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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
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黄色い天使

小林京子こばやしきょうこが『光の帯』で視る高次元空間の警察庁は、三次元空間のそれと寸分違わぬ、規則正しい格子状の壁面に電波塔が乗った景観である。

背景も、三次元空間と変わらぬ明るさだ。


だが、瞳だけをスッと横へ流すように『光の帯の視線』を左へ動かすと、地面がグニャッと着いてきて左も下になり、水平だった地面は弧を描き、警察庁の一階は大きく伸びて湾曲する。


これを、視線を右へ戻すと、左の地面が隆起するように着いてきて、警察庁を左から突き上げるようにアスファルトが伸び上がる。

この状態を三次元の感覚で受け入れてしまうと、上下が解らなくなり…『溺れ』てしまう。


一つ変わらず、上下感覚の指針となるものは、生き物が発する『光』で、これは景色がどう歪もうと、三次元の水平な地面をそれに沿って動いて行く。

湾曲した地面が遮っていても、それを透過して進んで行く。

そして、その『光』は、障害物の向こうへ透過して進んでも、透けて視えている。


『光』の肉体の輪郭は1メートル辺りまで近付かないと、判らない。

だが、輪郭を捉えても、動いた軌跡が重なり、肉体が進行方向へ伸びて行くように見えてしまう。

視線を外し、再びその『光』の肉体を見ると、元の輪郭に戻っていたりする。


歪んだ景観を視覚的に元に戻す方法を、京子は知らない。

『元に戻す』という概念自体、この高次元空間の法則に反する。


だが、この幻惑のような景観を回避する方法は知っていた。

景色を『真っ白』にすることだ。

そうすれば『光の帯』が知覚するものは、生き物の『光』のみになる。


この真っ白な背景の中でも、生き物の『光』は、どんなに白に近い色でも、まるで暗闇の中のそれのように、はっきりと見える。

それはその『光』が白であっても、はっきり知覚出来るのである。


京子は警察庁の各階を動いている多数の『光』から、『明滅する白』を捜した。


…いない、いない…


京子は一階…と思われる場所…から、上へ上へと捜していった。

『光』に接近する度に、その思考が京子の脳へ流れ込んでくる。


『…所轄の動きをもっと…』『…昨日誘われてさぁ…』『…なんで放置した…』『…また怒鳴られた…』『…詐欺の手口が…』『…交機やり過ぎなんだよ…』『…書類作りばかり…』


