベーターから発進し、緩い下りの地下道路を走って行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
警察庁の捜査第一課が使用する取調室で、まずは紅河淳一人が聴取となった。
一課の刑事と『能力者』らしき男性、それに押塚警部、取調室には四人となる。
『能力者』らしき男が、押塚と紅河には聞こえない声で、局課の刑事に耳打ちする。
「外に『使い手』がいます。色は黄色。県警が追う小林京子ではないかと。」
「わかった。確保させろ。」
『能力者』の男はテレパシーで二階に待機している局捜査第一課の『使い手』に小林京子の位置を知らせ、確保を依頼した。
局課刑事が話しを始めた。
「では学生さん、改めてお名前と、お話を伺いましょう。」
「紅河淳。昨日の夜、ここの地下二階で県警の赤羽根伊織さんと若邑湖洲香さんが、灰色の『光の帯』を使う人物に襲われました。僕は、地下二階に残された若邑さんを助け出そうとし、襲ってきた透明の『帯』を避け、その見えない『帯』が向かってきた先にいた黒服の男性の腹部を蹴りました。」
局課刑事は怪訝そうな表情で問うた。
「ふむ。まず一点、灰色の、と断言しているが、君はそれが見えたのか?」
「いいえ。」
「なぜ灰色だと断定した?」
「仔駒雅弓さんの話で、それを信じました。」
「仔駒?義務教育も受けていない7歳の少女だな。」
局課刑事はいやらしく口元を歪め、続けて問う。
「見えない『帯』が君を襲ったそうだが、見えないものをどう察知したのかね?」
「天井が崩れて埃がかなり舞っていましたので、透明で不可視ですが、その軌跡は埃の動きで判りました。」
「ホコリの動き?」
「はい。」
「それが、ちょっとした風や、君の錯覚ではない、と証明できるか?」
紅河は少し考えると、言った。
「証明となると、監視カメラとかの映像が必要だと思います。三次元に現れた『光の帯』が埃の舞う空中を進む時の特徴は、『風圧』を伴わないような切れ方です。実際は微細な風圧を起こしているとは思いますが、風のように埃を塊で動かすのではなく、厚みの無い切れ込みを空中に描きます。」
「私が聴いたのは、『証明できるか』ということだ。」
「監視カメラの映像を見せて下さい。」
「当方の資料はどうでも良い。君自身が証明、出来ないのかね?」
紅河は言葉に詰まった。
押塚が口を挟む。
「特殊功労者のご要請だ、映像、出してやって下さい。」
局課刑事は押塚を見て、紅河に視線を戻すと言った。
「判りました、それは後ほど。話を戻しましょう。そもそも君は、そんな時間になぜこの警察庁に居たのかね?」
紅河は真っ直ぐな目で口籠ることなく答える。
「赤羽根博士の目的は仔駒雅弓さんと南條義継の無罪証明でした。僕は、それに関するある事実情報を持っており、赤羽根博士への情報供給を目的として、博士を追ってここに来ました。」
「ふん。事実情報、ね。それは後で伺うとして、紅河さん、君はどこからこの警察庁へ入った?」
紅河は気負わず事実を言った。
「一階の窓からです。確か、何かの資料室だったと思います。」
押塚が額に手を当て、苦い顔をした。
局課刑事は言う。
「ほう。不法侵入ですか。」
「あれ?僕には『正当な理由』があるんですけど。不法?何がどう不法ですか?」
「正当な理由だと?」
局課刑事を煽るような物言いに、押塚がますます表情を曇らせる。
…おい紅河、俺は弁護できねぇんだ、ただの立会いだぞ。
「刑事さん、あの時間、窓なんか全て鍵が掛かってますよね。僕は諦めて帰ろうとしたんですよ。」
「こじ開けたのなら、罪がもう一つ重なるぞ。」
「いえいえ、中から招き入れられたんですよ。『助けて下さい』とね。その瞬間に目的が変わったんですよ。『人命救助』にね。」
局課刑事は『使い手』の方へ顔を向けた。
『嘘はついていない』と、『使い手』は目で合図した。
