LABO棟
赤羽根は『使い手』による追跡を雅弓に警戒させつつハンドルを握っていたが、その雅弓も助手席でウトウトし始めたのを見て、車のスピードを上げていた。
…刑事局は企画課の窓口で既に襲ってきていた。
…初手は地下二階にいた黒服。
…その黒服を気絶させた途端、上階にいた黒服を動員させた。
…コズカに備品を破損させようと煽っていただけだったが、傷害と公務執行妨害を付けることが出来、確保に移った、といったところか。
「こちらの大義はマユミへの理不尽な処置への指摘…義継君の正当防衛根拠も用意していた…。」
刑事局は『能力者』を煽り、罪へと誘い込む。
やはり湖洲香を連れてきたのは間違いだったのか。
自分一人であれば、或いは『使い手』との攻防もなく雅弓を連れ戻せたかも知れない…と赤羽根は考える。
だが、自分一人だった場合、果たして雅弓に辿り着けただろうか。
気付かぬまま一方的に思考を読まれ、体良く追い返されたかも知れない…とも思う。
…南條治信…やはり彼としっかり手を組まなければ、この状況は打破出来ない。
『元凶を正す。大元を納得させて堂々と義継を連れ帰る。』
…あなたの言う通りだ。
赤羽根は前髪をグアッとかき上げると、知人の民間総合病院へとアクセルを踏んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
治信はトイレの個室に入ると、スーツの上着を脱ぎ、内側のファスナーを開くと、裏返した。
紺色の作業着に変わった上着を着直し、作業着のポケットから作業帽を抜き出し、被る。
胸ポケットにはドライバーやペンチなどの小型道具が入っている。
黒縁の眼鏡を掛けると、個室から出た。
…さて、と。
軍手をはめながらα棟からθ棟へ繋がる通路へ向かう。
…お、これか。
ひしゃげて外れかかっている排気ダクトの前に身をかがめると、ペンチでダクトを叩き始めた。
キンキン、ガンガン、ゴンゴンゴン…
通り掛かった研究員が不審な表情で声を掛けてきた。
「なにをしている?」
「見ての通り、排気口の修繕です。これはマズイな…θ棟の通風孔にも悪影響が出ますね…。」
「こんな時間にか?」
「場所が場所ですからね。排気が機能しないと一大事になることはよくご存知でしょう?おかげでこっちは残業ですよ。」
「早く終わらせて下さいよ。」
「θ棟の配管を見ないと何とも…。」
研究員は眉をひそめたが、そのまま通り過ぎて行った。
…許可証の提示は無しか。結構ゆるいな。
治信は立ち上がり、θ棟へ向かった。
θ棟は、α棟のような白い床と壁から一変し、焦げ茶色の床に大理石調の印刷模様の壁になっていた。
喜多室からのビジョンを頼りにエレベーターを探す治信は、意外な表示を見つけた。
『駐車場→』
…地下10階に、車両が乗り入れられるのか。
警察庁の上層部が使う施設に、白木接骨院の入り口のみでは、確かに不自然だ。
この駐車場の出口は地上のどこへ出るのか、後で確かめようと彼は思った。
エレベーターを見つけた治信は、各階の設備を確認するため乗り込む。
B4 会議室
B10 研究管理センター
B11 制御システム管理センター
B12 第一LABORATORY
B13 第二LABORATORY
B14 第三LABORATORY
B15
…ラボだ。
…制御システム?