…違う…いない、白い『光』…


もう上に『光』が見当たらなくなると、今度は黄色い『光の帯』を急降下させ、地面より下を捜した。


「あ…」


京子の本体を見守る南條治信なんじょうはるのぶ紅河淳くれかわあつし橋石拓実きょうせきたくみは、声を漏らした彼女を見た。

治信が聴く。


「どうした?」


だが京子は返事をせず、捜索に没頭している。


…明滅する『光』…でも、あれは白じゃない…灰色…

…すぐ側に薄いピンクの明滅する『光』もいる。


京子は思考を読もうと灰色に明滅する『光』に接近した。

すると…


「え、あ、え!?」


その灰色の『光』もこちらへ伸びて来た。


京子本体はやや下へ視線を落としたまま、右手をビクッと震わせた。


「京子さん、どうした、京子さん!」


治信は血圧計を見た。

少し下がっているが、まだ正常な値である。


灰色の『光の帯』が、京子の黄色い『光の帯』を掴もうとした。

だが、高次元空間にある京子の『光の帯』は捕まることは無い。

スカッと透過して交差する『光の帯』。

その瞬間、京子の脳に軽い痺れが走った。


「は、灰色、灰色の『使い手』…ピンクも見えた…」


治信が聴く。


「灰色?警察庁の中なのか?どんな人物だ?」

「わからない、わからないけど、襲ってくるような…ああ!」

「どうした?京子さん!?」


京子の『光の帯』は警察庁の外へ逃げた、が、灰色の『光の帯』は追いかけてくる。

京子の両手がビクッビクッと痙攣したように動いた。


『…ビッ…ジッ…ジジッ…』


黄色い『光の帯』と灰色の『光の帯』は数回交差した。

だが、京子の『光の帯』が灰色の『光の帯』の本体から数km離れると、それ以上は追って来なかった。


「ふっ…ふっ…はっ…ハァ、ハァ…」


京子は小刻みに息を切らせている。

顔は蒼ざめ、額には粒の汗が浮いていた。

治信がタオルを京子の額にポンポンとあて、汗を拭き取る。


「大丈夫か?無理しないで。」


京子は呼吸が落ち着くと、言った。


「まだやる。」


京子は自分の『現在地』を確認するため、『景色』に意識を向けた。

複雑に歪んだ景色は、既に上下が全く判らなかったが、規則正しく並んで進んで行く『光』を見て、道路の形と地面の位置は把握出来た。

規則正しく進む『光』は、車を運転するドライバーである。

それを道路だと認識出来れば、歪んだ景観でもおおよその位置が掴める。

『溺れ』そうになった京子は、景色を真っ白に変えた。


その時である。

京子は数メートル先に、淡い緑色の『光の明滅』を見た。

地面…と思われる位置…から5メートル位上、おそらく何かの建物の二階である。

京子は身構えた。


「はる、のぶ、さん…」

「どうした?」

「緑、薄い緑、『使い手』みたい、です…。」


治信と紅河が同時に思った。


喜多室祥司きたむろしょうじだ。


治信は、喜多室が敵なのか味方なのか、まだ測れずにいた。


「京子さん、近くに義継よしつぐはいないか?」


京子は薄緑の『光』へ上空から慎重に近付き、周囲を観察した。


「白い『光』、すぐ側にいます。でも…明滅してない。光も弱い。」


その白い『光』は義継だった。

肉体が睡眠中の『使い手』は、その霊体の明滅を止める。

皆月岸人みなづききしとが県警内を偵察したあの日、湖洲香こずかをキャッチしながらも特定できなかったのは、その時の湖洲香も睡眠状態にあったからだった。


治信は紅河に意見を求めた。


「紅河君、どう思う?」


紅河は少し考えてから言った。


「まず、その白い『光』が義継君では無い場合、義継君に張り付いているはずの喜多室が義継君から離れていることになりますね。では、『使い手』の義継君を、警察は一体誰に監視させているのか?という疑問。」


