疑念の一致
南條探偵事務所。
南條治信は3台のパソコンを駆使し、外部情報網から集められたデータに目を通していた。
…来た!こいつだ。
若邑湖洲香在院時、16年前の『緑養の郷』業務管理資料及び就業日報等の報告資料。
更には、パスワードが二重に掛かった院長関連資料。
すぐさま治信は、パスワード解析をその筋の知人に依頼送信する。
…頼みますよ、っと。
「まずは業務計画と就業日報は…と。」
湖洲香が警察関連施設へ移送…幽閉されたのは皆月陸子死亡の翌日。
だが、業務予定表にて湖洲香の移送予定日が設定されたのは皆月陸子死亡の二週間前であった。
…湖洲香移送の理由が皆月陸子殺傷であるなら、明らかにおかしいな、こいつは。
更に、児童の昼寝時、湖洲香にはそれまで担当職員がずっと付いていなかったにも関わらず、皆月陸子死亡のその日のみ、皆月陸子が担当として充てがわれている。
…湖洲香さんがその記憶に、皆月陸子はとても優しい保母だったと強く印象付けていたのは、それまで添い寝など誰にも、一度もしてもらえなかったから、か。
皆月陸子には当時1歳の息子がいた。その息子、皆月岸人も母親の職場である緑養の郷へ連れられ、孤児ではないが、入院児童と同様に養護を受けている。
その岸人は、皆月陸子死亡の日に限り、母親である陸子とは別室での昼寝となっていた。
1歳の岸人が母親と同室であってもよさそうなものだ。
…皆月陸子は湖洲香の手によるもの、と断定させる為の工作、といったところか。
「もし、3歳の幼女にやってもいない殺人の認識を意図的に擦り込んだとしたら…悪魔の所業だ。」
治信の目に嫌悪と憎悪の色がよぎる。
「…お!さすが、早いな。」
院長関連資料のパスワード解読完了が送信されてきた。
ファイルを開く治信。
…なんだこいつは…
注視すべきポイントをかいつまんで抽出すると以下になる。
『緑養の郷』運営資金は国家公安委員会の予算から組まれている事実、
『緑養の郷』院長、名は佐海藤吉、当時年齢63歳には、『読心術』の特殊能力があったこと、
佐海院長の業務に『読心術鑑定』というものがあり、入院孤児を鑑定し能力があるかどうか見定めるというものであること、
佐海院長の鑑定により『素養あり』と断定された児童は、全て警察関連施設へ移送となっていること、
『素養あり』児童の中で、退院や脱走を行った孤児は、そのほとんどが遺体で発見されているという事実、
『緑養の郷』への入院孤児は、そのほとんどが身内や身辺に変死、怪死を遂げている故人がいること…。
「これではまるで…」
…テレパスを捜し出し警察へ送るフィルター機関じゃないか。
更に治信は、佐海藤吉という氏名から同族検索を掛けた。
『佐海慶一郎、年齢42歳、男、警察庁刑事局 局長、警視監待遇』
治信はタバコに火を点け、人差し指でこめかみをトントンと叩いた。
…大体は見えてきた。
…だが、ここから先は義継と二人だけではキツイ。
弟の義継が警察の4名とこの探偵事務所で接見したあの日、治信が想定した中でも最悪の事態へと事が運んでいることが、実感として治信の胸中にのしかかった。
なんとか警察内部の人間を味方に付けたい。
治信は、捜査一課の崎真、特査の赤羽根、二人の顔を思い描いていた。
また、彼の脳裏に、紅河淳、橋石拓実という二人の高校生が過った。
義継が心の支えとしている友人…だが彼は頭を振り、それを振り払った。
未成年で無関係な彼らを巻き込んで良いことではない。
この一件は、義継の命に関わるかも知れない危険極まりない案件なのだ。
…事実が示す『警察に集められる能力者』、その目的だが…
治信の疑念。
それは口に出すのも恐ろしい闇の画策。
…警察の『使い手』と外部の『使い手』を潰し合わせて…全『能力者』の殲滅。
