地雷
県警、特査研究室。
「臨床試験を行うですって!?」
『使い手』から能力を除去する手法の策定を指示されていた赤羽根は、その報告に『現在の医術では不能』と結論付けたにも関わらず、その論文工程にある『扁桃体の血流活性』を指摘しての研究に承認をしろ、との内示が降りてきた事に抵抗を示した。
「ああ、大脳辺縁系の扁桃体に共通して観られる血流の活性化があるなら、簡単に言えば、そこを壊してみろ、という試験だ。」
蓮田班長が淡々と答える。
赤羽根が噛み付く。
「班長だってご存知でしょう?扁桃体がどこにあるか、それを不全にするとどうなるか…」
「他者の感情を読み取れなくなる、かな。」
「それだけではないでしょう。人間ではなくなりますよ。」
「唯一『光の帯』発動時に明白な変化が観られる器官がそこなら、そこから切り込んでいくのが研究というものだ。」
「そもそも、不安や恐怖を感じただけで扁桃体には似た状態が発生します。『光の帯』発動のトリガーだとは私は断定していません。」
「君が断定できるほどの研究データは無い。だからこれから積み上げる。」
「我々は『光の帯』を霊体の一部だと仮定したのですよ?じゃあ霊体って何ですか?私の報告は、霊体が肉体の器官とどう結びついているのか、現段階では解明できません、という内容です。」
「それを解明するために我々がいる。」
…悔しいけど、班長が言っていることは正論ね。
…でも…
「私は承認致しません。まだ分析不足です。倫理の問題も大きいでしょう。」
蓮田は少し考えると、
「うん…赤羽根君の意見は判った。臨床試験の検討議事として、私から報告しておく。」
と言い、研究室を出て行った。
…班長はなぜあそこまで冷徹になれるのだろう?
赤羽根のそれは愚問であった。
博士号を持つ研究者の使命は何か?多くのエラーを踏み台にして結論を導き出すことだ。
それは赤羽根自身も充分に理解していること。
だが、見えもしない、物理計測も出来ない、そんな不確定な『光の帯』の研究のために、健康な人の器官を故意に不全にするなど、行っていいことだろうか。
…被験体は確保されているらしいけど、それが今後コズカや雅弓に及ばない保証はない。
…いや、確保されているという被験体、それが犯罪者だろが死刑囚だろうが、許されることだろうか?
赤羽根は南條治信の言葉を思い出していた。
『狂ってる』
赤羽根は、血を見ても、遺体を見ても、献体解剖も、さほど動揺しない。
自分にとって医学や心理学は天職だと思っていた。
だが…この臨床試験はおぞましい。
神様とやらがいるのであれば、なんという試練を人類に与えたのか…。
…銃刀法違反の追加条項、決議には一年を要するとの話でまだ安心していたけど、どう転ぶか判らないわね。
考え事をしていた赤羽根の傍らで内線が鳴った。
…刑事部長室?
「はい特査。ああ、はい、私です。」
…蓮田班長が部長室から?
「…ええ、はい…ええ?雅弓を?…ええ…ご指示とあらば、はい、はい…解りました。」
…雅弓を警察庁へ外出させるですって?名目は義務教育カリキュラムに関する道徳倫理観のレベル検査、か。
警察庁とは、東京の霞ヶ関にある行政機関、日本警察のトップに位置する機関である。
…霞ヶ関へお出掛けは、まぁいいとして、その道程に『地雷』がないかどうか。
「ああ、もお、全てが怪しく見えてくるわ…。」
別室では、湖洲香が消しゴムを約1mテレポートさせる実験に取り組んでいた。
なかなか成功を見ない状況に、湖洲香は疲弊していた。
「手で運んだ方が早い…ああ、違う、運ぶことが目的ではありません…寝てはダメよ、私…。」
研究室の予備室では、雅弓が算数のドリルを解いていた。
「♬ふんふんふんふふ、ふふふんふーん…。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
仔駒雅弓の外出日。
同伴は赤羽根伊織のみ、二名での警察庁訪問である。
覆面パトカーのハンドルを握る赤羽根は、助手席で携帯電話をいじっている雅弓に声を掛けた。
「ずいぶん熱心ね。」
「ネトゲ。」
…ゲームかい。
「チャット機能とかついてるの?」
「ない。点数競うだけ。」
「そう。」
…それならいいか。
二人の乗る車が踏切にさしかかった。南土蔵駅と槍塚駅の間の踏切である。
カンカンカンカン…
遮断機が降りる。
踏切待ちの先頭に乗用車一台、そのすぐ後ろが二人の乗る覆面パトカーである。
その後ろにも数台連なっている。
「♬ふふん、ふふん、ふっふっふーん…」
