消えた使い手
県立中央病院。
精密検査の結果データを見ながら、赤羽根は自分の気絶の原因を探っていた。
「…なるほど、これは迷走神経をやられた可能性が高いわね。」
後遺症も出ていないことから、一時的な血流遮断による失神であることは判ったが、シナプス間を流れる微電流に干渉することが出来る『光の帯』が、どういう作用でどこに異常を起こさせたのか、まだ特定には至っていなかった。
検査を執り行った脳外科医の所見は『脳幹の瞬間的な血流遮断による失神』とあるが、『光の帯』の研究分析を主務としている赤羽根にしてみれば、雑な診断としか言えなかった。
「あの痺れた感触、目眩と視界暗転…神経原性ショックが起こった可能性もある…んー…。」
…確かめてみたい…コズカに誰かを失神させてもらい、経過を見るのが早いな。
「…って、誰を?私はマッドサイエンティストか。」
赤羽根は、刹那の不謹慎な願望に、自分で自分に苦笑した。
彼女は、自分のカルテに『血管迷走神経反射性失神』と追記し、防衛反応的に起こった失神とした。
「しかし器用なことするわね、皆月岸人は。」
自分が被害者でありながら赤羽根は、何の後遺症も残さず意識を落とさせた岸人の所業に関心した。
「それよりも、だ…」
特査最大の課題は、突然目の前に現れた現象…テレポーテーション、その原理である。
これは物理学博士号を持つ蓮田班長が仮説の策定に着手していた。
「『光の帯』の性質分析、その仮説報告、追加で済むのか、或いは全面改修か…。」
赤羽根は南條義継の病室に向かいつつ、ある『捜査指示』の起票を考えていた。
…なんて書けばいいのかしら。
…『幽霊が見える霊能力者を捜せ』、としか書きようがないわね。
その学者らしからぬ表現に、赤羽根は自分で可笑しくなり笑った。
集中治療室の前には私服警官が二人立っており、入り口のドアがロックされていた。
赤羽根は、
「ご苦労様です。」
と頭を下げ、ロックを解除してもらった。
…警官もロックも無意味だけど、ま、かたちだけでもこうするしか無いのでしょうね。
中に入ると、若邑湖洲香が椅子で寝息を立てており、ベッドには義継が横たわっていた。
…よく許してもらえたものだ、この二人を無防備な病室に。
湖洲香と義継の身柄が保護された直後、二人の移送先は刑務所内病室と指示が出た。
だが、それに猛反対をした人物が二人いた。
義継の兄である南條治信と、この赤羽根伊織である。
二人の主張意図は、片や『人命救助をした弟を器物損壊程度で刑務所とは言語道断』、片や『能力者はどこに監禁しようが無意味』、と根拠はそれぞれであったが、共通した見解は、湖洲香も義継も抵抗や逃亡は絶対にしない、という確信であった。
治信と二人肩を並べて刑事部長へ熱く抗議したことを思い出し、赤羽根はまた自分に内心で笑った。
血生臭い研究や精神分析を繰り返す世界しか知らない赤羽根は、私立探偵という地位も名誉も社会保障もないが自由奔放な生き方をする南條治信が、少し眩しく見えていた。
…私にも、馬鹿女のまま、あんな男と笑って過ごす人生っていう選択肢も、あったのかしらね。
「コズカ。」
赤羽根は湖洲香の肩をポンと軽く叩いた。
フッ、と目を開ける湖洲香。
「…あ、博士。…大丈夫なのですか、もう。」
「私は平気よ。」
「よかった。」
湖洲香の表情がパッと明るくなった。
…いい子なのよね、キレさえしなければ。
「義継君は、どう?」
「ずっと寝ています。傷は貫通していて深いって。でも、骨や神経は無事みたいです。」
「そう。」
湖洲香はひとしきり義継の顔を見た後、赤羽根を見上げて心配そうな表情で言った。
「あの、やっぱり、署の壁をたくさん壊した義継さん、勾留なのでしょうか…。」
外から壁をぶち抜きながら特査の研究室に飛び込んできた義継は、合計6枚の壁と、4本の長椅子と、3個のデスクとその備品関係をスパスパ切り裂いた暴れっぷりだった。
これだけ荒らして署員には一人の怪我人も出ていないというのも、かなり器用な所業である。
「ん、彼の処遇は検討中ね。私も義継君に助けられた一人と言えるし、人命救助という社会貢献が有利にしてくれるわ。」
「そう、よかった…。」
湖洲香は再び義継の寝顔に目をやった。
赤羽根も彼を見る。
…でもね、義継君、あなたは『社会的危険分子』に特定されてしまったわ。
…湖洲香を助けるためとは言え、警察で暴れたのは…
不運、と言えばいいのだろうか。
無謀、と言えばいいのだろうか。
では、湖洲香の危機を察知した彼はどう行動すべきだったと言うのか。
…正しいことをしただけじゃないの、義継君は。
「コズカ。」
「はい。」
「ちょっと電話してくる。このICUから出てはいけないこと、ちゃんと守るのよ。」
「はい。」
赤羽根は集中治療室を出た。
病院の外に出ると彼女は、南條治信に電話を掛けた。
「はい、南條です。」
「赤羽根です。先程はどうも。」
「こちらこそ。お体、もう宜しいのですか?」
「あ、ええ、私は。検査も問題ありませんでした。」
「それはよかった。」
何だろう。
治信の『それはよかった』が、他の人のそれとは違った響きに聴こえる。