「俺の考え過ぎであって欲しい…。」
いっその事、義継が退院したら海外へ一時退避、とも考えるが、湖洲香の安否がはっきりしないうちは義継が着いてこないだろう。
…有事の際は、闘うしかないのか。
あまりにも強大過ぎる敵に、治信は固く瞼を閉じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「保護観察?あの子を、私が?」
あまりにも唐突で無茶な指示に、赤羽根の声はひっくり返ってしまった。
蓮田班長は、もう決定事項だよと言わんばかりに、平然と赤羽根を諭すように言った。
「ああ、少年心理学、医学、社会学、教育学に精通、更に『使い手』の監視役経験あり、赤羽根君が適任なのは明白だ。よろしくな。」
「社会学ない!教育学知らない!なんなんですかもう。」
「若邑君を上手く使うことだね。じゃ、そういうことで。」
「ちょ、待って、班長、蓮田班長!」
蓮田は特査研究室を出て行った。
赤羽根は両手で髪を掻きむしり、予備室にいる二人をガラス越しに見た。
湖洲香と雅弓が険悪な表情で睨み合っている。
湖洲香は涙目だ。
「んん?」
赤羽根は予備室のドアを開け入って行った。
「何してんの、あんた達。」
「オバンが頭ぶった!」
「だって、雅弓ちゃんが、こんな所簡単に出れるって言うから、駄目なのよって頭軽く触っただけなのに、『光の帯』で私のほっぺ叩いたんです…ぐすっ…」
「泣かないコズカ。みっともない。」
「みっともなーい、みっともなーい。」
「あんたも黙れ!ガキ!」
「なによブスオバン!」
「ブスオバ…」
…私は心理学者、落ち着け、私は心理学者、落ち着け…
その時、特査の内線電話が鳴った。
赤羽根が出る。
「はい特査。…喜多室さん?もちろんオッケー、と言うか一秒でも早く来て。お願い。」
数分後、特査のドアがコンコンコン、と三回ノックされた。
赤羽根はガバッと勢いよくドアを開け、通路にいた喜多室の腕を掴み引き入れると、バタンッとドアを閉め、喜多室の腕を掴んだまま、第二のドアにICカードを通し開いた。
「あの、どうしました、赤羽根博士…。」
「いいから来て。助けて。」
喜多室の姿を見た雅弓は、
「あ、祥司!ケータイ出来た?」
と急にニコニコし出した。
喜多室は赤羽根を見て、
「オジンから祥司に昇格です。」
と言うと、雅弓に契約したばかりの携帯電話を渡した。
「ほら。」
「ありがとう祥司!」
「ここに居れば料金は警察が払ってくれるから。あまりネットを使い過ぎるんじゃないよ。この赤羽根博士が上の人に怒られるからね。」
雅弓は返事もせず、手近の椅子にちょこんと座ると、携帯電話をいじり始めた。
「あ、そこは報告書を書くデスク…」
「ブスオバン!」
…落ち着け、私は心理学者、私は心理学者、私は…
喜多室が苦笑しながら言った。
「私の用事はこれだけです。雅弓ちゃん、今日はこれから何をするんです?」
「それが、急に押し付けられて、まだ業務予定を組んでないんですよ。」
「それなら、若邑さんに、お風呂やトイレ、寝室など、生活設備を案内してもらったらどうです?」
赤羽根は、修復されたばかりの壁の破壊跡を指差し、
「二人だけにすると、またこんな事にならないか、心配でして…。」
と言った。
喜多室は軽く笑顔を作ると、赤羽根を事務室の方へ連れて行き、答えた。
「それは大丈夫だと思いますよ。あの子は金銭強盗や万引きが悪い事だという認識を持っていましたし、悪い事をした罰として軟禁されたという事も理解しています。もともと彼女にとって外の世界は敵だらけのようなものでしたから、ここに楽しいことがある、と思わせれば、大人しくしているでしょう。」
「ふむ。」