雅弓は携帯ゲームに夢中である。
電車が来た。
カンカンカンカンカンカン…
ゴォォオオオ…
ギャリッ…ゴンッ!…キーキキキキー…
「え!」
地響きと共に、通過する電車が変な揺れ方をし、続いてブレーキのかかる金切音が響いた。
「なに?脱線?」
「うあ!」
キーキキキ…ギャリギャリギャリ…キッキッギャリッ…
通過列車は止まった。
横転はしていないようだ。
「マユミ、車から出ないでね。ちょっと見てくる。」
「私も。」
「駄目。待ってなさい。」
「モジャオバン!」
…モジャ…
「ああ、もう!」
赤羽根は助手席から降ろした雅弓の手を握ると、踏切に近寄った。
線路を見る。
アスファルトで固めてある部分が終わる踏切の端辺り、線路が一部切断され、斜めに転がっている。
改めて列車を見た。
やはり横転はしていない。負傷者はなさそうだ。
赤羽根は線路の鉄鋼の切断面を見て、背筋に悪寒が走った。
すぐさましゃがみこみ、雅弓に聴く。
「マユミ、見えない?『光の帯』。」
雅弓は薄ピンクの『光の帯』を3m程頭上へ伸ばし、風呂敷のように広げると、上から辺りを見渡した。
「あ!」
「なに?」
「あ、消えた。空中。」
「見えたの?」
「うん。少し。すぐスッて消えちゃった。」
「色は?」
「んー、わかんない。」
「よく思い出して。」
「キラキラって、白っぽいような。」
「白?」
「んー、だってすぐ消えちゃったんだもん。」
…義継君がこんなことするわけ…あ。
赤羽根は喜多室に電話を掛けた。
「…赤羽根です。義継君に何か動きある?…ええ、ええ…そう、ありがとう。」
…義継君は登校、授業中。『光の帯』の放出見当たらず。アリバイあり。
ホッとする赤羽根。
…白、白…まさか皆月岸人?
「ね、マユミ、ほんのちょっとでも色、判らない?」
「んー…黒かも。」
「黒ぉ?白って言ったじゃないの!どっち?」
「わかんない!」
…待てよ、背景は空、『光の帯』の色素知覚は…理論的には、白にも黒にも見えるのはグレーしかないわね。
…水色ではない。ベージュでもない。
「マユミ、戻るわよ。」
赤羽根が雅弓の手を引き車に戻ろうとした時である。
「赤羽根博士ですね?」
「え?誰です?」
「刑事局捜査第一課…」
そう言ってその男は警察手帳を開いた。
…刑事局ですって!?なぜこんな所に…
「そちらは仔駒雅弓さんですね?『能力者』指定同行、ご協力願います。」
…やられた!!
雅弓の手を握ったまま立ち尽くす赤羽根の額から、汗が一筋流れ落ちた。
…雅弓の仕業に仕立て上げられたらアウト。どうする…
…こちらの手持ち情報は『グレーと思われる光の帯を知覚』。
…いざとなれば、マユミに聴取係の思考を読ませるわ。
「…判りました。上司に電話させて下さい。」
「どうぞ。」
雅弓は不安そうに赤羽根を見上げている。
赤羽根は雅弓の手を握る手にギュッと力を込めると、上司の蓮田ではなく、南條治信の番号に掛けた。
そして、ワンコールで切った。
「あら、違う…。」
そう言うと赤羽根は蓮田に掛け直した。
「…赤羽根です。鉄道脱線事故発生、現場は……それで、仔駒雅弓の『能力者指定同行』に私も。…ええ…はい。」
赤羽根と雅弓は刑事局のパトカーに同乗し、乗ってきた県警の車は別の警官が戻すこととなった。
移動の車中で赤羽根は、携帯電話をいじっている雅弓を咎めた。
「やめなさい、マユミ。」
「なんでよ!」
「ちょっと貸しなさい、それ。」
嫌!…と言おうとした雅弓は、赤羽根の目を見て言葉を止めた。
赤羽根の目は何かを伝えようとしている、ということに雅弓は気付いた。
黙って携帯電話を差し出す雅弓。
赤羽根は受け取ると、ログオフ操作をするフリをして、また南條治信へワン切りした。
雅弓に携帯電話を戻す赤羽根。
「パトカーの中で遊ぶもんじゃないわ。」
…マユミがカンの良い子で良かった。
…初めて見る刑事の前では『光の帯』を出すな、という教えも守っているようだ。
…見殺しになんかしないわよ、マユミ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「デートのお誘いではなさそうだが。」
南條治信は、赤羽根のワン切りの意味を考えていた。
パソコンでは赤羽根の携帯電話の所在をGPS追跡している。
「それともう一件の着信…小林京子だろうか?」
…いや、相談があるならワン切りはしないだろう。
…この番号は一体…
後から掛かってきた番号もGPS検索に引っ掛かったが、場所が数カ所表示され、中には外国の所在地を示しているデータもある。
