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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第一章
22/292

晩春の風

爽やかな風が三人の頬を撫で、髪を揺らし、去っていく。

森林の木々は若草色の新芽と濃い緑の葉をその枝に湛え、5月も間近な少し暑い陽気を吸収し、冷んやりとした空気を演出していた。

雑草の生えた地面には、木漏れ日が穏やかに揺れている。


「僕を、殺すって?」


紺色の女子用ブレザー姿の義継よしつぐは、脚の傷口を押さえていた左手を口元に当て、出血している右手で艶やかな黒髪をかきあげる仕草をした。

色白の頬に、唇に、赤い血が付く。


どう見ても美少女にしか見えないその仕草と容貌に、岸人きしとは得体の知れぬ恐怖を感じた。


…何をする気だ。


岸人は、無関係な者を傷付けることは好まない。

邪魔さえしなければ、この妖しい美少年に危害を加えることは望んでいなかった。


「!」


ニヤッと笑った義継の足元の雑草が、跳ね上がった。


ザッ…スザッ…ザッ、ザザッ、ザッザッザシュッザッ…


義継の足元を中心に、円が広がるように雑草が刈られていく。


岸人は地面を見た。

湖洲香こずかも驚き、次々と跳ね飛ぶ雑草に目を奪われた。


地面スレスレに凄い勢いで這い回る白い『光の帯』。

岸人はその先端の行方を追いながら、足元に注意を払った。


岸人の視線を確認すると義継は、髪をかきあげた右手の先端から真上に別の『光の帯』を放出し、5メートル程の頭上から鋭角的に『帯』を曲げ、一直線に岸人へ向かわせた。


…と同時に、唇に当てていた左手をブレザーのポケットへ忍ばせると、携帯電話に触れた。


「…!」


岸人は頭上から迫る白い『光の帯』にも気付き、目の前に右手を開いてかざすと、自身を覆う程の『帯のかべ』を張った。


ジッ…ビリッ…


岸人の『光の壁』は、足元と頭上の二箇所で白い『光の帯』を受け止めると、そのまま収縮させ、掴んだ。


「!」


岸人の額から汗が一筋流れ落ちた。


…む、くっ…


岸人の目の前、ほんの数センチのところに、光の点が在った。

その光の点は、義継から伸びている『光のはり』だった。

たった一本、その『光の針』は岸人の目の前で止まっていた。


「殺すとか、そういう物騒なこと、やめにしないか?」


義継が言った。

彼の表情は薄笑みを浮かべているが、実は身体はフラフラだった。

義継に、これ以上戦い続ける力は残っていない。

睡魔も襲ってきている。

脚と手の傷の痛みが、なんとか意識を保たせていた。


「関係無いんだ!お前には!」


岸人は義継の『光の針』を輪切りにするように青白い『光の帯』をウネウネと空中を走らせた。

その凄まじいスピードは一瞬で義継に到達し、彼の身体を突き飛ばした。


「がっ…はぐあっ…」


義継は数メートル後方へ飛ばされ、『緑養の郷』の玄関口のドアに叩きつけられ…そうになり、直前でフワッと止まった。


湖洲香の赤い『光の帯』が受け止めたのだった。


フワリと玄関の石畳に仰向けに落ちる義継。


…眠い…とりあえず、兄貴にSOSは送信した…GPSで…ここを…


ポケットの中で、左手の携帯電話がスルリと手から抜けると、義継は気が遠くなっていった。


湖洲香は、義継から岸人へ視線を向けると、言った。


「キシト君、私は、抵抗しない。だから、義継さんだけは、もうそっとしてあげて。」


岸人の心の中で、殺意がグツグツと湧き上がっていく。


「母さんを、母さんが、何をしたって言うんだ、どうして、母さんを…」


岸人が涙を滲ませながら、湖洲香を睨む。

湖洲香は、地面にひざまずき、両手を合わせて握りこむと、


「キシト君のお母様は、私にとても優しかった。笑顔をくれた。お話をしてくれた。とても…温か…い…人…う…」


言葉を詰まらせながら言い、涙を落とした。


「それで、なんで!どうしてぇ!」


ビシッ


岸人の青白い『光の帯』が、湖洲香の頬を張り倒した。

湖洲香はよろめいたが、再び跪くと、瞳を閉じた。

彼女の口元から血が流れる。


「ごめん…なさい…」


岸人は大きく息を吐くと、大粒の涙を一つ落とした。


…これで終わる、やっと、母さん…


岸人は右手を湖洲香に向けてかざし、『光の帯』を伸ばした。

と、その岸人の右腕を、白い『光の帯』が掴んだ。


「…まだ、だ…」


義継が、地面を這いながら、岸人に近付いてきた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「頼む!お願いだ!緊急車両を出してくれ、そこから近いんだ!」