…B15には表示がない。
更に地下がある事にも驚いたが、総合病院のようなα棟とは明らかに異質な設備表示に、治信は不気味さを感じた。
…向かうは…もちろんB4だ。
治信は『使い手』による読心を警戒し、常に通風配管の構造を頭に思い描くことに努めた。
エレベーターがB4に着き、扉が開く。
エレベーターの外には、警備員が二人立っていた。
警備員がエレベーターから降りようとする治信を制した。
「このフロアーは関係者以外立ち入り禁止だ。」
「排気関係のトラブルです。ダクトの点検に来ました。」
「聞いていない。」
「地下10階が危険な状態です。ここにも影響が出ます。」
「業者名は?」
「鈴永空調です。」
鈴永空調とは、治信が探偵業で活用する実在の有限会社名である。
「問い合わせる。待て。」
警備員は腰に付けていた内線端末でなにやら話すと、治信に振り返った。
「そんな業者は予定されていない。」
治信は平然と切り返す。
「あの、どこに問い合わせました?」
「総合管理だ。」
「私、このθ棟の駐車場に直接入りましたよ。」
「なんだと?…」
警備員は二人、小声で相談をしている。
「もしかして、警察庁の要請か?」
「だったかなぁ。とにかく緊急、とのことで。なにせ空調ですからね、放っておいたら人命に関わりますから。」
「判った。手短に済ませて、このエレベーターからB10へ戻れ。」
「はいはい、了解しました。」
治信は作業帽のつばを持ち軽く頭を下げると、θ棟地下4階の廊下を進んだ。
…B10の駐車場は、警察庁関連の人間しか使えないと見た。
…そこから入った、というだけで特別扱いか。
廊下にはいくつかの扉があり、どれも仰々しい装飾の入った漆塗りの扉である。
治信の今の目的は一つ、盗聴器の設置である。
全ての扉に盗聴器を仕掛け、ついでに排気ダクトをゴンゴンと叩き、ダクトを支えるネジというネジを全て外すと、エレベーターへ戻ってきた。
「終わりました。下の階の排気が不調になると、空気のバランスが崩れます。気分の悪い方が見られましたら、生活安全企画課へ報告して下さい、とのことです。」
治信は警備員に一礼し、エレベーターに乗り込んだ。
「では、またご贔屓に。」
ドアが閉じ、治信を乗せたエレベーターはB10へ降りて行った。
…盗聴は、おそらくB4に近い方が感度が良いはずだ。
治信はスーツ姿に戻ると、α棟のB3へ上がった。
エレベーターから降り、義継と喜多室のいるβ棟へ向かう。
β棟B3の手術室2301では、崎真と喜多室が治信を迎えた。
治信は手術台の義継を一目見ると、素っ気なく椅子に腰かけた。
監視カメラが作動している中、三人は怪しい素振りを見せぬよう心掛けた。
『喜多室さん、「光の帯」の監視、頼みますよ。』
『了解した。』
治信は耳の盗聴端末に神経を集中させた。
崎真は椅子にふん反り返っている治信を見て思った。
…たった一人で上層会議に盗聴器まで仕掛けてくるとは、探偵とは恐ろしいものだな。
仕掛けた盗聴器は扉の数と同じ6つ。
治信はチャンネルを変えながら、最も音声を良く拾っている端末を探す。
…来た。
『…それは私の意図するところとは違いますね。』
『ですが、能力者犯罪の抑制という目的においては、若邑の聴取は有効であり、捜査投入にも有益な働きが期待出来ます。』
『時期尚早と言ったはずです。若邑には署内聴取が今のところ適任でしょう。』
…若邑?湖洲香さんが警察庁で暴れたこと、まだ報告が来てないのか?
『喜多室祥司は成果を挙げています。』
『彼は私が任命した。適材適所というものがあります。』
『皆月岸人の捜索には、最早一人でも多くの使い手を投入するべきかと思いますが。』
『何をそんなに焦っているのです?特査の役割は能力分析ですよ。ラボにも口を出す権限を与えているではありませんか。』
『教育を経た使い手は、臨機応変な対応が苦手という欠点が見受けられます。』
『教育、ね。一部では、洗脳まがいな投薬を施しているとの噂もありますが…。』
…洗脳?投薬!?
『洗脳ではありません。投薬は活動と睡眠をバランス良く機能させるための自律神経安定剤です。』
『先程見てきたラボの能力者ですが、まるで軍国主義の兵隊だ。私には深越美鈴の方がよほど健全に見えましたが?』
『犯罪者を健全と?警視監らしくもない見方です。』
…片方は佐海警視監か。
…深越美鈴がこのラボに?