しかし、治信にはそれで充分だった。
「この番号の端末は…赤羽根さんと一緒に移動しているこいつだ。」
治信は右手の人差し指でこめかみをトントンと叩く。
…ワン切り…会話が出来ない状況…同じ場所にある端末二台で両方ワン切り…
「危険信号と受け取った。」
治信は県警捜査一課の崎真警部補に電話を掛けた。
「…南條です。…どうも。今日、赤羽根博士と湖洲香さんはどちらへ外出?」
「知りません。」
「それはおかしいな。あんな少人数で動いてる使い手対策班が、お互いの予定を知らない?」
「…博士は…霞ヶ関のはずです。若邑は県警にいるはずです。警察の動きをペラペラしゃべる刑事なんかいません。勘弁して下さい。」
…赤羽根さんと一緒にいるのは湖洲香さんではない、か。
「博士は誰と警察庁へ?」
「言えませんよ。切りますよ!」
ブツッと電話は切れた。
…赤羽根さんは一人で二台の携帯、ではなく、同伴者がいる。
…その同伴者は私へのワン切りを承諾した、言わば味方。
…ちょいと危険だが、掛けてみるか。
治信は二つ目の着信、雅弓の番号に掛けた。
パトカーの車中。
「あ、イオリ、ほら!」
雅弓の携帯電話がムームー唸っている。
助手席の刑事が横目で後部座席を睨む。
赤羽根はすぐさま、雅弓の携帯電話に手を伸ばすと、通話状態にした。
「なによ。メール?後にしなさい、仔駒雅弓ちゃん。」
「え、だって、え、どうするのこれ。」
「警察庁で『能力者』聴取が終わるまで触らないでおきなさい。」
赤羽根はもう一度雅弓の携帯電話に触ると、通話を切った。
「はい。しまっときなさい。」
「うん。」
睨んでいた刑事は前へ向き直った。
額に汗する赤羽根。
黙って聴いていた治信はすぐさまメモを取った。
…コゴママユミ、能力者、聴取、声や口調から小学生くらいの女の子、と。
「いいねぇ、伊織さん。」
こうもコンビネーション良く情報が供給されてくるとは思っていなかった治信は、機転が利く赤羽根に感心した。
コゴママユミは能力者、警察庁で取調べ、しかも警察側にも『能力者』だと断定されている。
この状況でSOSとなると…
「この少女が冤罪で確保され、それを助けたい、といった所か、な。」
状況は判ったが、さてどうしたものか。
治信の選択肢に、赤羽根を見捨てる、は無い。
だが、自分が駆けつけたところで出来ることは何も無い。
なるべく義継は使いたくない、が…
「メロンでいくしかないな。」
治信は義継へメールを入れた。
県立土蔵西高校。
授業中の義継は、ビクッと身体を震わせると、目を覚ました。
「んあ…。」
…うお、兄貴だ。なになに?
アルファベットと数字の羅列であるメールを読み、義継は思わず叫んだ。
「メロンを!?」
教師が義継を睨む。
義継はガタッと立ち上がり、
「せんせー、お腹痛いんで帰りまーす。」
と言うと、手ぶらで教室を出て行った。
セーラー服姿の義継に教員は、
「…ったく、いつもいつも、変態学生めが…。」
と愚痴り、黒板へ向き直った。
教室から出ると義継は、すぐに白い『光の帯』をブワッと放出し、正門から少し離れた場所に停車している車へ飛ばした。
『メロン、じゃないや、喜多室さんて言ったっけ』
『む…なんだ堂々と。』
『赤羽根伊織、小学生少女の能力者、刑事局が確保、SOS、GPSで移動経路追える』
『なに…確保!?どうして君がそれを?嘘や撹乱か?』
『おや、確保でなぜ驚く?小学生の少女って誰?』
テレパシーによる対話のコツは、質問されても『考えない』で、質問で返すことだ。
テレパシー慣れしている義継の方が一枚上手だった。
喜多室は迂闊にも仔駒雅弓とのいきさつを思い出してしまった。
『ふうん…ほほぉ、コンビニの…なるほど。助けたいなら僕と行こう、霞ヶ関へ。』
『…赤羽根博士は、南條義継は信頼できると言っていたが…』
『思考が筒抜けだよ喜多室さん。信用とかいらないからさ、無実の能力者は助けよう。』
『ううむ…私の役目は義継君、君の現行犯を押さえることだ。行動を共にするなら、それも良しか。』
『物分かりがいいね、喜多室さん。…ん?』
喜多室の車へ向かっていた義継の携帯電話に着信。
義継はフッと白い『光の帯』を消した。喜多室に知られたくない名が着信モニターに出たからだった。
同じ土蔵西高の生徒、橋石拓実である。
クラスは別であるが、教室の窓から義継が出て行く姿が見え、電話してきたのだった。
…キョウ、悪い、君は巻き込めない。
義継は電話に出ず、そのまま喜多室の車へ乗り込んだ。