治信は黙って聴いている。


「で、白い『光』が義継君である場合、動かずに張り付いている喜多室の行動は理解できます。」


治信は京子の顔色と血圧、心拍数を見た。

かなり数値が落ちている。


「京子さん、無理強いはしたくない。だが、行けるなら、薄緑の『使い手』の思考を、一瞬でもいい、覗いてきて欲しい。」


治信は祈るような目をして言った。

京子が真っ青な顔で、ニコッとして応える。


「いきます。私、怪我するわけじゃないし、逃げ足、早いの。」

「京子さん…すまない…」


京子の黄色い『光の帯』は、ゆっくりと降下し、薄緑に明滅する『光』へ近付いて行った。

その思考が京子の脳に流れてくる。


『…このままではラボの「使い手」に拘束されるのを待つだけだ…義継君を逃す手立てを…』


京子本体の目が艶めいた。


「いました!白い『光』、ヨシツグさんと思う!」


治信が身を乗り出した。


「そうか!見つけたか…。」


治信は両の手をグッと握りしめた。

彼は自分の浅はかな行動から弟の義継に怪我を負わせ、警察に逮捕させてしまったことに、自分自身に耐え難い怒りを向けていたのだった。

紅河が聴いた。


「喜多室は、緑は、なんて?」

「ヨシツグさんを逃さなきゃ、って。」


治信が言った。


「京子さん、もういい。君の『色』が刑事である喜多室にバレてしまう。戻って来てくれ。」


京子はやや下を向いたまま言った。


「いいの。緑の人ともっと話す。決めたの。ヨシツグさん助けるって。」


京子は少しづつ襲いつつある眠気に耐えながら、喜多室との交信を試みた。


『その白い人、ヨシツグさんね?』


『む!…誰だ?…黄色い光の帯…』


『手伝いたいの。どうすればいい?』


『この感じ…女か…あなたは誰なのです?』


京子の無防備な思考が、『誰』に反応し、自分の名を思い浮かべてしまった。


『小林京子…崎真さきま主任がマークした一年生か…』


『私のことはいいの。どうすればヨシツグさんを助けられますか?』


義継を助ける、という表現が、喜多室に、自らの中途半端な行動を後悔と共によみがえらせた。


『俺が義継君を止めていれば…「光の帯」の物理攻撃と機関拳銃の掃射…なんという目に遭わせてしまったんだ…俺が…俺が至らないばかりに…』


『大丈夫。心配しないで。』


『…え?』


『今のあなたはヨシツグさんを助けようとしてる。』


『…』


『失敗なんて、誰でもする。』


『…この子はどうして…怒らない…』


喜多室は刹那、天井からゆっくり降りてきた京子の黄色い『光の帯』が、その包み込むような穏やかさが、天の使いか何かに思えた。

争いを知らない、ただただ人を思い遣る思念。

自己嫌悪に陥り、大怪我をして未だ目を覚まさない義継を前にこれといった手立ても思い付かず、刑事局を裏切るという背徳感も加わり、押し潰されそうな不安の中にいた喜多室。


黄色い『光の帯』の思念は、喜多室に勇気を与えた。


『君は、赤羽根伊織あかばねいおりを知っているか?』


京子は、治信に『アカバネイオリ』という名を告げた。

頷く治信。


『知っています。』


『彼女に伝えてくれ。義継君は白楼はくろうと呼ばれる非公式の医療機関にいる、と。』


京子は激しい睡魔を感じつつも、治信へ伝え続けた。


「ヨシツグさん、ハクロウに、医療機関…アカバネイオリさんに…伝え…」


京子は、意識を失うようにソファに倒れ込み、眠りに堕ちた。

喜多室の頭上にいた『黄色い天使』は、消えた。

治信はスーツの上着をそっと京子にかけた。


「ありがとう、京子さん…。」


紅河は、寝息を立てる京子を見て思った。


…この子、こんなに芯の強い子だったのか。

…頼りない天然ドジっ子にしか見えなかったが。

…女の深い情って、強さだな…


橋石が治信に言った。


「こんな子がここまで頑張ったんです。俺にも義継救出、やらせて下さいよ!」


治信はこめかみを叩いていた指を止め、言った。


「まぁ待て。一番燻ってるのはこの私だ。京子さんが集めてくれた情報を整理する。」


…灰色の『使い手』は敵と考えておく。

…ピンクの『使い手』は誰だ?…赤羽根博士へ伝える。

…喜多室の意思は義継救出…一応グレーとしておく。

…ハクロウ?医療機関…赤羽根さんへ確認。

…今のところ喜多室が義継を監視、だが時間は無いと考えた方がいい。


「橋石君、紅河君、私はまず県警特査の赤羽根博士と情報共有し、対策を練る。タクシーを呼ぶから、京子さんをご自宅へ送ってくれ。必ず連絡する。」


治信の言葉に二人は頷いた。

紅河が眼光を鋭くし、治信に言った。


「必ず、ですよ。」


治信は紅河の目を睨み返した。


…こいつ、一人前の男の目をしやがって。


「覚悟しとけよ。ハクロウとやらに乗り込むぞ。」


紅河は眠っている京子を抱き上げ、橋石とともに南條探偵事務所を後にした。

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