なんとも温かい、人間味のある響き…
「どうしました?何かご用では?」
「あ、ああ、はい。電話では『あれ』ですので、ちょっとお会いできませんか?」
治信は『あれ』を、盗聴の回避と受け取った。
「判りました。病院へ行けば宜しいです?」
「いえ、病院でも『あれ』ですので、私がそちらへお伺いします。」
「ふむ…隠れ家的なカフェがありましてね、中代沢駅まで、出られますか?」
隠れ家的なカフェと聞き、遊び慣れを知らない赤羽根は、少し心が躍った。
これまでの赤羽根には、浮ついた場所を好まない彼女にそんな心境が生まれることは無かった。
何だろう、この感覚、私らしくもない…
「問題、ありますか?」
「あ、いえ、中代沢、ですね、判りました。」
「では後ほど。」
「はい、失礼し…」
「ああ、そうそう、」
「…はい?」
「ノーヘルの違反キップ、取り消せそうですか?」
赤羽根は思わず吹き出してしまった。
「ぷっふふ、申し訳ありませんが、無理ね。」
「ああ、やっぱり…無念です。」
無念、という表現に、赤羽根はまた笑ってしまった。
電話を切ると、彼女は手荷物を取りに院内へ戻ろうとしたが、ふと足を止めた。
ガラス張りの正面玄関に映る自分が目に入り、身なりが気になったのである。
ボサボサの髪に、クマの出来た目、猫背に、膝が白くなったジーパン、よれよれの茶色いジャケット。
赤羽根は自分の髪を少し撫でつけてみた。
ゆるい癖っ毛の髪は、どうにも整わない。
…私が容姿を気にする?なんでよ。
彼女はほんの少し背筋を伸ばすと、院内へ入って行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「逮捕状が出た。殺人未遂だ。皆月岸人を追うぞ。」
押塚警部は崎真警部補に拳銃携帯許可証を渡すと、
「指名手配書も何枚か持っとけ。」
と言い、拳銃ホルダーを肩に回し装着した。
崎真は軽く頷くと、本日付けで配属となった喜多室祥司に装備説明を行った。
「…以上だ。何か質問は?」
「ありません、崎真主任。ですが、私は拳銃は不要です。」
真剣な表情を崩さずに言う喜多室に、崎真は一瞬考えたが、
「いや、一応持っておけ。これは指示だ。」
と言うと、書類を一枚手渡した。
「マルタイの現住所、城下桜南高校、転居前の所在地、出身中学の所在地等がこれにある。頭に入れておけ。それと…」
崎真は声を潜め、
「…『能力』の使い所は自己判断とされているらしいが、無闇に使うなよ、いいな。」
と喜多室に耳打ちした。
「はい。基本的に『防御』のみに使用、と指示を受けております。」
と喜多室は答え、拳銃装備を取りに行った。
…真面目そうだが、さて。
崎真は、『使い手』の部下を得たことに心強く思う反面、制御の難しい武器を持たされたような不安も感じていた。
日本全国に指名手配が敷かれた。
事件発生からの時間経過を考えれば、通常は県内全域及び隣接県のみの手配に止めるが、ある特殊な状況が特例対応をさせた。
その特殊な状況を知らされているのは、捜査一課第2強行犯捜査一係の三名のみである。
『マルタイは距離の不明な瞬間移動を行う』
…やれやれ、何でもアリか、化け物め。
覆面パトカーの後部座席に飛び乗った押塚は、咥えていたタバコに火を点けると眉をひそめた。
運転席には崎真が乗った。
助手席の喜多室の使命は、青白い『光の帯』を補足することである。
だが、マルタイに逆に悟られぬよう、自らの『光の帯』はしばらく封印、目視捜索が中心である。
岸人の自宅、学校は空振り、これは想定内。
個室のある娯楽施設、転居前の家とその近辺、出身中学、と辿ったが、手掛かり無し。
三人は二手に別れた。
崎真は城下桜南高校に戻り、生徒へ心当たりを聞き込み。これは『一年生の使い手捜索』も兼ねていた。
押塚と喜多室は、各種のホテル、旅館をシラミ潰しに当たった。
『使い手』には睡眠が不可欠、という情報から、『消えた』直後はどこかで睡眠を取っているはずだとの推測を立てての捜索であった。
しかし、全く手掛かりを得られぬまま時を費やしていった。
「若邑湖洲香に張り付けている捜査員からも連絡なし、か…だが、奴は必ずまた若邑を襲うはずだ。」
押塚は、この喜多室を病院に張らせるか、とも考えた。
だが、南條義継もいる病室に無策で現れることはしないだろう、とも考え、『静養できる場所』に絞ることにした。
運転中の喜多室に、押塚は、
「喜多室よ、お前、その『能力』な、いつから使えるようになった?」
と唐突に聴いた。
「…母を、亡くした直後です。」
喜多室は、触れられたくないといったニュアンスを含んだ声で答えた。
「そうか…。」
押塚は、岸人の心境を少しでも知りたく、能力を持つというのはどんな気分だ、と聴こうとしたが、やめた。
当時21歳の喜多室祥司を逮捕した時の、悲しみと後悔が入り混じったような表情を、押塚は思い出していた。
…気持ちだ。何が起きても冷静さを失わないでくれよ、喜多室。
押塚は、『有事の際は喜多室への発砲』の許可を、水面下で受けていた。
…そうなったら、地獄だ。
なんと酷な役割を背負わされたものか。
押塚は『能力』というものを、心底呪った。