「ほお。もう少し詳しく話して下さい。」
局課刑事の目が鋭くなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
シトシトと小雨が降り始めた中、舞衣と京子は、霞門から日比谷公園内に入っていた。
紅河達の援護を始めた京子が、突然怯えたように縮こまり、舞衣は辺りを見回しながら彼女に声を掛けた。
「どうしたの?平気?」
京子は蒼ざめた顔で答えた。
「見つかった。警察の『使い手』に…」
「ええ?…」
舞衣はどうしたらいいか判らず、ともかく周囲に気を配った。
舞衣には何も怪しいものは見えない。
「京子、その『使い手』、追ってきてるの?」
「待って、わかんない、怖くて、戻しちゃったから…あ、ああ!」
京子の声が急に震え出した。
「え、なに、大丈夫?」
「…来た!」
京子が公園の外を見据え、震える足で後退りしている。
舞衣も京子が見ている方向を見た。が、何も見えない。
「きゃあ!」
京子が悲鳴を上げた。
右手で左手を必死に叩いている。
「え、なに、どうしたの京子!」
「掴まれた…左手…ああ、締まる、痛い…」
自身の『光の帯』を三次元空間に出現させるやり方を知らない京子には、なす術が無かった。
舞衣は考えた。
自分のやるべき事は何だったか。
…こうならないように、京子を守る為に私はいる。
…なのに、なのに…
紅河は言った。
命懸けで国家権力に楯突くのだ、と。
頭では解っていたが、いざとなると、私は何も出来ないのか?
…私だって、生半可な覚悟で来たんじゃないわ!
舞衣は、京子が『掴まれている』という左手の向きを見た。
恐る恐る、京子の左手の先に手を伸ばしてみる。
「え!?…本当に、見えないのに、何かある…」
舞衣は初めて、三次元空間に出現している『光の帯』に触れた。
その向き、角度から、伸びている方向は見当が付く。
「こんなの、切ってやるから、待っててね京子。」
舞衣はポケットからカッターナイフを取り出し、見えない『帯』に振り立てた。
パキン…
ナイフの刃はあっさり折れてしまった。
「ああ、どうしよう…」
…私は、私の役目は京子を守ること!
舞衣は『光の帯』が伸びてくる…と思われる…方向を凝視した。
…京子を捕まえようとしてるなら、『使い手』自身が近付いてくるはず。
必死に『観よう』とする舞衣。
霞門の辺りに、人影が現れた。
「あの人か!?」
舞衣は、京子にひどいことをする相手を、憎悪の念を以て睨みつけた。
その時…
「あ、ああ!」
その人影から京子の左手へ、繋がっている一本の灰色に明滅する『帯』が、舞衣の『眼』に映り込んだ。
「ちょっと何してるのよあなた放しなさいよぉおおぉ!!」
舞衣の右手からオレンジ色に明滅する『光の帯』が放出され、灰色の『光の帯』に絡みつくように空中を走った。
…ジッ…フュッ…フシュッ…ジジッ…
灰色の『光の帯』を分断しながら突進するオレンジの『光の帯』は、灰色の『使い手』に到達した。
「む!」
京子の左腕を掴んでいた『光の帯』は消え、刑事局の『使い手』はオレンジの『光の帯』を寸前で掴み止めた。
舞衣は無意識だったが、そのオレンジの『光の帯』は三次元空間に放出されていたのだった。
京子がガクッとよろけながら、
「ああ、舞衣さん、ありがとう…」
と言い、左手をさすると、続けざまに舞衣に言った。
「あの、それ、どうやるの?教えて。」
舞衣は、それどころじゃない、といった顔を京子に向けた。
「え、あ、教えてって言われても…掴まれちゃったぁ…」
「消してみて。」
「け、消す?」
舞衣は、気持ちを鎮めてみた。
オレンジの『光の帯』がスッと消える。
「あ、出来た。」
刑事局の『使い手』はテレパシーを同僚に向けて放った。
『使い手は二人だ!黄色とオレンジ。オレンジの念動力スペックは相当に高い!支援を!…』