『人間とは不完全な生き物でしょう。過ちを犯した時に、必要以上に周りに被害を及ぼさぬよう法で規制する。これは自由の束縛とは違いますよ。』
『仔駒雅弓と南條義継の危険性は報告の通りです。ラボで教育を施して更正させることが最も有効な社会治安維持だと考えます。』
治信は背筋に悪寒が走った。
『使い手』を矯正しようとしているのは佐海警視監では無く…
『報告は見ましたよ。仔駒の線路切断は凶悪犯罪です。それは理解していますがね、蓮田班長…』
…蓮田の方か!
『ですが、報告には犯人断定の確たる証拠が不足しています。全て状況証拠ばかりだ。』
『ですから、使い手によるテレパシー聴取がそれを明らかにします。』
『ええ、若邑と喜多室を使って下さい。』
『いえ、彼らは容疑者と親しく接し過ぎました。情を持ち込まれては聴取になりません。教育後の使い手を充てましょう。』
『…相変わらずの徹底ぶりだな。』
『皆月岸人の署内聴取の時、若邑は使い物になりませんでした。フィルタリングしなかった私の落ち度でもありますが…彼女にはやはり捜査一課を手伝わせる方が得策かと思います。』
『どうも解りませんね。彼女は皆月を苦手としているのでしょう?』
『母親を殺めてしまったという負い目です。逆に捜索には効果的かと考えます。』
『ふむ…検討はしましょう。』
『で、ラボで見て頂いた…ガリッ…ジッ…』
「ん…!」
盗聴器がノイズを上げ、突然切れた。
佐海警視監に付いていたガードの『使い手』が気付き、端末を切断したのだった。
…気付くのが遅いよ、ぬるい『使い手』君。
治信は右手の人差し指を立てて、喜多室にチョイチョイと合図した。
喜多室が薄緑の『光の帯』を治信に伸ばす。
『黒幕は特査の蓮田かも知れない。充分気をつけるんだ。』
『蓮田班長が?』
『崎真さんと義継にも伝えてくれ。』
『了解した。』
…さて、総合管理センターに義継の退院請求をしたところで、不法侵入で捕まるのがオチか。
治信は手術室を出てα棟に戻り、エレベーターに乗った。
B1の更に上、白木接骨院の床下に繋がる1階へ上がると、橋石へ無線を入れた。
『橋石君、無事か?どうぞ。』
『はい橋石。まだ書類撮影終わりませんよ。どうぞ。』
『オーケー、もう終わらせてくれ。帰宅するんだ。これは命令だ。どうぞ。』
『最後までやりますよ。どうぞ。』
『いや、君には重要な任務が出来た。今から言う事を赤羽根さんに電話で伝えてくれ。』
『メールを打てばいいのでは?どうぞ。』
『いや、ログは残したくない。必ず電話、口頭だ。いいか?』
『どうぞ。』
『私は喜多室さんと白楼の義継に張り付く。
崎真警部補には一旦外へ出てもらう。
蓮田は「使い手」を矯正しようとする黒幕かも知れないので注意。
赤羽根さんも身動きが取れないだろうから、
崎真さんから押塚警部にあることを働きかけてもらう。
崎真さんには喜多室さんから定期的に交信してもらう。
後のことは我々に任せて、
湖洲香さんと雅弓ちゃんの弁護策定に全力を注いで欲しい。
こちらには喜多室さんと義継という二人の使い手がいるので心配は無用。
健闘を祈る。…以上だ。』
『了解です。あの、俺は?』
『橋石君の仕事は赤羽根さんへの電話で終了だ。』
『それはないっしょ。』
『君が関われば、紅河君も関わってくる。学生は勉学に励め。以上だ。』
治信は無線をオフにした。
橋石は煮え切らないまま、仕方なく赤羽根に電話し治信の伝言を伝えると、白木接骨院を出てタクシーを拾った。
その30分後、白木接骨院から崎真が出て来た。
彼は直ぐさま、押塚警部に電話を掛けた。