義継の兄、私立探偵の南條治信なんじょうはるのぶが、ノーヘルでバイクを走らせながら電話をしていた。


彼は、児童養護施設『緑養の郷』から5km程の距離にある派出所に電話をしていた。


「ああ、はい、そう!孤児院のある場所だ!…え?…そんなの知らん!傷害事件だ!今すぐ!」


治信はるのぶは義継の『SOS』を受信し、携帯電話の現在地をGPSで特定すると、そこから最も近い派出所に通報をしたのだった。

自らも現場へ向かう。

ノーヘルはワザとだった。交通機動隊に見つかれば良い、そのまま引き連れて行く、と考えていた。


…義継のSOSはAAAトリプルエー、『命の危険』を示すランクだ。


「一体何が…」


巡査とパトカーの要請を済ませると、そのまま県警捜査一課の崎真さきま警部補にも電話を掛けた。


…無事でいろよ、義継!


プワァアアン!


すり抜けた赤信号、背後でクラクションが鳴る。

治信はアクセルを更に開いた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「まだ、だ…」


地面を這い、ズルリズルリと近付いてくる義継。

岸人の腕を掴んだ義継の白い『光の帯』は、妙なことをしたら握り潰す、と言わんばかりに締め付けている。


体力と『光の帯』のパワーは、比例しない。

比例するのは精神力である。

義継は、立って歩けないほど疲弊していたが、その『光の帯』は力を失ってはいなかった。


『使い手』にとって厄介なのは、自分の肉体を『掴まれて』いる時である。

一瞬で握り潰されることも、切断されることも、出来てしまうからだ。

首の頚動脈にナイフを当てられているようなものである。


…腕などくれてやるか。

かたきが目の前にいるんだぞ。


岸人の攻撃が来ないことが気になった湖洲香は、目を開けた。


「あ、ああ、義継さん…」


状況に気付いた湖洲香は立ち上がり、義継に駆け寄ると、


「いいんです、もういいんです、義継さん、巻き込んでごめんなさい。」


と言い、地面を這っていた義継を抱き起こした。

その細い身体をギュッと抱きしめる湖洲香。


「湖洲香、さん…」


岸人の腕を掴んでいた白い『光の帯』が、消えた。

義継は、気を失った。


「キシト君、私はいい。でも、この子は、義継さんの自由は、守るって決めたの。」


湖洲香はか細い声で言った。

湖洲香は義継を抱き、岸人に背を向けたまま、赤い『光の帯』を広げ、岸人との間に『壁』を作った。


「…義継さんが起きるまで、私も死なない。」


湖洲香は『壁』の中で、以前彼の思念から読み取った、彼の父親の悪魔の様な所業や、学校生活での孤立を思い出していた。


…義継さんは優しい子。これから幸せになる人。


自分はここで命を終えるだろう。

だが、義継の存在は、自分の希望でもある。


…もし生まれ変われるなら、こんな『能力』を持たない普通の人に生まれて、また義継さんと出逢いたい。


湖洲香は、義継を抱く腕に力を込めた。


岸人は、いざとなると湖洲香を殺めることに恐怖を感じている自分に気付いた。

頭に血が上っている時は勢いでやれたかも知れない。

だが、冷静になればなるほど、こんなに憎いのに、握り潰してやりたいほど憎いのに…怖い。


…怖い?

…僕は何に怯えているんだ?


その時、遠くにパトカーのサイレンが聞こえてきた。


…警察?

…関係ない。

…湖洲香を殺した後、自分はどうなろうと関係ない。


「自分は、どうなろうと…」


…そうか、僕は、終わった後、何もなくなってしまうことが怖いのかも知れない。


森林の合間から赤い回転灯がチラチラと見え始める。


岸人は、ユラリ、と見えない壁に入る様に、消えた。


湖洲香はうずくまったまま、義継を抱き続けている。

晩春の爽やかな風が、湖洲香と義継の髪を軽く乱し、空高く去っていった。

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