「雅弓ちゃん、勉強したがっていますよ。義務教育をガンガンやらせておけば、それがあの子の楽しみになるのではないでしょうか。」
赤羽根は腕組みしつつ、ギロッと喜多室を見た。
「あ、ああ、これは、あの子のカリキュラムに口を出してしまったみたいで、出過ぎた真似を…。」
「いえ、そうではなくて、ね…」
赤羽根はしばし喜多室を見ていたが、視線を外すと、
「コズカ、ちょっとコーヒーいれてくれる?」
と言い、喜多室を椅子に座らせると、椅子をもう一つ引き寄せて、同じデスクに座った。
湖洲香がコーヒーを二つ運んで来た。
「それと、雅弓ちゃんに生活設備を案内して来て。頼むわね。」
「はい。」
赤羽根は、湖洲香と雅弓が事務室を出て行くのを確認すると、デスクに身を屈め、メモ用紙に文字を書いた。
『カメラの死角で筆談』
喜多室はそれを見て、目で頷いた。
喜多室の『光の帯』によるテレパシー通信という手もあったが、湖洲香とのテレパシー通信を経験している赤羽根は、雑念まで浮き沈みしながら混ざってくるあの感じが苦手であった。
赤羽根『雅弓の投入、刑事局の目的は?』
喜多室『対使い手要員として育成』
赤羽根『対使い手?どこの使い手?』
喜多室『使い手犯罪者』
赤羽根『その使い手犯罪者人口は?』
喜多室『知らない』
赤羽根『それも知らずにいきなり現場投入?おかしくないか?』
喜多室『現に雅弓の窃盗、桜南高の損壊、皆月の殺人未遂』
赤羽根『それ全部今年の4月。過去の使い手犯罪件数は?』
喜多室の手が止まった。
赤羽根がボールペンで喜多室をチョイと突く。
赤羽根『教えてあげる。使い手犯罪件数など0に等しい』
喜多室『今後の防止、抑制では?』
赤羽根『だから、雅弓、なぜここなの?あなたのように刑事局おかかえで育成が順当』
喜多室は再び手を止めた。目が左右へ泳いでいる。
赤羽根『あなたは刑事局の味方?現場の味方?』
喜多室『刑事局と現場は対立してるのか?』
赤羽根『違う。雅弓投入で何か隠してないか聴いてる』
喜多室は少し間を置き、書いた。
喜多室『対使い手要員としか聞いていない』
赤羽根『信用できない』
喜多室『逆に聴く。何を懸念してる?』
赤羽根は、これがこの筆談のターニングポイントだ、後戻り出来ない、と覚悟を決め、書いた。
赤羽根『精神稚拙な雅弓の現場での暴走、事件の誘発』
喜多室の表情が硬くなった。
信用できないと書きつつも赤羽根は、喜多室を信用していないと書けない内容だ。
喜多室『そこまで考えてなかった。あり得ないことではない』
赤羽根『だとしたら、刑事局はどんな結果へ誘導してる?』
喜多室は手を止め考えた。
彼の手が震え出し、額に汗が滲み始めている。
喜多室『警察内使い手の不始末誘導』
そう書いて喜多室は、それをクシャっと丸め、書き直した。
喜多室『使い手の存在否定、極刑か抹』
…抹殺、と書こうとして、手が震えそれ以上書けなかった。
赤羽根はこれまでのメモ用紙を全て束ねるとシュレッダーで裁断破棄した。
喜多室は震えながら赤羽根を見た。
赤羽根は喜多室の肩をポンと叩き、
「あくまでも仮説、ね。」
と言うと、彼の右手の平に、
『あなたも助けたい』
と書き、すぐに親指でこすり消した。
と、その時、
ゴンゴンゴン
と三回、ドアがノックされた。
音が妙に重い。
赤羽根がドアを開けると、湖洲香が立っていた。
額の真ん中が少し赤い。
「おでこでノックしました…。」
「何してんのあんた。」
「だって、手を縛られてて…。」
見ると、湖洲香は両腕を背中に回している。
だが、紐やロープの類いは全く見えない。
「オバン逮捕。」
「ピンクの『光の帯』で縛られてます…。」
「そんなもんあんたの真っ赤で凶暴なヤツで引きちぎってやりなさい!全く…」
「でもぉ…。」
三人の後ろで、喜多室が苦笑していた。